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ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2016年 2月10日(水)09時28分51秒
  1月23日午後2時から,諫早図書館に於いて第98回例会を開催した。
出席者は、8名。

今回は、『燕』『砂の花』『夢からさめて』の3篇を読み解いた。

会報は第92号。
内容は次のとおり。

1 「伊東静雄ノート1」                                青木 由弥子

                              (詩誌 千年樹第64号より転載)

2  詩とエッセイ『千年樹』第64号    ~伊東静雄の作品を振り返る~

                                        (長崎新聞 2016.1.9)

3 伊東静雄と近代西欧の詩人たち        伊東静雄研究会 森田 英之

項目 はじめに
   啓蒙主義
      ロマン主義
      ドイツの場合
      古典主義・ロマン主義の背後にあったカント哲学
      ヘルダーリンの復活
      古代ギリシア文化とヘルダーリン
      伊東静雄と西欧

                                           以上

次回は、2月27日午後2時から,諫早図書館に於いて開催。
 
 

近況雑記

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2016年 2月 4日(木)16時54分29秒
   Morgen さんの「健脚」は、うらやましい限りです。水無瀬には知人が住んでいて、訪問がてらに一度行きたいと、前々から思っていたのですが、この分では夢に終わりそうです(「飛行の夢」でなら行けそうなのですが。)

 小野十三郎『歌と逆に歌に わがバリエテ』所載の座談会は、初出の雑誌『日本浪曼派研究』創刊号のほうで読みました。私も腹を抱えて笑いました。
 伊東先生のエピソードの一つとして、"ズボンのベルトのかわりに奥様の赤い腰紐を締めて出勤した" というのがありますが、以前、花子夫人に直接うかがったところによると、それはなかった、と、否定されました。誰が言い出したのでしょうか。

 『庄野潤三全集』全10冊が古書で1万円で出ているのをみつけました。ずいぶん前に一度、天牛で3万円で出ているのを見たことがあるのですが、古書も安くなりました。

 1月は、読書があまりはかどりませんでした。月末までに読んだ主なものをあげると、
  ・加藤周一・中村真一郎・福永武彦、1946 文学的考察、講談社学術文庫
  ・中村真一郎、芥川龍之介の世界、岩波現代文庫
  ・熊野純彦、埴谷雄高―夢みるカント、講談社学術文庫
  ・中村真一郎、芥川・堀・立原の文学と生、新潮選書
  ・小久保実、中村真一郎論、審美社
  ・山本七平、小林秀雄の流儀、文春文庫ライブラリー
  ・堀田善衛、時間、岩波現代文庫
  ・村上春樹、雑文集、新潮文庫
そして、大冊
  ・中村真一郎編、立原道造研究、思潮社
を、ようやく読み上げました。
 結局、巻頭の室生犀星がいちばんよかった。中村真一郎の回想もよかった。芳賀檀の文章は何を言っているのか意味不明。
 ノートをとるという、大仕事が残っています。
 途中で止まっていた『立原道造全集第3巻』(散文)を、また始めから、読みはじめました。

 考えることはいろいろあり、自分で問題を設定しておいて少しも解答に近づいていないものもあり、ノートやメモは溜まって行きますが「生産性」がガタ落ちで、投稿するまでに至りません。まあ、ぼちぼちやろうと思います。
 

水無瀬のコミミズク

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 2月 1日(月)14時32分1秒
編集済
   昨日は天気が好かったのでいつもの通り「淀の河辺サイクリング」に出かけました。

 大山崎町の観光案内によると、最近シベリヤからコミミズクが渡って来て、水無瀬の河川敷(広瀬地区)で越冬しているそうで、フィールドカメラマンの注目を集めています。。
(添付の写真は、WEB上に公開されている写真を使わせて頂いていますが)昨日も約200人のカメラマンが、長い望遠レンズを構えて撮影していました。腹の白いオオタカも枯れ木のてっぺんに止まっていました。(生憎私はカメラを持参していませんでした。)

 写真の場所は、伊東静雄が、庄野潤三の出征を労う為に、橋本から渡し舟に乗って山崎の渡し場を通って水無瀬宮へ行った道筋に当たります。(その模様は庄野さんの日記を基にした『前途』に詳しく描写されています。)

 伊東静雄~庄野潤三の文学的継承関係の考察については、饗庭孝男さんが「庄野潤三論」(『批評と表現 近代日本文学の私』において詳しく論じられています。上手くまとまりましたら再投稿してご紹介します。

http://oyamazaki.info/

 

「詩作的思索」

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 1月19日(火)11時29分37秒
編集済
  山本様。貴重なご思索の成果を教示頂きましてありがとうございます。
「河邊の歌」の各詩句の意味が解きほぐされ、(専門家だけでなく)我々素人も詩人のメッセージを「あゝ、そういうことか!」と了解できるようになると素晴らしいですね。

人間の思索―(客観的)哲学的思索と、(主観的・始源的・根源的な)詩作的思索とは、本来的には未分化でありますが、人間にとってはどちらも不可欠であり、本質的な思索であることは言うまでもありません。

伊東静雄は、「飛行の夢」という「洒落た詩句」をつかって、「カイロス的時間」~「クロノス的時間」の間を飛び回るトランスポート的思索を披露しながら、「望郷」テーマの詩作をしているのだと、「河邊の歌」を私は位置づけました。いわゆる「詩作的思索」または「詩人的思索」(ハイデガー、ヘルダーリン“思索家的詩作”)といわれるものへの伊東静雄的チャレンジなのかも知れないなどと、その時の状況を空想したりしています。
 一言でいえば「河辺に寝転んで目を閉じると、故郷の山や川が脳裏に浮かび、そのプリミティブな思索はストレートに詩の言葉(うた)となって出てくる。」というような状況でしょうか。

私は、健康維持のために相変わらず週1~2回の「淀の河辺サイクリング」を続けていますが、秋の彩りは淀の河辺から消え失せ、鵜殿の葦も半分位はすでに刈り取られ、大阪港の「大海辺」も冬景色に変わっています。
 淀川河川敷の到る所で、名前も知らないような色々な小鳥や大型の渡り鳥たちによる、賑やかな鳴声の交感が壮んであり、まさに鳥たちの「カイロス的春」であります。太陽入射角が高くなり、日没時間が遅くなっていることから見ても「カイロス的春」がすでに始まっています。自宅前公園の河津桜も紅い蕾が膨らみ、「いつでも咲いたるぞ」と言いたいような気配を感じます。明日もまた桂川辺りまで「ペダリング」をしようかと思っています。
*添付の写真は、先日(1/16)大阪北港の淀川河口から、湾岸線方向をスマートフォンで写したものです)
 

中村真一郎から「河邉の歌」へ

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2016年 1月16日(土)12時02分24秒
   私がこの欄に「松浦寿輝氏の「エセー」」と題して、「アクチュエル」な時間と「レエル」な時間ということを書いて投稿したのは、ついこの間と思っていましたのに、調べてみるとそれは一昨年、2014年2月26日のことで、もう2年も前のことになります。その2年間という時間の過ぎ行くのが早かったことに驚きます。
 松浦氏はプルースト巻末解説の「プルーストから吉田健一へ」というエセーで、まず吉田健一の時間観を「その流動を奪はれてこれが時間だと自分の前に置ける類の」時間として取り出して、これを「アクチュエル」な時間と呼び、次いでプルーストの無意識的想起によって喚起される時間態様を「レエル」な時間と呼んで、これと対比しました。私はこれにヒントを得て「河邉の歌」を次のように読んでみたのでした。長くなって申し訳ありませんが、以下にその要点を抜き出します。

   私は河邉に横たはる
 作者は、故郷ならざるある河辺に来て横たわります。ここはまだ「アクチュエル」な時間です。
   (ふたたび私は歸つて來た)
 ここで、一つの時間断片ともう一つの時間断片とが不意に接合します。( )は、事態が「レエル」であることの、あるいは時間態様が異なることの、徴表です。
 この「超越的な時間」「純粋状態の時間」においては、アクチュエルな時間は無化され、傷ついたり豊富にされたりした時間は飛びこされます。
 「私」をふたたび「アクチュエル」な時間に引き戻すのは、ザハザハという川の音です。作者は自分が依然としてアクチュエルな時間のうちに在ることを気づかされます。万物の上を等しく流れ、正確に数をきざみ、往って戻らぬ時間というものの本性。この気づきを作者は
   私に殘つた時間の本性!
と云います。
 この時間には、生けるものの「死すべき宿命」mortalité が含まれます。作者はそれを、「はやも自身をほろぼし始める/野朝顔の一輪」において目のあたりに見ます。この宿命の、例外を許さぬ普遍性(正確さ)と、にもかかわらずその死の固有性(孤独)。

 旧稿「「河邉の歌」を読む」では私は、第三聯については適確な解釈を得られないままに、書き流してしまいました。
 最近になって、中村真一郎『芥川龍之介の世界』(岩波現代文庫)、同『芥川・堀・立原の文学と生』(新潮選書)、小久保実『中村真一郎論』(審美社)などを読みました。小久保の『論』が、

周知のようにプルーストは記憶に二種類あることに注目した。意志的な記憶と無意志的な記憶。人は後者の中で、現在と過去を同時に生きる。それは超時間の世界への飛躍である。

という、中村真一郎の著書からの引用を行っていて、私はこれに触発されて、さまざまな想念がワッと湧き上がってきました。以下、手抜きをして、箇条書きにします。

●「時間の本性」は、
  アクチュエルな時間、ギリシア語でいうクロノス的時間、吉本『固有時』に云う自然的時間と、
  レエルな時間、カイロス的時間、固有時的時間
どちらに解してもよい。後続の論理にはかかわらない。
●水中花は無意志的記憶の想起=開花である。プルースト。乾いて、ひからびて、花の色を失い、形を失い、紙屑のようなものになった水中花が、水の中で、鮮やかな花の色と形を取り戻してゆく。内田百閒「水中花」(本掲示板2006.6.4)がなぜ「水中花」なのか、やっとわかる。
●「飛行の夢」は「夢想による飛行」と言い換えられる。飛行は、夢想/レエル時間に入り込むこと/による、
  A 大阪の陋屋から本明川の河原への――。
  B 少年時への特権的時間への――。
 拙論「『河邉の歌』を読む」で引いた、杉本秀太郎氏、菅野昭正氏の、「どこからどこへの飛行か」に関する立論はいずれも妥当であると考える。
 レエル時間=「純粋時間」=「詩作時間」という米倉巌氏の所説は、もし「河邉の歌」というこの詩それ自体に適用されるとすれば、その立言はメタ・レベルにあり、この詩は自己言及的な詩であるということになる。
●第一聯は「アクチュエル」時間から「レエル」時間へと入り込む。第二聯はアクチュエルな時間に戻る。
 さて、第三聯はどの時間相に属するか?
 読み方としては第二聯の続きであって、なおアクチュエルな時間に居る、と読むのが自然である。であれば、雲の去来や取り囲む山々の存在はいずれもアクチュエルな時間におけるアクチュエルな事象である。それは、ザハザハという川の音や、萎れかかる野朝顔と同じレベルのアクチュアリテである。最後の「飛行の夢……見捨てられはしなかった」も、アクチュエルな時間に居て行う、直前のレエルな時間経験の確認である。
 そうだとすると、山々が天体の名を持つてはいけない。それがたとえば北斗七星であって、妙見岳を指す、とすれば、それは故郷の山々であり、アクチュエルな時間のアクチュエルな出来事として現れることはありえない。ここには(不注意からかどうかは措くとしても)レエルな時間の時間相が混入してきている。意図的に混入させても詩としては成り立つが、それは伊東の本意ではなかった。伊東はこの混入に気づいて、『反響』でこの行を削除したのではなかったか。
?
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2016年 1月12日(火)10時45分40秒
  12月26日午後2時から,諫早図書館に於いて第97回例会を開催した。

会報は第91号。

内容は次のとおり。

1『夏花』に寄せて                                   一柳 喜久子

                        ( 昭和45年8月冬至書房復刊・付録より転載)


2  詩 「日暮れの町で」                               井川 博年


3 詩「出発は5分でできる」                          井川 博年


4 井川氏の作品に思う                                山本 皓造


5  詩「てのひら」                                    青木 由弥子


6 詩「中心に燃える」                                伊東 静雄


7 詩人伊東静雄に触れる <諫早で作品解説 ~菜の花フォーラム~>

                 長崎新聞 2015.12.9 記事

                                             以上

次回は、1月23日午後2時から,諫早図書館に於いて開催。
 

『歌と逆に歌に わがバリエテ』(小野十三郎)

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 1月 9日(土)00時55分49秒
   昼休みに近くの古本屋で『歌と逆に歌に わがバリエテ』(小野十三郎著 創樹社 1973年刊)を買ってきました。(この本は昔買って読んだ記憶がありますが取り敢えず買っとこうということで…) 目次にある次の項目が目についたからです。(興味のある方は古本も多数あるようですのでご一読下さい。)
 <座談会 伊東静雄―人と文学―富士正晴・斎田昭吉・中石孝と―>
 <言語と文明の回帰線―前登志夫との対談―>

・<座談会 ・・・>の方は、全体が思わず笑わずにはおれない程に面白いのですが、次のような話はいかがでしょうか。
小野「伊東のことで面白い話があるねん。いつかうちの嫁はんとスバル座で会いよってん。ところが伊東と秋田実、よう似とるねん、顔がな。それでうちの嫁はん、初めからしまいまで秋田のつもりで話しておったんや。伊東もそれにちゃんと、ああとかそうとか言うて受けてな、相づち打っとったらしいわ。それで別れぎわに“ぼく伊東です”言うてな。」

・<―前登志夫との対談―>の方は、かつて小野さんが「短歌的な抒情の否定」というようなことを言い「奴隷の旋律」というような激しいことばを使った真意はどこにあったのか等々について、歌人前登志夫さんと対談しているのが興味深く、「なるほどそうだったのか。」と納得させられるところがありました。
 

明けましておめでとうございます

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2016年 1月 6日(水)14時49分0秒
   皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうかよろしくお願いいたします。

 大晦日の夜、紅白を観ても歌手の名前が全然わからないので、しばらくチャンネルをいじっていたら、BS7で、「空から日本を見てみよう」というのをやっていて、空から、大村湾を一周、諫早の町が出て来ました。眼鏡橋。諫早高校。池にかかった橋の上に女子高生が並んで腰を下ろして、足をブラブラさせながら、お昼の弁当を食べていました。校内にある「御書院庭園」という庭だそうです。高校の中に「名苑」がある! 検索すると、Wikipedia の「諫早高校」に、庭園の写真が載っていました。皆さんはすでにご承知で、私ひとり感激した、という次第です。

 年がかわってから、加藤周一・中村真一郎・福永武彦『1946・文学的考察』(講談社文芸文庫)と、中村真一郎『芥川龍之介の世界』(岩波現代文庫)を読みました。中村真一郎はこれまで、偶々出会ったときに小さな文章を断片的に読んだ経験しかなく、しかし、おもしろい、と思っていましたので、立原・堀に焦点を合わせて、もう少し蒐めて読んでみようと思っています。
 

新年明けましておめでとうございます

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 1月 5日(火)15時32分4秒
編集済
   皆々様。新年明けましておめでとうございます。
 私は、今日から仕事始めですが、我が脳内はまだ新年に更新されていません。
 年末~新年は、奥道後温泉で過ごしましたが、ホテルも比較的に空いており、ゆっくりできました。しまなみ海道では、サイクリングをする人たちの小集団と度々遭遇しましたが、清々しい良い眺めですね。(機会があれば挑戦してみたいものです。)
 当地では、暖冬のため、蝋梅の大木が満開になっており、早咲きの梅も、椿までも既に開花しています。この調子で行くと3月には桜が満開になるかもしれませんね。
 今年も「健康をキープして、清々しく」をモットーにして参りたいと思いますので、宜しくお願いします。
 

納所の唐人雁木

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2015年12月28日(月)14時53分24秒
   納所という地名を見て、思わず懐旧の念にかられ、筆をとりました。
 納所には「唐人雁木」の石碑というものがあります。朝鮮通信使の上陸地と云われます。さっきウエブで見たのでは、「この石碑は1990年(平成2年)に立て替えられたもので、1928年(昭和3年)に三宅安兵衛遺志によって建立された原碑は現在、淀城跡公園内に移設されています」とのことです。
 実は私はその原碑、古いほうの碑を見に行ったことがあるのです。
 朝鮮通信使のことを熱心に調べていたころで、20数年前になりますが、たしか写真もとって、それを見ていただこうと思ったのですが、当時はまだ銀塩カメラの時代で、その古い写真を、とても探し出すことができませんでした。京阪電車の淀駅で降りて、淀城址を横目に見ながら、かなり歩いて行ったのをおぼえています。(写真は、Googleで「唐人雁木」で検索して「画像」を見ると、無数に出て来ます。)
 年末の行事はだんだん手抜きになって、さしてあわただしくもなく、年を越すことになりそうです。皆様、よい年をお迎えください。
 

納所(のうそ)/「淀君の淀城址」?

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年12月28日(月)12時19分7秒
編集済
   諫早の芥川賞作家・野呂邦暢の本名が「納所邦暢」であることは皆様ご存知の通りです。
「納所」というのは、諫早では珍しい苗字ですが、実は平安時代からある朝廷への税・上納品等の「収納場所」のことだそうです。
 桂川サイクリングロードを走っていると「伏見区納所町」(nouso)という地名が在ります。
そこは淀川水系三川合流点の上流(桂川と宇治川の間)にあり、室町時代から「納所」として重要な場所でした。
時代は移って、浅井茶々が秀吉の側室となり、天正17年(1589年)、捨(鶴松)を懐妊したときに当地に山城国淀城(「古淀城」という)を賜り、以後「淀の方」と呼ばれるようになったという由緒のある場所となりました。― 鶴松は天正19年(1591年)に死亡するが、文禄2年(1593年)に拾(秀頼)を産み、その後この館は破却され、その一部が近くの伏見城に移築されたと記されています。(「淀君」と言えば「江口の君」を連想しますが、「淀君」「淀殿」は後世の人が付けた名前で、生存時にそう呼ばれたわけではないそうです。)

 さらに、江戸初期に伏見城が廃城とされたために、「新淀城」が「古淀城」の南500メーター程の場所に築造され、その周辺に城下町が形成され、古い街並や神社が残されています。
 一方の「古淀城」跡地には、現在は小学校やお寺が建てられ、地域は現在の伏見区納所町となっています。

 大正時代に淀競馬場開場に伴って地域振興が図られ、現在は「淀競馬場」の町として知られています。昼飯に立ち寄った京阪淀駅前の駅前商店街にある古い喫茶店で、聞こえてくる隣のお客様方の話題は専ら競馬レースのことでした。
 

山本様 こんにちは

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年12月24日(木)17時35分52秒
編集済
   山本様 こんにちは。
 私の拙い投稿をお読みいただきましてありがとうございます。
 宮城賢さんは、1929年生まれで終戦時に16歳ですが、当時の青年たちは腹を空かせながらも、伊東静雄詩集を買い求めて、心の糧にしたのだということを思うと、ずっしりとした重みを感じます。(小川和祐さんは1930年生まれでした。)

 昨日(12/23)は午後から雨の天気予報でしたので、大阪港一体を自転車でポタリングしました。小野十三郎さんの詩集『大阪』に歌われた「大葦原」など、もはやその片鱗すらも残っていません。2キロ近い此花大橋の上では、誰とも遭遇しませんでした。足下にはどんよりと曇った海が広がり、今日は仕事を休んでいる新日鉄住金などの工場群が見えるだけでした。

 先日」(12/19)は、枚方大橋から木津川の方へ少しだけ入り、桂川サイクリングロードから橋を渡って淀川右岸を走って帰りました。水無瀬辺りの河淵からオオワシ(大きくて重々しい「ビワコオオワシ」に似ていた・・・)が飛び立つのを観ました。土手の上では、野鳥撮影家達が、50人以上も陣取って望遠レンズを構えていました。当日の走行距離は約110キロでした。

 
 

宮城賢さん

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2015年12月23日(水)11時26分12秒
   Morgen さんの投稿で、『果樹園』でおなじみの宮城賢さんのお名前をなつかしく拝見しました。私は今月にはいって『現代詩手帖臨時増刊吉本隆明1972』を読んでいて、宮城賢さんの「『固有時との対話』研究」という文章を読んだところでした。偶然と言いましょうか。私の読んだ文章にも伊東静雄への言及がありましたので、とりあえずその部分を紹介します。

 宮城さんは、吉本の『固有時との対話』の次の一節を引いて、こう言います。

    何といふ記憶! 固定されてしまつた記憶はまがふかたなく現在
    の苦悩の形態の象徴に外ならないことを知ったときわたしは別に
    いまある場所を逃れようとは思はなくなつたのである

……私はこの一節を読むたびに、伊東静雄の詩の数行をどうしようもなく想起するのである。

    私の放浪する半身 愛される人
    私はお前に告げやらねばならぬ
    誰もが願ふところに
    住むことが許されるのでない

 私自身が青年期においてこの数行に電撃的に打たれたことはすでに「試行」二十七号の「伊東静雄と私」なる一文でのべたので、ここではくりかえさないが、もしその同じ時期に私が『固有時との対話』に出会い、さきに引いた一節に表わされている詩人の姿勢に接していたとすれば、たぶん伊東静雄でなくて吉本隆明が私の青春の数年間を烈しくもろに包み込んだであろうと思われるのである。


 宮城さんの文章は非常に綿密な論で、多くの考えるヒントをもらいました。次の投稿までにもう一度、ていねいに読み返すつもりです。
 諸家の中には、吉本の初期詩篇と、立原道造の詩に、一種の親近性を見出す人が一、二にとどまらないようです。一方で。伊東の立原に対する(たぶん一方的な)好意のようなものがあって、これは私の宿題になっています。何やかやで、当分、寝たりコケたりしている暇はなさそうです。
 

「ときじくのかぐのこのみ 非時香果」

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年12月21日(月)15時09分23秒
編集済
    今日の昼休み、古本屋で、伊東静雄詩を英訳してご紹介頂いた宮城 賢(1929年熊本県生まれ~詩人、翻訳家)の評論集『生と詩』(昭和51年発行)と、『竹林の隠者 富士正晴の生涯』を買いました。(仕事の合間にチラチラと中身を覗いています。)

 宮城 賢『生と詩』には、「伊東静雄と私 負の方向から原点へ」(昭和44年『試行』掲載)が載っています(9~36頁)。同書「あとがき」に、「・・・は7年前に、やみがたく書きあげたもので、いま読めばスキだらけであるが、私の詩的道程における大きな結節点としての意義を持つ。」と書いておられます。

 宮城さんは、「曠野の歌」をめぐる大岡 信の分析(『昭和10年代の抒情詩』)に反論を加えつつ、「屈折の精神にふれた時その精神の現場を歌った」と言う保田與重郎(*)の評論に軍配を上げています。
(*)「付記」で萩原朔太郎から保田與重郎に訂正されています。その出所は、「伊東静雄の詩のこと」(昭和11年1月『コギト』)
(詳細を述べるスペースはありませんが・・・)以下少しだけ紹介します。

 ・・・・・
 詩人の言う「息苦しい希薄のこれの曠野」とは、彼がその直前の詩という「誰もがその願ふところに住むことが許されるのではない」の二行に示される辛い現実認識そのものであり、そしてこの曠野的現実の認識が「痛き夢」を彼にしいずにおかなかったのである。「息ぐるしい希薄」の「曠野」はげに彼が「願ふところ」ではなかったのである。しかし、まさにそこにしか住むほかなかったのである。そして、そこに生きるとは、「花のしるし」をまく意志そのものである。・・・「永遠の帰郷」とは、「誰もが願ふところ」への永遠の帰郷である。このそれ自体のアイロニイ。この回帰をあらしめんがために、彼はわが手で、曠野の道のべに、おそらくは咲くことはないであろう「花のしるし」をなおみずからの意志によりまかねばならぬのである。

 なお、同書の中で宮城さんは、「非時(ときじく)の木の実」とは、「ときじくのかぐのこのみ 非時香果」(橘の実)であり、「百千の」の“酸き木の実”もまた非時香果(ときじくのかぐのこのみ)であるとも仰っています。

 数日もすれば、平成28年(申年 閏年)と暦が改まります。皆様、清々しく、新年をお迎え下さい。
 

「語りえないものについては……」

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2015年12月12日(土)10時51分12秒
  「河邉の歌」における「時間」論について投稿しようと準備している途中、おもしろいものに出会いました。寄り道になりますが、先にこれを投稿します。
 インターネットで「クロノス」とか「カイロス」とかを検索していて、次のサイトに出会いました。筆者はオーストラリアの McKingley Valentine という人、標題は "Chronos & Kairos" で、標題のすぐ下に、エピグラフ風の引用文があります。
  "Whereof we cannot speak, thereof we must remain silent."
 なんか、どこかで見た文句だなと思って、本文に入ると、冒頭に、Oh Wittgenstein. You know just how to put things. そうです、これはウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の最後のフレーズ、「語りえないものについては、沈黙しなければならない」の英訳でした。

 私はずっと前から(中学生のときから)must という英語について、疑問を持っていました。辞書では、英語の must には「~しなければならない」と「~にちがいない」という、2つの訳語が割り当てられています。しかし英語では must 1語なのだから、英語の人々はどんなふうに2つの意味を聞き分けるのだろうか。「ねばならぬ」と「ちがいない」において、意味的に何が共通しているのだろうか。――つい最近になって、私はひとつの結論に到達しました。すなわち、どちらも「選択肢はただ1つしかない」ということを言っているのだ、と。(それでいいのかな?)

 いま、スベトラーナ・アレクシェービッチ『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)を読んでいます。
 チェルノブイリの人々は長い間、自分たちの見たこと、聞いたこと、考えたこと、体験したこと、希望、絶望、悲しみ、怒り、そういうことがらを「語ることができない」で来ました。語る言葉がなかったのです。そのため、彼らは、語らず、ただ、沈黙しているほかありませんでした。ここは「沈黙せねばならなかった」よりは「沈黙するほかなかった」と云いたい。そうして、そのチェルノブイリの人々が、アレクシェービッチさんの問いかけ、語りかけに接し、長い時間が経ち、やがて言葉が生まれ、言葉が交わされて、この本が書かれたのです。その内容は、感動的とか、衝撃的とか、云ってみても、はじまりません。こんどは私が「語りえない」ようになってしまいます。

 ウィトゲンシュタインの言葉の解釈としては、ふつうは、「世界(論理空間)の外側の事柄について語られた命題は、それが真とも偽とも云うことができないので、その命題は端的に無意味である」というふうに解されているようです。たとえば信仰や道徳や形而上学上の命題はすべて、「語りえない」事柄に属します。でもウィトゲンシュタインはそれらについてずいぶんたくさんのことを語っています。

 菅野覚明『吉本隆明』によると、吉本は「発語は沈黙の自己発展である」と考えていた、と云います。

 ところで Velentine 氏がこの引用をしたのは、「もしあなたが 'kairos' という語を知らなければ、"you're missing out" だから」だというのです。でも、ふだん何げなく過ごしている生活の中にも、kairos 的瞬間はきっと存在するはずだ、ただあなたはそれに気づかず、見逃しているだけなのだ、と。
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年12月 9日(水)10時52分5秒
  12月5日午後1時30分から,諫早図書館に於いて「第10回菜の花フォーラム」を開催しました。お客さんは、約100名でした。

本日,長崎新聞に高比良由紀記者執筆の記事と写真が掲載されました。
タイトルは、「詩人 伊東静雄に触れる」。

フォーラムの内容は次のとおりです。

1 音楽鑑賞 合唱曲『わがひとに與ふる哀歌』
      中田 直宏作曲・諫早混声合唱団・諫早交響楽団

2  講演「伊東静雄からの手紙」              大塚 梓氏

 伊東静雄と親交のあった、父・大塚 格氏に届いた静雄からの手紙について。

3 講演「誤読こそ正読」   伊東静雄賞・第一次選考委員 平野 宏氏

4 フリートーク

第22回伊東静雄賞受賞者の西村泰則さんは、教職を経験された立場から、誤読ではなく正読をこそすべきと発言され、会場が沸きました。

最期に、第26回伊東静雄賞を受賞された藤山 増昭さんが挨拶をされました。

藤山さんの父上が軍医として従軍した「菊兵団」、詩人丸山 豊が軍医として従軍した「龍兵団」は、日本軍の史上最強最精鋭を謳われた師団でした。
激戦地北ビルマで両師団は共に参戦し、お二人は辛くも生き延びられました。

受賞詩の中にある、「戦後に生まれた私等は、草木の葉先に煌めく朝露ではなかったか」という詩句は、日本人の伝統的な生命観として、私も全く同感です。
                                                               以上
 

水無瀬神宮の紅葉

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年12月 7日(月)10時14分31秒
編集済
   昨日は、十三~大山崎町(京都府)~西国街道~水無瀬神宮(大阪府)~十三間の淀の河辺をロードバイクで走りました。(約4時間余)
 水無瀬神宮は、大阪府島本町広瀬地区にあります。伊東静雄と庄野潤三は、かつて京阪電車橋本駅の方から「橋本の渡し舟」で広瀬の渡船場に着き、この水無瀬神宮を訪れました。(境内の石に座ってで少量の酒を飲みしばし昼寝をした。?)
 最近は、「名水百選」に指定されている「離宮の水」を自動車で汲みに来る人が多く、昨日も10人以上の水汲み客がポリタンクを持って行列を作っていました。
 境内の紅葉は、樹の数は多くはありませんが、何れの樹も鮮やかな発色を呈していました。
 

「不時の鶯」

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年12月 4日(金)10時39分42秒
編集済
   一昨日(水曜日)に淀川べりをロードバイクで走っておりますと鶯の囀りが聞こえました。空耳かと思って立ち止まって耳を澄ましますと、すぐ近くで「ホーホケキョ ケキョ ホーホケキョ ケキョ ホーホケキョ ケキョ・・・・・」としきりに囀っています。「チャッ チャッ・・・」という地鳴きも聞こえますので、おそらく藪の中に群れがいるのでしょう。一羽だけ姿が見えました。

 このように季節の到来を間違って花が咲いたり小鳥が鳴いたりするのを「不時」と言うらしく、昔から「鵜殿」は、伊勢物語や谷崎『芦刈』にも登場する「歌枕」の地(?と言ってもよいようなとても由緒の深い場所らしくて、独りで聴くのはもったいないような一種優雅な気分になりました。(ここら辺の葦を“ヨシ”と発音します。例ーよしず)

 写真は、近くのサイクリングロードですが、河川敷とは思えないほど森が茂っています。
 『わが人に與ふる哀歌』の末尾は、「寧ろ彼らが私のけふの日を歌ふ」「鶯」と続いておりますが、こちらは「不時の鶯」ではありません。
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年12月 2日(水)09時50分23秒
  11月28日午後2時から,諫早図書館に於いて第96回例会を開催した。
出席者は7名。

今回は、「漂泊」「寧ろその日が私のけふの日を歌ふ」「螢」の3篇を読み解いた。

会報は第90号。
内容は次のとおり。

1 井川博年 詩抄

    「石切場の石」             1975年 詩集『花屋の花 鳥屋の鳥』収録


    「ひとは哀しき」           1975年 詩集『花屋の花 鳥屋の鳥』収録

    「東京に雪が降る」         2013年4月17日 朝日新聞

    「買物」         「歴程」2015年8月 590号


2  井川博年 詩集について                              白石 明彦

                                     朝日新聞2011年1月

3「諫早の春」
                                                        田中 元三
                                2011年4月 『夙川の岸辺から』

4 詩 「りんどう」                       松尾 静子

                               * 花言葉・悲しんでいるあなたを愛する
                                   2015年10月 深江にて

5  詩は溢れている、泥海に!
               ─ 唐十郎戯曲『泥人形』を読む     新井 高子

                          (ミて 詩と批評126号 2014年春 季刊)

                                                               以上
 

今年の紅葉は・・・(2)

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年11月29日(日)23時50分48秒
   11月27日、新宿御苑の風景です。
 日本庭園内茶屋のおかみさんも「これからまだ紅くなってくれるんですかね。例年は池の辺が真赤になるんですがね~」と、うかない顔でした。
 今年も残すところあと一か月。皆様、風邪をひかないようにご自愛ください。
 私は、昨日も「淀の河邉サイクリング」で水無瀬離宮を越えて往復約70キロのペダルこぎをしてきました。淀川べりは、いつも強い風が吹いています。「雨にも負けず風にも負けず…」とまではいきませんが、「脱力の構え」で新年を迎えたいと思います。
 

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