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明けましておめでとうございます

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2016年 1月 6日(水)14時49分0秒
   皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうかよろしくお願いいたします。

 大晦日の夜、紅白を観ても歌手の名前が全然わからないので、しばらくチャンネルをいじっていたら、BS7で、「空から日本を見てみよう」というのをやっていて、空から、大村湾を一周、諫早の町が出て来ました。眼鏡橋。諫早高校。池にかかった橋の上に女子高生が並んで腰を下ろして、足をブラブラさせながら、お昼の弁当を食べていました。校内にある「御書院庭園」という庭だそうです。高校の中に「名苑」がある! 検索すると、Wikipedia の「諫早高校」に、庭園の写真が載っていました。皆さんはすでにご承知で、私ひとり感激した、という次第です。

 年がかわってから、加藤周一・中村真一郎・福永武彦『1946・文学的考察』(講談社文芸文庫)と、中村真一郎『芥川龍之介の世界』(岩波現代文庫)を読みました。中村真一郎はこれまで、偶々出会ったときに小さな文章を断片的に読んだ経験しかなく、しかし、おもしろい、と思っていましたので、立原・堀に焦点を合わせて、もう少し蒐めて読んでみようと思っています。
 
 

新年明けましておめでとうございます

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 1月 5日(火)15時32分4秒
編集済
   皆々様。新年明けましておめでとうございます。
 私は、今日から仕事始めですが、我が脳内はまだ新年に更新されていません。
 年末~新年は、奥道後温泉で過ごしましたが、ホテルも比較的に空いており、ゆっくりできました。しまなみ海道では、サイクリングをする人たちの小集団と度々遭遇しましたが、清々しい良い眺めですね。(機会があれば挑戦してみたいものです。)
 当地では、暖冬のため、蝋梅の大木が満開になっており、早咲きの梅も、椿までも既に開花しています。この調子で行くと3月には桜が満開になるかもしれませんね。
 今年も「健康をキープして、清々しく」をモットーにして参りたいと思いますので、宜しくお願いします。
 

納所の唐人雁木

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2015年12月28日(月)14時53分24秒
   納所という地名を見て、思わず懐旧の念にかられ、筆をとりました。
 納所には「唐人雁木」の石碑というものがあります。朝鮮通信使の上陸地と云われます。さっきウエブで見たのでは、「この石碑は1990年(平成2年)に立て替えられたもので、1928年(昭和3年)に三宅安兵衛遺志によって建立された原碑は現在、淀城跡公園内に移設されています」とのことです。
 実は私はその原碑、古いほうの碑を見に行ったことがあるのです。
 朝鮮通信使のことを熱心に調べていたころで、20数年前になりますが、たしか写真もとって、それを見ていただこうと思ったのですが、当時はまだ銀塩カメラの時代で、その古い写真を、とても探し出すことができませんでした。京阪電車の淀駅で降りて、淀城址を横目に見ながら、かなり歩いて行ったのをおぼえています。(写真は、Googleで「唐人雁木」で検索して「画像」を見ると、無数に出て来ます。)
 年末の行事はだんだん手抜きになって、さしてあわただしくもなく、年を越すことになりそうです。皆様、よい年をお迎えください。
 

納所(のうそ)/「淀君の淀城址」?

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年12月28日(月)12時19分7秒
編集済
   諫早の芥川賞作家・野呂邦暢の本名が「納所邦暢」であることは皆様ご存知の通りです。
「納所」というのは、諫早では珍しい苗字ですが、実は平安時代からある朝廷への税・上納品等の「収納場所」のことだそうです。
 桂川サイクリングロードを走っていると「伏見区納所町」(nouso)という地名が在ります。
そこは淀川水系三川合流点の上流(桂川と宇治川の間)にあり、室町時代から「納所」として重要な場所でした。
時代は移って、浅井茶々が秀吉の側室となり、天正17年(1589年)、捨(鶴松)を懐妊したときに当地に山城国淀城(「古淀城」という)を賜り、以後「淀の方」と呼ばれるようになったという由緒のある場所となりました。― 鶴松は天正19年(1591年)に死亡するが、文禄2年(1593年)に拾(秀頼)を産み、その後この館は破却され、その一部が近くの伏見城に移築されたと記されています。(「淀君」と言えば「江口の君」を連想しますが、「淀君」「淀殿」は後世の人が付けた名前で、生存時にそう呼ばれたわけではないそうです。)

 さらに、江戸初期に伏見城が廃城とされたために、「新淀城」が「古淀城」の南500メーター程の場所に築造され、その周辺に城下町が形成され、古い街並や神社が残されています。
 一方の「古淀城」跡地には、現在は小学校やお寺が建てられ、地域は現在の伏見区納所町となっています。

 大正時代に淀競馬場開場に伴って地域振興が図られ、現在は「淀競馬場」の町として知られています。昼飯に立ち寄った京阪淀駅前の駅前商店街にある古い喫茶店で、聞こえてくる隣のお客様方の話題は専ら競馬レースのことでした。
 

山本様 こんにちは

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年12月24日(木)17時35分52秒
編集済
   山本様 こんにちは。
 私の拙い投稿をお読みいただきましてありがとうございます。
 宮城賢さんは、1929年生まれで終戦時に16歳ですが、当時の青年たちは腹を空かせながらも、伊東静雄詩集を買い求めて、心の糧にしたのだということを思うと、ずっしりとした重みを感じます。(小川和祐さんは1930年生まれでした。)

 昨日(12/23)は午後から雨の天気予報でしたので、大阪港一体を自転車でポタリングしました。小野十三郎さんの詩集『大阪』に歌われた「大葦原」など、もはやその片鱗すらも残っていません。2キロ近い此花大橋の上では、誰とも遭遇しませんでした。足下にはどんよりと曇った海が広がり、今日は仕事を休んでいる新日鉄住金などの工場群が見えるだけでした。

 先日」(12/19)は、枚方大橋から木津川の方へ少しだけ入り、桂川サイクリングロードから橋を渡って淀川右岸を走って帰りました。水無瀬辺りの河淵からオオワシ(大きくて重々しい「ビワコオオワシ」に似ていた・・・)が飛び立つのを観ました。土手の上では、野鳥撮影家達が、50人以上も陣取って望遠レンズを構えていました。当日の走行距離は約110キロでした。

 
 

宮城賢さん

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2015年12月23日(水)11時26分12秒
   Morgen さんの投稿で、『果樹園』でおなじみの宮城賢さんのお名前をなつかしく拝見しました。私は今月にはいって『現代詩手帖臨時増刊吉本隆明1972』を読んでいて、宮城賢さんの「『固有時との対話』研究」という文章を読んだところでした。偶然と言いましょうか。私の読んだ文章にも伊東静雄への言及がありましたので、とりあえずその部分を紹介します。

 宮城さんは、吉本の『固有時との対話』の次の一節を引いて、こう言います。

    何といふ記憶! 固定されてしまつた記憶はまがふかたなく現在
    の苦悩の形態の象徴に外ならないことを知ったときわたしは別に
    いまある場所を逃れようとは思はなくなつたのである

……私はこの一節を読むたびに、伊東静雄の詩の数行をどうしようもなく想起するのである。

    私の放浪する半身 愛される人
    私はお前に告げやらねばならぬ
    誰もが願ふところに
    住むことが許されるのでない

 私自身が青年期においてこの数行に電撃的に打たれたことはすでに「試行」二十七号の「伊東静雄と私」なる一文でのべたので、ここではくりかえさないが、もしその同じ時期に私が『固有時との対話』に出会い、さきに引いた一節に表わされている詩人の姿勢に接していたとすれば、たぶん伊東静雄でなくて吉本隆明が私の青春の数年間を烈しくもろに包み込んだであろうと思われるのである。


 宮城さんの文章は非常に綿密な論で、多くの考えるヒントをもらいました。次の投稿までにもう一度、ていねいに読み返すつもりです。
 諸家の中には、吉本の初期詩篇と、立原道造の詩に、一種の親近性を見出す人が一、二にとどまらないようです。一方で。伊東の立原に対する(たぶん一方的な)好意のようなものがあって、これは私の宿題になっています。何やかやで、当分、寝たりコケたりしている暇はなさそうです。
 

「ときじくのかぐのこのみ 非時香果」

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年12月21日(月)15時09分23秒
編集済
    今日の昼休み、古本屋で、伊東静雄詩を英訳してご紹介頂いた宮城 賢(1929年熊本県生まれ~詩人、翻訳家)の評論集『生と詩』(昭和51年発行)と、『竹林の隠者 富士正晴の生涯』を買いました。(仕事の合間にチラチラと中身を覗いています。)

 宮城 賢『生と詩』には、「伊東静雄と私 負の方向から原点へ」(昭和44年『試行』掲載)が載っています(9~36頁)。同書「あとがき」に、「・・・は7年前に、やみがたく書きあげたもので、いま読めばスキだらけであるが、私の詩的道程における大きな結節点としての意義を持つ。」と書いておられます。

 宮城さんは、「曠野の歌」をめぐる大岡 信の分析(『昭和10年代の抒情詩』)に反論を加えつつ、「屈折の精神にふれた時その精神の現場を歌った」と言う保田與重郎(*)の評論に軍配を上げています。
(*)「付記」で萩原朔太郎から保田與重郎に訂正されています。その出所は、「伊東静雄の詩のこと」(昭和11年1月『コギト』)
(詳細を述べるスペースはありませんが・・・)以下少しだけ紹介します。

 ・・・・・
 詩人の言う「息苦しい希薄のこれの曠野」とは、彼がその直前の詩という「誰もがその願ふところに住むことが許されるのではない」の二行に示される辛い現実認識そのものであり、そしてこの曠野的現実の認識が「痛き夢」を彼にしいずにおかなかったのである。「息ぐるしい希薄」の「曠野」はげに彼が「願ふところ」ではなかったのである。しかし、まさにそこにしか住むほかなかったのである。そして、そこに生きるとは、「花のしるし」をまく意志そのものである。・・・「永遠の帰郷」とは、「誰もが願ふところ」への永遠の帰郷である。このそれ自体のアイロニイ。この回帰をあらしめんがために、彼はわが手で、曠野の道のべに、おそらくは咲くことはないであろう「花のしるし」をなおみずからの意志によりまかねばならぬのである。

 なお、同書の中で宮城さんは、「非時(ときじく)の木の実」とは、「ときじくのかぐのこのみ 非時香果」(橘の実)であり、「百千の」の“酸き木の実”もまた非時香果(ときじくのかぐのこのみ)であるとも仰っています。

 数日もすれば、平成28年(申年 閏年)と暦が改まります。皆様、清々しく、新年をお迎え下さい。
 

「語りえないものについては……」

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2015年12月12日(土)10時51分12秒
  「河邉の歌」における「時間」論について投稿しようと準備している途中、おもしろいものに出会いました。寄り道になりますが、先にこれを投稿します。
 インターネットで「クロノス」とか「カイロス」とかを検索していて、次のサイトに出会いました。筆者はオーストラリアの McKingley Valentine という人、標題は "Chronos & Kairos" で、標題のすぐ下に、エピグラフ風の引用文があります。
  "Whereof we cannot speak, thereof we must remain silent."
 なんか、どこかで見た文句だなと思って、本文に入ると、冒頭に、Oh Wittgenstein. You know just how to put things. そうです、これはウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の最後のフレーズ、「語りえないものについては、沈黙しなければならない」の英訳でした。

 私はずっと前から(中学生のときから)must という英語について、疑問を持っていました。辞書では、英語の must には「~しなければならない」と「~にちがいない」という、2つの訳語が割り当てられています。しかし英語では must 1語なのだから、英語の人々はどんなふうに2つの意味を聞き分けるのだろうか。「ねばならぬ」と「ちがいない」において、意味的に何が共通しているのだろうか。――つい最近になって、私はひとつの結論に到達しました。すなわち、どちらも「選択肢はただ1つしかない」ということを言っているのだ、と。(それでいいのかな?)

 いま、スベトラーナ・アレクシェービッチ『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)を読んでいます。
 チェルノブイリの人々は長い間、自分たちの見たこと、聞いたこと、考えたこと、体験したこと、希望、絶望、悲しみ、怒り、そういうことがらを「語ることができない」で来ました。語る言葉がなかったのです。そのため、彼らは、語らず、ただ、沈黙しているほかありませんでした。ここは「沈黙せねばならなかった」よりは「沈黙するほかなかった」と云いたい。そうして、そのチェルノブイリの人々が、アレクシェービッチさんの問いかけ、語りかけに接し、長い時間が経ち、やがて言葉が生まれ、言葉が交わされて、この本が書かれたのです。その内容は、感動的とか、衝撃的とか、云ってみても、はじまりません。こんどは私が「語りえない」ようになってしまいます。

 ウィトゲンシュタインの言葉の解釈としては、ふつうは、「世界(論理空間)の外側の事柄について語られた命題は、それが真とも偽とも云うことができないので、その命題は端的に無意味である」というふうに解されているようです。たとえば信仰や道徳や形而上学上の命題はすべて、「語りえない」事柄に属します。でもウィトゲンシュタインはそれらについてずいぶんたくさんのことを語っています。

 菅野覚明『吉本隆明』によると、吉本は「発語は沈黙の自己発展である」と考えていた、と云います。

 ところで Velentine 氏がこの引用をしたのは、「もしあなたが 'kairos' という語を知らなければ、"you're missing out" だから」だというのです。でも、ふだん何げなく過ごしている生活の中にも、kairos 的瞬間はきっと存在するはずだ、ただあなたはそれに気づかず、見逃しているだけなのだ、と。
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年12月 9日(水)10時52分5秒
  12月5日午後1時30分から,諫早図書館に於いて「第10回菜の花フォーラム」を開催しました。お客さんは、約100名でした。

本日,長崎新聞に高比良由紀記者執筆の記事と写真が掲載されました。
タイトルは、「詩人 伊東静雄に触れる」。

フォーラムの内容は次のとおりです。

1 音楽鑑賞 合唱曲『わがひとに與ふる哀歌』
      中田 直宏作曲・諫早混声合唱団・諫早交響楽団

2  講演「伊東静雄からの手紙」              大塚 梓氏

 伊東静雄と親交のあった、父・大塚 格氏に届いた静雄からの手紙について。

3 講演「誤読こそ正読」   伊東静雄賞・第一次選考委員 平野 宏氏

4 フリートーク

第22回伊東静雄賞受賞者の西村泰則さんは、教職を経験された立場から、誤読ではなく正読をこそすべきと発言され、会場が沸きました。

最期に、第26回伊東静雄賞を受賞された藤山 増昭さんが挨拶をされました。

藤山さんの父上が軍医として従軍した「菊兵団」、詩人丸山 豊が軍医として従軍した「龍兵団」は、日本軍の史上最強最精鋭を謳われた師団でした。
激戦地北ビルマで両師団は共に参戦し、お二人は辛くも生き延びられました。

受賞詩の中にある、「戦後に生まれた私等は、草木の葉先に煌めく朝露ではなかったか」という詩句は、日本人の伝統的な生命観として、私も全く同感です。
                                                               以上
 

水無瀬神宮の紅葉

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年12月 7日(月)10時14分31秒
編集済
   昨日は、十三~大山崎町(京都府)~西国街道~水無瀬神宮(大阪府)~十三間の淀の河辺をロードバイクで走りました。(約4時間余)
 水無瀬神宮は、大阪府島本町広瀬地区にあります。伊東静雄と庄野潤三は、かつて京阪電車橋本駅の方から「橋本の渡し舟」で広瀬の渡船場に着き、この水無瀬神宮を訪れました。(境内の石に座ってで少量の酒を飲みしばし昼寝をした。?)
 最近は、「名水百選」に指定されている「離宮の水」を自動車で汲みに来る人が多く、昨日も10人以上の水汲み客がポリタンクを持って行列を作っていました。
 境内の紅葉は、樹の数は多くはありませんが、何れの樹も鮮やかな発色を呈していました。
 

「不時の鶯」

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年12月 4日(金)10時39分42秒
編集済
   一昨日(水曜日)に淀川べりをロードバイクで走っておりますと鶯の囀りが聞こえました。空耳かと思って立ち止まって耳を澄ましますと、すぐ近くで「ホーホケキョ ケキョ ホーホケキョ ケキョ ホーホケキョ ケキョ・・・・・」としきりに囀っています。「チャッ チャッ・・・」という地鳴きも聞こえますので、おそらく藪の中に群れがいるのでしょう。一羽だけ姿が見えました。

 このように季節の到来を間違って花が咲いたり小鳥が鳴いたりするのを「不時」と言うらしく、昔から「鵜殿」は、伊勢物語や谷崎『芦刈』にも登場する「歌枕」の地(?と言ってもよいようなとても由緒の深い場所らしくて、独りで聴くのはもったいないような一種優雅な気分になりました。(ここら辺の葦を“ヨシ”と発音します。例ーよしず)

 写真は、近くのサイクリングロードですが、河川敷とは思えないほど森が茂っています。
 『わが人に與ふる哀歌』の末尾は、「寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ」「鶯」と続いておりますが、こちらは「不時の鶯」ではありません。
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年12月 2日(水)09時50分23秒
  11月28日午後2時から,諫早図書館に於いて第96回例会を開催した。
出席者は7名。

今回は、「漂泊」「寧ろその日が私のけふの日を歌ふ」「螢」の3篇を読み解いた。

会報は第90号。
内容は次のとおり。

1 井川博年 詩抄

    「石切場の石」             1975年 詩集『花屋の花 鳥屋の鳥』収録


    「ひとは哀しき」           1975年 詩集『花屋の花 鳥屋の鳥』収録

    「東京に雪が降る」         2013年4月17日 朝日新聞

    「買物」         「歴程」2015年8月 590号


2  井川博年 詩集について                              白石 明彦

                                     朝日新聞2011年1月

3「諫早の春」
                                                        田中 元三
                                2011年4月 『夙川の岸辺から』

4 詩 「りんどう」                       松尾 静子

                               * 花言葉・悲しんでいるあなたを愛する
                                   2015年10月 深江にて

5  詩は溢れている、泥海に!
               ─ 唐十郎戯曲『泥人形』を読む     新井 高子

                          (ミて 詩と批評126号 2014年春 季刊)

                                                               以上
 

今年の紅葉は・・・(2)

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年11月29日(日)23時50分48秒
   11月27日、新宿御苑の風景です。
 日本庭園内茶屋のおかみさんも「これからまだ紅くなってくれるんですかね。例年は池の辺が真赤になるんですがね~」と、うかない顔でした。
 今年も残すところあと一か月。皆様、風邪をひかないようにご自愛ください。
 私は、昨日も「淀の河邉サイクリング」で水無瀬離宮を越えて往復約70キロのペダルこぎをしてきました。淀川べりは、いつも強い風が吹いています。「雨にも負けず風にも負けず…」とまではいきませんが、「脱力の構え」で新年を迎えたいと思います。
 

今年の紅葉は・・・

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年11月25日(水)01時13分54秒
   「今年の紅葉は奇麗じゃない」と、隣の人がぼやいています。先日、「美濃もみじめぐり」ツアーに参加しました。絵の具を「練り込み」模様に塗ったような西美濃の山々でした。

 写真は、「揖斐川上流」「西国三十三番満願霊場 谷汲山華厳寺」などです。
 「満願」とまではいきませんが、仕事も一段落しそうです。(暇になるわけではありませんが)

 「余計な力を抜いて、必要なポイントの筋肉を動かす」脱力の構えが、武道やサイクリングのコツだと言われます。これからも「脱力の構え」でボツボツいこかと考えています。
 いよいよ冬将軍がやってきそうです。みなさまくれぐれもご自愛ください。
 

田中光子さんのお写真

 投稿者:岩田  投稿日:2015年11月21日(土)04時55分5秒
  伊東静雄研究会御中

ご返信、誠にありがたうござゐました。

http://shibunraku.blogspot.jp

 

「燕」と「そんなに凝視めるな」

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2015年11月20日(金)11時28分53秒
   神品芳夫『リルケ 現代の吟遊詩人』のノートを取り終りました。
 前回の投稿で言いさして言い切っていなかったことがらを、少し敷衍します。

詩「豹」によって、次の時期のリルケの詩作の指標となるものが定まった。ヴォルプスヴェーデの時期の感覚で作成された作品を中心にして計画された『形象詩集』がまだ編集中だったにもかかわらず、「豹」はそれに収めず、次の詩集のために温存したことは、彼が自分の詩作の進展を自覚していたことを示す。(神品 p.217)

 リルケが次の詩集のために「豹」を「温存した」のとは方向が逆になりますが、私は、伊東静雄の詩「燕」は、すでに次の詩集『春のいそぎ』の圏内に入っているにもかかわらず、伊東はそれを現在編集中の『詩集 夏花』の巻頭に据えて、「自分の詩作の進展」を示したのではないか、と考えたのです。
 その「進展」がどういうものであったかを言うのはむつかしいのですが、発表年代の上で「燕」に接近していて、しかし『詩集 夏花』には収めなかった「そんなに凝視めるな」が、「燕」とは対になるものと思います。しかも「そんなに」は、発表は昭和14年12月(全集注記)ですが、もっと早く、日記の昭和14年9月の条にすでにその原型が記されていますので、執筆時期としてはなおいっそう接近して、ほぼ同時期と見てもよいと思えるのです。

 櫟原聰さんの『夢想の詩学 伊東静雄と前登志夫』も読み終わりました。櫟原さんは「そんなに凝視めるな」を非常に高く評価して、次のように位置づけています。

ここに凝視してやまない伊東静雄のまなざしの到達が表出している。そしてこれがこの詩人の最高の到達点ではないかとも目される。(同書 p.187)
〈飛ぶ鳥〉や〈野の花〉に〈無常〉のかなしみを見た
〈みつめる深い瞳〉はそこで〈自然の多様と変化〉を認め、その〈多様と変化〉とをむしろ〈歓び〉としてとらえようとする。無常のただ中において自然の豊かさを再認識し、そこに生きてゆこうとする人間的な〈歓びと意志〉を見出すというこの詩は、ヘルダーリンでもリルケでもニーチェでもない、伊東静雄独自の、そして最高の到達点ではないだろうか。(同書 p.188)

 桑原さんの評言を承けて櫟原さんは、『哀歌』期の伊東の詩を〈発出的〉と見ます。世界の中心としての自己、その自己への凝視、意識の暗黒部との必死な格闘とみずから言う苦闘を経てそこから生成する詰屈な思惟と情念の詩的言語を、外部世界に向って、強く、烈しく発出する、それが『哀歌』の世界でした。
 『夏花』は、伊東の転位というよりは、発出的体位の追究とそこからの脱出という二面、葛藤が見られるように思います。
 そうして、時間的経過のうちに、あるときふと、伊東の中で何かが「ほどけた」のではないでしょうか。「いいのだ」「そんなに凝視めなくてもいいのだ」「そのまま受け止めればいいのだ」と。その詩法の解説が「そんなに凝視めるな」であり、これはいわば楽屋裏であるので詩集には収めず、かわりにこの姿勢からの実作として「燕」を巻頭に据えたのではないかと、思うのです。

 伊東の中で何かが「ほどけた」、その徴表として私は、2つのことを挙げたいと思います。その一は、『春のいそぎ』において、そしてこの詩集でのみ、突如多出する固有名(地名)*、もう一つは、同じく『春』においてのみ出現する、七五音数律の採用です(「小曲」および「螢」)。

 * 先日書店で目にして買った、菅野覚明『吉本隆明―詩人の叡智』(講談社学術文庫)という本を読んでいて、壺井繁治の、大東亜戦争緒戦当時の詩にぶつかりました。

地図は私に指の旅をさせる/こころ躍らせつつ/南をさしておもむろに動く私の指/キールン/ホンコン/サイゴン/国民学校一年生のごとく呟きつつ/私の指は南支那海を圧して進む/私の呟きはいつしか一つの歌となり/私の指は早やシンガポールに近づく[菅野はこれを『吉本隆明著作集8 高村光太郎』p.130より引用]

 唐突ですが、私はこの詩を読んで、とっさに

汝 遠く、モルツカの ニユウギニヤの なほ遥かなる

を思い出してしまったのです。
 

岩田様

 投稿者:伊東静雄研究会  投稿日:2015年11月17日(火)19時10分58秒
  お尋ねの件、当方は持ち合わせておりません。またご紹介出来る先もありません。悪しからずご了承ください。  

田中光子さんのお写真

 投稿者:岩田  投稿日:2015年11月15日(日)15時34分12秒
  ご担当の方へ、

お世話になります。

私はもぐら通信といふ安部公房の読者のためのネット上の月刊誌を発行してをります岩田英哉と申します。
(安部公房の広場:http://abekobosplace.blogspot.jp

安部公房が三島由紀夫と親しく、また三島由紀夫は伊東静雄に一時詩文の師事をしてをりましたことからお尋ねするものです。

伊東静雄といふ此の優れた詩人のお弟子さんに田中光子さんといふ方がゐらしやいます。

三島由紀夫は、1970年7月にこの方のために、この女流詩人が伊東静雄の元につて生前出すことの叶わなかつた第二詩集『我が手に消えし霰』を出版し、みづから序文を書いてをります。

また、当時田中光子さん宛の封筒も残つてをります。

さて、お願ひの趣旨は、実は、三島由紀夫の読者のためこの田中光子さんとおつしやる詩人のお写真を拝見致したく、そのやうな写真を、貴会にては収蔵なさつてゐらつしやらないでせうか。
(詩文楽:http://shibunraku.blogspot.jp

もしおありになれば、スキャンなりともして、ご送付戴ければありがたく存じますが、如何なものでありませうか。この場合、料金と支払先の銀行口座なりゆうちょ口座なりをお知らせ下さるとありがたく思ひます。

また、もしお写真がお手元になければ、どちらにお尋ねしましたならば、その可能性があるのか、お教え戴きたく存じます。

よろしくお願ひ致します。

ご返信をお待ち申し上げます。

岩田英哉
もぐら通信





http://shibunraku.blogspot.jp

 

驚きと喜び

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年11月13日(金)11時25分15秒
  このたびの受賞者の藤山増昭さんは、高校の卒業生の名簿で確認したら、何と何と私と同じ19回卒でありました。
藤山さんは理系、私は文系なので、クラスが異なり、記憶にはありませんでした。

諫早市からは、初めての受賞者ということで、素晴らしいことです。
お喜びを申し上げます。

藤山さんのお名前は、長崎新聞の郷土文芸投稿欄で、いつもお見掛けしています。
 

第26回伊東静雄賞 決定

 投稿者:伊東静雄顕彰委員会  投稿日:2015年11月12日(木)19時32分1秒
  第26回伊東静雄賞は、国内外から1,175篇の作品が寄せられ、第一次選考(選者 平野宏、田中俊廣両氏)を経て、最終選考(選者 井川博年、以倉紘平両氏)の結果、下記の作品が伊東静雄賞に決定いたしました。贈呈式は平成28年3月27日(日)伊東静雄を偲ぶ「菜の花忌」のあと、諫早市内ホテルで行います。

 伊東静雄賞  四月の雨  藤山増昭氏(67歳)長崎県諫早市在住

作品の募集にあたり、お寄せいただいた方々、ご協力賜りました報道団体、その他関係先の皆様に衷心よりお礼申し上げます。受賞詩と選評及び佳作49編のご氏名は、「諫早文化」11号に発表致します。購読ご希望の方は郵便振替01820-4-24915、諫早市芸術文化連盟までお申し込み下さい。誌代1部1,300円(送料含む)平成28年5月発行予定。
 

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