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菜の花忌

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2016年 4月20日(水)11時20分21秒
  3月27日午後1時、肌寒い陽気の中、諫早公園中腹の詩碑の前で第52回「菜の花忌」が開催されました。

献 詩 森山中学校2年  山口 実殊さん 「春の顔」
       鎮西学院高校3年 寺田 智恵さん 「なつのおと」

詩郎読  諫早コスモス音声訳の会
             田中 順子さん 「春浅き」

        詩人              田中 俊廣さん  「夢からさめて」

  時間をおいて午後2時30分、観光ホテル「道具屋」にて、第26回「伊東静雄賞贈呈式」が開催されました。

記念講演 「詩人と生活」  最終選考委員 井川 博年 氏

受賞者藤山 増昭さんが挨拶と受賞詩の朗読をされました。

そのご、可愛いお孫さん3人が壇上に上がり、花束贈呈がありました。
 
 

お見舞い申し上げます/熊本地震

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 4月18日(月)10時40分14秒
編集済
   このたびは、熊本県を襲った地震により被害を蒙られた方々にお見舞いを申し上げます。
 直接の物理的・身体的被害はなくても、震度6の激震で足元から揺すられるあの感覚は、堪えられない恐怖です。(阪神・淡路で経験済み。)また、揺れが去っても、あらゆる建物や構築物がが傾いているように見えたり、上から物が崩れ落ちてきそうな不安感は去りません。(心理的後遺症)一日も早く震災復旧・生活再建がなされ、平穏な暮らしが回復されるることを祈るばかりです。

 私は、5月には熊本~大分旅行を予約申し込みしています。(道路網寸断により中止の連絡が来るかもしれませんが)「地元がこんなに大変なときにのんびり旅行など」とも思いますが、今後の風評被害も含めて観光産業に与える震災被害は甚大となることも予想しなければなりません。(九州経済の地盤沈下のトリガーとならなければよいが・・・)少々の困難があっても熊本~大分旅行を実行したいものです。(ただし会社は出張制限あり。)

 私の所属会社としても、東日本大震災同様お客様への支援をすることを発表しています。「私にできることは何だろうか?」と思案しているところです。

     「くまモンもん」(うた 森高千里)

  ・・・・・・・・・・
  くまモン くまモン 日本のために くまモン
  できないことは なかもん
  心の中に くまモン もんもん


http://

 

こんな地震は初めて~

 投稿者:上村紀元  投稿日:2016年 4月15日(金)20時25分6秒
  震度4の揺れに驚きました。翌朝、諫早公園の詩碑が心配で~6トンもの碑が転がり落ちてはいないかと出かけてきましたが異常なくホッとしました。52回の「菜の花忌」が済んだばかり、今年は例年以上の参加者でした。継続していくためには思わぬ自然災害に遭わぬことも大切な要件、平穏無事であることねがいたい。熊本では被害も甚大、亡くなった方々のご冥福を祈ります。  

「わが去らしめしひとは去り」

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2016年 4月10日(日)10時29分38秒
   四月七日、大雨と大風の「四月の風」の日、大阪に出ました。古い教師仲間の懇親会のようなもので、場所は「中之島プラザ」という所、京阪中之島駅から西へ少し行ったところです。京阪電車がここまで延長されたことなど、私の知見にはなく、天満から淀屋橋まで延伸して地下鉄からすぐ乗り換えできるのに感激したのはついこの間のような気がする、と古い話になりました。昔は「城東線」京橋から京阪電車京橋に乗り換えるのに、何百メートルか土堤下の道をよく歩いたものです。こんなことも、もう知っている人はだんだん少なくなるのではないでしょうか。久しぶりの大阪の街は新鮮でした。
 閑話休題。
 立原道造が伊東静雄に関説している個所について、もうひとつ資料を付け加えます。このことは宇佐美斉『立原道造』(筑摩書房)で知りました。
 昭和11年7月下旬に信濃追分から友人の柴岡亥佐雄に宛てた手紙[角川版6冊全集第五巻書簡番号264]につぎのような文言があります。

君のおそれるやうな物語はなんにもないんだ。だから、追分村風信がやつとこんなにして書けるやうになつたのだよ。ざらざらと、それは毎日してゐる。高原バスなどに似た人の面影見るときには、しかしやつと心が一つのイマージュに向けられ、しづかに燃えてゐるんだ。「わが去らしめし人は去り」といふ伊東静雄の一句を考へてみたまへ。そんな風だ。けれどそんな他人の詩より僕の詩の方が君にはきつとよくわかるだらう。……

 そうしてこのあとで、「ゆふすげびと」FRAU R. KITA GEWIDMET と題する自作のソネットを引用しています。ソネットの全体は長くなるので省きますが、岩波文庫の詩集では、のちに『文芸汎論』に発表した形で、「拾遺詩篇」の部に採録されています。
 その末尾の2行、

しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔ゐなく去らせたほどに!


が、伊東の「行つてお前の憂愁の深さのほどに」の第4行「わが去らしめしひとは去り」を意識しているのは明らかです。
(これより前、同年5月7日杉浦明平宛[前掲書、書簡番号229]に「……ひとりの少女は去らしめたままに僕から去つて行きました」との文言のあることが、全集の編註から知られます。)
 宇佐美氏はこのあと、昭和10年11月23日『哀歌』出版記念会への立原の出席、伊東の側からの立原への「親近感」、立原/伊東両者のふたつの詩篇の優劣と相違などについて述べているのですが、すべて紹介する余裕がありません。私としてはその「親近感」の拠って来る所以についての宇佐美氏の見解を聴きたかったのですが、適確な理解に至りませんでした。
 

「四月の風」

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 4月 7日(木)23時23分27秒
編集済
   今日の日本列島は、前線通過による大荒れの天候となりました。爽やかな「四月の風」ではなく、大雨や雷をともなう春の嵐でした。
 晴天の昨日は、嵐山まで(4月になって2度目の)往復110キロ超のロングドライブ輪行を行いました。淀川べりには各所に桜並木が多く、沢山の客が花見に訪れています。
 嵐山の何処かの店で美味しい昼食を摂ろうと予定していたのですが、それは甘すぎる考えでした。どこも観光客で満員のためどの店も入ることができず、家から持参したおにぎり2個とチョコレートを河原で食べただけで、帰路ではさすがに少しバテました。

伊東静雄詩「四月の風」(昭和9年春)から抜粋。

  私は窓のところに坐って
  外に四月の風の吹いてゐるのを見る。
  ・・・・・・・・・・・・・
 (地方の昔の中学生の振る舞う様を思い出す・・・)

  四月の風は吹いてゐる。ちょうどそれ等の
  昔の中學生の調子で。
  ・・・・・・・・・・・・・
  (道の上で悪戯をしたり、冬の風を吹かせたりして・・・)

  曾て私を締め付けた
  多くの家族の絆はどこに行ったか。
  ・・・・・・・・・・・・・
  (生徒たちは、“センセー!” “センセー!”と親しげに寄ってくるが、それ
  は見せかけなのだと私はひがんでいる。―私は28歳なのに既に壮年になったよう
  な気分である。)

  それで、も一つの絆を
  その内私に探し出させてくれるのならば。

 この詩には窓の外に吹いている四月の風の情景がうたわれているのかと思っていたら、実は「家族の絆」~「も一つの絆」への展開の予感が「四月の風」に寄せてうたわれているのですね。

 今日吹き荒れた4月の嵐で、背割堤の桜も、嵐山川べりの桜も大分散ってしまったでしょうが、「淀の河邉」では燃えるような緑がボリュームを増しています。鶯や雲雀もすぐ近くまで寄ってきて、大きな鳴き声を立ててくれます。年寄りの私を「頑張れ! 頑張れ!」と励ましてくれているようにも聞こえます。

 目まぐるしく変化していく経済情勢のなかで、会社の定時株主総会を控えて、今日からは監査等の準備にかかっています。(業界の急激な変化に雄々しく立ち向かっている青年達に、内心ではせめて老人扱いをされないようにと秘かに思いながら。)
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2016年 3月30日(水)09時32分17秒
  3月19日午後2時から,諫早図書館に於いて第100回例会を開催した。
出席者は、全員の9名。
ゲストが2名。1名は、第22回伊東静雄賞受賞者の西村泰則さん、もう1名は、元会員の富永健司さん。

今回は、『決心』『八月』『八月の石にすがりて』の3篇を読み解いた。

会報は第94号。
内容は次のとおり。

1 伊東静雄ノート (2)                            青木 由弥子

                          詩とエッセイ「千年樹」65号より転載


2  伊東静雄詩論  夏の詩人 13  <花鳥と燈>

                                                   萩原 健次郎

                                     (2013年5月「海鳴り25号」より転載)


3 「マドンナの競艶」               伊東静雄研究会 龍田 豊秋

                              2016.2.23 毎日新聞「はがき随筆」掲載

4 八月の石にすがりて 鑑賞の手引き
                                               以上

  高校の国語教師であった西村泰則さんが、文法面からの詩の読み解き方法を講義しました。


 富永健司さんは、諫早振興のための着想を提言しました。


 次回は、5月28日午後2時から,諫早図書館に於いて開催。
 

枕上読書断片(2)

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2016年 3月29日(火)13時59分8秒
   木津川にかかる「流れ橋」は、流れるたびに新聞に載るので、いまや南山城の名所の一つですが、わたしはまだ行ったことがありません。たまたま Morgen さんの投稿のあった直後に、朝日新聞に「もう流れない? 流れ橋」という記事が出ました。地方版なので貼りつけておきます。

 『立原道造全集3』はときどき休みながら読むのでなかなか読了しません。
 その中で立原が伊東静雄に関説した個所をみつけましたので、ご紹介します。

・p.237(「風信子[三]」)

……何年かの間に僕もまたいろいろな人と会っては別れた。帰郷者はいつも、そんなことを言ふ――「時間の本性」と。……

 これが伊東静雄を指しているのは明らかです。この文ではほかに、芳賀檀、亀井勝一郎、神保光太郎、山岸外史らの名前や著書があがっています。立原が「時間の本性」というとき念頭にあるのは、文脈からすれば mortalite や「会者定離」のコトワリであることも明らかです。

・p.269(「詩集西康省」)

伊東静雄にあって思索と呼ばれた場と、この詩人において輪郭と呼ばれた場とを注意して比べたまへ。……

 立原が田中克己について、また田中と伊東との比較について、何を言いたいのか、その核心を全然つかめぬままに、とりあえず引用しました。
 

なづな花さける道たどりつつ・・・

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 3月25日(金)17時53分57秒
編集済
  山本さま。お元気そうなご投稿拝読しました。

 私のサイクリングは専ら運動目的で、そのほかに別段の意図はありませんので、ポタリングはやりません。当面は、同じコースばかり只管ペダリングをしております。
 取りあえずは、70キロコース(京滋バイパス側橋)、80キロコース(納所・宮前橋)、90キロコース(名神下・鳥羽離宮跡)、100キロコース(西京極・阪急線路)、110キロ(嵐山)と大まかな目途をつけて輪行コースを分けています。スタート時点で、当日の天候や、出発時間などに応じてその何れかのコースを選び、まず菅原城北橋で淀川左岸へ渡り、折り返し点で、桂川左岸から同右岸へと橋を渡って帰るのが通常です。天候急変や疲労度、日没までの残り時間を判断してUターンすることもあります。速度は時速35キロ~15キロ(平均時速約20キロ)の緩いペースで、只管輪行しています。使用しているロードバイクには荷台がなく、水と財布以外は殆んど何も携行していません。ヘルメット・サングラスを装着し、レーシングパンツとジャージーを着ていますので、道で知人と出会っても見過ごしてしまうと思います。
 淀川・桂川べりのサイクリングロードを駆け抜ける匿名ライダー縦列(魚群?)の一部となり、具象性は否定(抽象化)され、河原を吹き抜ける風のカケラとなって流動し、色即是空と化す。―(少し洒落て言えば)こんな情景描写すらできそうにも思います。

 また、輪行中は、観ること・聞くこと・体を動かすことに集中し、無念無想とまではいきませんがあまりものを考えないように努めています。(良い考えなど浮かぶはずはないと初めから諦めています・・・)脳科学的には、朝日の照る屋外で運動をすると、セロトニン等の神経伝達物質の分泌が促され、一時的にせよポジティブシンキング体質へと変わるようです。胴回りのサイズがビフォー90Cm~アフター80Cmと減少し、体重も10Kg減量しました。「風のカケラ」化に一歩近づいています。

 ・・・・・
 風がつたへる白い稜石の反射を 若い友
 そんなに永く凝視めるな
 われ等は自然の多様と変化のうちにこそ育ち
 あゝ 歓びと意志も亦そこにあると知れ(「そんなに凝視めるな」から)

 年度末を迎えて、明朝からは東京出張です。新幹線の往復時間はほとんど眠っています。背割り堤の桜並木も、近寄ってみると夫々が大樹(老木)になっており、壮大な開花が始まっています。皆様もどうぞお越し下さい。(画像追加:WEB上の画像を借用しました。)
 木津川に架かった木造の「流れ橋」も渡ってみたいですね。ではまた。


 

枕上読書断片(1)

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2016年 3月24日(木)18時19分44秒
   Morgen さん、みなさん、お久しぶりです。
 淀川遡行サイクリング。私にはまず「しんどそう……」という思いが先に来ます。
 昔、友人が大学2回生になって下宿することになったとき、彼は自転車のうしろに布団をくくりつけて、大阪西成から京都までチャリンコで行きました。私の孫は小学生か中学生のころ、オトウサンと(即、娘婿)木津川べりを自転車で下り、3川合流点からさらに嵐山まで桂川をさかのぼって帰ってきたことがありました。Morgen さんも嵐山まで行けば、帰りは漕がずに帰れるかもしれません。

 枕元に積み上げた雑多な文庫本もほとんど読み尽して、仕方がないからまた『薔薇の名前』でも読みなおすか、と、ぼんやり思っていたときに、新聞でウンベルト・エーコの訃を知りました。その偶然にすがって、上下2冊、ぼちぼちと、10日ほどで読み終りました。
 ここではエーコ論をやろうとか「薔薇の名前」とはなにかを解明しようとかいうのではなくて、ほんの冗談みたいな思いつきを一言、述べるだけです。
 『薔薇の名前』の最後はこんな詩句の引用で終わっています。
  《過ギニシ薔薇ハタダ名前ノミ、虚シキ名ガ今ニ残レリ》
 この原文はWikipediaからの孫引きによると、
  stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus
 直訳すると、「以前の薔薇は名に留まり、私たちは裸の名を手にする」ということだそうです。事は西洋中世哲学史の「普遍論争」にかかあり、むつかしいのですが、私の云いたいつまらぬ一言というのは、「裸の名 nomina nuda」が、中島栄次郎の「哀歌」評の件の部分に対応するのではなかろうか、ということでした。――「ちやうど王朝時代の歌のやうに、たゞキラキラとする抽象的な美しさとなり、自然ははや輪郭だけとなり、己れの名だけとなり……」
 

藤山増昭「四月の雨」に寄せて

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 3月10日(木)16時44分37秒
編集済
   一雨ごとに木々の新芽が膨らんでいくのが目立ちます。
 第26回伊東静雄賞を受賞された藤山増昭様の「四月の雨」を読ませて頂きました。
 藤山様、このたびの御受賞おめでとうございます。(遅ればせながら・・・)

―「田舎医師」の老父は、「四月の雨」の朝、自らの病気を省みず、“菊部隊”の慰霊祭へ出かけ、帰宅の後、亡くなられた。
(1年前、詩人もまた病に倒れ、死の淵から生還された。そのときの夢の中に、若い軍医姿の父が現れ、「ゲンキカ」と僅かに笑って聞いて、影のように去って行った。・・・詩人は、故郷の道に父の影を踏みつつ、その背の傷痕をなぞっていく。)
  ・・・・・
  四月の雨が降っている。幽かに光りながら
  父に降り、家族に、私に降り
  話されなかった荒れ地も濡らし始める。
  ・・・・・
 藤山増昭さんが「田舎医師」の老父といわれる方は、我が村(旧北高来郡小江村)唯一の医療機関であった藤山医院の「藤山先生」です。我が家の祖父も父も私ら兄弟もすべてがお世話になりました。小江小学校や有明中学校の校医をしておられたので毎年健診もして頂きました。注射をして頂いた記憶や、お母様の面影も幽かですが脳裏に残っております。
 藤山増昭さんは、おそらく私の弟(優)と同じ位の年代だと思いますが、小さい頃のお姿はほとんど覚えていません。
戦争から生還した父や、叔・伯父達も、すべてが亡くなってしまった今、「話されなかった荒れ地」のことを聞くすべはありませんが、静かな春の雨の音を吸込んで、シベリア、満州、ビルマ、フィリピン・・・どの荒れ地でも植物の新芽が膨らんでいることでしょう。「四月の雨」が静かに降るのは、「樹々の小枝で光ってゐる新芽」がすべての物音を吸い込んでしまうからだそうです。(リルケ)

 <「四月の雨」に触発されて、リルケ“AUS EINEM APRIL”「四月の印象」「ある四月から」・・・について投稿しようと思っていたのですが後日にします。>

  ・・・・・・
  あたりが急にしずかになる黒ずんだ小石をぬらす雨脚が
  何の音もせずに消えてしまふ
  物音といふすべての物音は
  樹々の小枝で光ってゐるあの新芽のなかへすつかり吸はれてゆくらしい
           (リルケ“AUS EINEM APRIL”「四月の印象」大山定一訳から)

http://www.city.isahaya.nagasaki.jp/

 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2016年 3月 9日(水)09時25分0秒
  2月27日午後2時から,諫早図書館に於いて第99回例会を開催した。
出席者は、8名。

今回は、『蜻蛉』『夕べの海』『いかなれば』の3篇を読み解いた。

会報は第93号。
内容は次のとおり。

1 見送る者の「さようなら」
              ~蓮田善明の自裁と伊東静雄の戦後~
                                          花田 俊典
                    清新な光景の奇跡~西日本戦後文学史~
                                     (西日本新聞社)

2  第二十六回 伊東静雄賞 受賞作品

              四月の雨               藤山 増昭

                                            広報諫早3月号

3 「世界文化遺産」               伊東静雄研究会 龍田 豊秋

                              2016.2.1 毎日新聞「はがき随筆」


                                           以上

次回は、3月19日午後2時から,諫早図書館に於いて開催。


諫早公園のヒカンザクラが、去年よりは時期が遅れて開花しました。

カワセミが一羽、陽を受けながら羽を煌めかせて、眼鏡橋から倉屋敷川に向けて、公園広場の上を横切りました。
 

三国ヶ丘 菜の花忌

 投稿者:上村紀元  投稿日:2016年 3月 3日(木)10時10分0秒
  堺・三国ヶ丘ゆかりの詩人 伊東静雄菜の花忌のお知らせ

日時   平成28年3月6日 14時~
場所   堺市立三国丘幼稚園
参加費  500円
講演   冨上芳秀氏 安西冬衛の世界
主催   けやき通りまちづくりの会
 

「右岸から左岸への手紙」

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 2月21日(日)00時14分14秒
編集済
  淀川祭りで唄われた「淀の流れは十三里」という歌があるそうです。(古関裕而作曲 貴志邦之作詞)

  港みなとで
  山ほど積んで
  上り下りの
  通い船
    淀の流れは
    十三里

 伊東静雄も詩のなかで淀川を詠っており、現実の厳しさに直面し「強いられて」、自らの青春の終わりを痛感し、さらには戦争、敗戦と言う濁流に流されていった詩人の人生が表現されています。
・「わがひとに與ふる哀歌」(琵琶湖面。淀川は琵琶湖河畔~大阪湾河口)
・「淀の河邉」(三川合流点。橋本~水無瀬)
・「路上」(…そして向こうに大川と堂島川がゆったりと流れる/私もゆっくり歩いて行かうと思ふ…)

 淀川区役所の近く十三東町に詩人・清水正一さん(故人)のご自宅が記念館として遺された「蒼馬亭」があります。周りにはマンション建設が進められているなかで頑張っている古い三軒長屋の端の家です。
 清水正一さんは、昭和3年に伊賀上野から大阪に出て来て、蒲鉾の製造に従事しながら詩を作り続けてこられ、昭和60年に亡くなられました。『大阪春秋』第6号(昭和50年4月15日発行)に、「左岸への手紙―わが新淀川と右岸の町」と題する次のようなエッセイが載せられています。要約してご紹介します。

<友への手紙>「…ナゼ淀川ヲ、唄ワナイカ? 貴方ノ手キビシイ質問。…川岸ニ50年近クモ生活シテイルト、口ヲ噤ンデシマイマスネ。…(創ルナラ)組曲ミタイニ詩ヲカイテ行キタイデスネ。川ニ、水ニ、橋ニ。…>

 清水さんは、伊東静雄に関するエッセイも書いておられ、御堂筋に静雄詩碑を造れと提唱もされました。
「蒼馬亭」の前を通りながら、十三の詩人の心に秘めた“『淀川組曲』が聞こえてこないかなー”と、時々立ち止まってみます。

明日は、9時から鵜殿の葦原焼きが行われる予定です。いつもの様にロードバイクで走る予定ですが、時間が問題ですね。(通行止めになるので左岸からまわる予定)

 輸送路としての役目を終えた淀川は、今や現代人にとって巨大な、天然のスタジアムのような存在です。土日には沢山の人が色々なスポーツを楽しんでいます。そのうち、右岸~左岸を結ぶダブルマラソンの世界大会が実現するかもしれませんネ。(根拠無し)
*2/21「鵜殿の葦原焼き」は実施されませんでした。写真は昭和60年頃の三川合流点です。京滋バイパスがありません。)
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2016年 2月10日(水)09時28分51秒
  1月23日午後2時から,諫早図書館に於いて第98回例会を開催した。
出席者は、8名。

今回は、『燕』『砂の花』『夢からさめて』の3篇を読み解いた。

会報は第92号。
内容は次のとおり。

1 「伊東静雄ノート1」                                青木 由弥子

                              (詩誌 千年樹第64号より転載)

2  詩とエッセイ『千年樹』第64号    ~伊東静雄の作品を振り返る~

                                        (長崎新聞 2016.1.9)

3 伊東静雄と近代西欧の詩人たち        伊東静雄研究会 森田 英之

項目 はじめに
   啓蒙主義
      ロマン主義
      ドイツの場合
      古典主義・ロマン主義の背後にあったカント哲学
      ヘルダーリンの復活
      古代ギリシア文化とヘルダーリン
      伊東静雄と西欧

                                           以上

次回は、2月27日午後2時から,諫早図書館に於いて開催。
 

近況雑記

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2016年 2月 4日(木)16時54分29秒
   Morgen さんの「健脚」は、うらやましい限りです。水無瀬には知人が住んでいて、訪問がてらに一度行きたいと、前々から思っていたのですが、この分では夢に終わりそうです(「飛行の夢」でなら行けそうなのですが。)

 小野十三郎『歌と逆に歌に わがバリエテ』所載の座談会は、初出の雑誌『日本浪曼派研究』創刊号のほうで読みました。私も腹を抱えて笑いました。
 伊東先生のエピソードの一つとして、"ズボンのベルトのかわりに奥様の赤い腰紐を締めて出勤した" というのがありますが、以前、花子夫人に直接うかがったところによると、それはなかった、と、否定されました。誰が言い出したのでしょうか。

 『庄野潤三全集』全10冊が古書で1万円で出ているのをみつけました。ずいぶん前に一度、天牛で3万円で出ているのを見たことがあるのですが、古書も安くなりました。

 1月は、読書があまりはかどりませんでした。月末までに読んだ主なものをあげると、
  ・加藤周一・中村真一郎・福永武彦、1946 文学的考察、講談社学術文庫
  ・中村真一郎、芥川龍之介の世界、岩波現代文庫
  ・熊野純彦、埴谷雄高―夢みるカント、講談社学術文庫
  ・中村真一郎、芥川・堀・立原の文学と生、新潮選書
  ・小久保実、中村真一郎論、審美社
  ・山本七平、小林秀雄の流儀、文春文庫ライブラリー
  ・堀田善衛、時間、岩波現代文庫
  ・村上春樹、雑文集、新潮文庫
そして、大冊
  ・中村真一郎編、立原道造研究、思潮社
を、ようやく読み上げました。
 結局、巻頭の室生犀星がいちばんよかった。中村真一郎の回想もよかった。芳賀檀の文章は何を言っているのか意味不明。
 ノートをとるという、大仕事が残っています。
 途中で止まっていた『立原道造全集第3巻』(散文)を、また始めから、読みはじめました。

 考えることはいろいろあり、自分で問題を設定しておいて少しも解答に近づいていないものもあり、ノートやメモは溜まって行きますが「生産性」がガタ落ちで、投稿するまでに至りません。まあ、ぼちぼちやろうと思います。
 

水無瀬のコミミズク

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 2月 1日(月)14時32分1秒
編集済
   昨日は天気が好かったのでいつもの通り「淀の河辺サイクリング」に出かけました。

 大山崎町の観光案内によると、最近シベリヤからコミミズクが渡って来て、水無瀬の河川敷(広瀬地区)で越冬しているそうで、フィールドカメラマンの注目を集めています。。
(添付の写真は、WEB上に公開されている写真を使わせて頂いていますが)昨日も約200人のカメラマンが、長い望遠レンズを構えて撮影していました。腹の白いオオタカも枯れ木のてっぺんに止まっていました。(生憎私はカメラを持参していませんでした。)

 写真の場所は、伊東静雄が、庄野潤三の出征を労う為に、橋本から渡し舟に乗って山崎の渡し場を通って水無瀬宮へ行った道筋に当たります。(その模様は庄野さんの日記を基にした『前途』に詳しく描写されています。)

 伊東静雄~庄野潤三の文学的継承関係の考察については、饗庭孝男さんが「庄野潤三論」(『批評と表現 近代日本文学の私』において詳しく論じられています。上手くまとまりましたら再投稿してご紹介します。

http://oyamazaki.info/

 

「詩作的思索」

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 1月19日(火)11時29分37秒
編集済
  山本様。貴重なご思索の成果を教示頂きましてありがとうございます。
「河邊の歌」の各詩句の意味が解きほぐされ、(専門家だけでなく)我々素人も詩人のメッセージを「あゝ、そういうことか!」と了解できるようになると素晴らしいですね。

人間の思索―(客観的)哲学的思索と、(主観的・始源的・根源的な)詩作的思索とは、本来的には未分化でありますが、人間にとってはどちらも不可欠であり、本質的な思索であることは言うまでもありません。

伊東静雄は、「飛行の夢」という「洒落た詩句」をつかって、「カイロス的時間」~「クロノス的時間」の間を飛び回るトランスポート的思索を披露しながら、「望郷」テーマの詩作をしているのだと、「河邊の歌」を私は位置づけました。いわゆる「詩作的思索」または「詩人的思索」(ハイデガー、ヘルダーリン“思索家的詩作”)といわれるものへの伊東静雄的チャレンジなのかも知れないなどと、その時の状況を空想したりしています。
 一言でいえば「河辺に寝転んで目を閉じると、故郷の山や川が脳裏に浮かび、そのプリミティブな思索はストレートに詩の言葉(うた)となって出てくる。」というような状況でしょうか。

私は、健康維持のために相変わらず週1~2回の「淀の河辺サイクリング」を続けていますが、秋の彩りは淀の河辺から消え失せ、鵜殿の葦も半分位はすでに刈り取られ、大阪港の「大海辺」も冬景色に変わっています。
 淀川河川敷の到る所で、名前も知らないような色々な小鳥や大型の渡り鳥たちによる、賑やかな鳴声の交感が壮んであり、まさに鳥たちの「カイロス的春」であります。太陽入射角が高くなり、日没時間が遅くなっていることから見ても「カイロス的春」がすでに始まっています。自宅前公園の河津桜も紅い蕾が膨らみ、「いつでも咲いたるぞ」と言いたいような気配を感じます。明日もまた桂川辺りまで「ペダリング」をしようかと思っています。
*添付の写真は、先日(1/16)大阪北港の淀川河口から、湾岸線方向をスマートフォンで写したものです)
 

中村真一郎から「河邉の歌」へ

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2016年 1月16日(土)12時02分24秒
   私がこの欄に「松浦寿輝氏の「エセー」」と題して、「アクチュエル」な時間と「レエル」な時間ということを書いて投稿したのは、ついこの間と思っていましたのに、調べてみるとそれは一昨年、2014年2月26日のことで、もう2年も前のことになります。その2年間という時間の過ぎ行くのが早かったことに驚きます。
 松浦氏はプルースト巻末解説の「プルーストから吉田健一へ」というエセーで、まず吉田健一の時間観を「その流動を奪はれてこれが時間だと自分の前に置ける類の」時間として取り出して、これを「アクチュエル」な時間と呼び、次いでプルーストの無意識的想起によって喚起される時間態様を「レエル」な時間と呼んで、これと対比しました。私はこれにヒントを得て「河邉の歌」を次のように読んでみたのでした。長くなって申し訳ありませんが、以下にその要点を抜き出します。

   私は河邉に横たはる
 作者は、故郷ならざるある河辺に来て横たわります。ここはまだ「アクチュエル」な時間です。
   (ふたたび私は歸つて來た)
 ここで、一つの時間断片ともう一つの時間断片とが不意に接合します。( )は、事態が「レエル」であることの、あるいは時間態様が異なることの、徴表です。
 この「超越的な時間」「純粋状態の時間」においては、アクチュエルな時間は無化され、傷ついたり豊富にされたりした時間は飛びこされます。
 「私」をふたたび「アクチュエル」な時間に引き戻すのは、ザハザハという川の音です。作者は自分が依然としてアクチュエルな時間のうちに在ることを気づかされます。万物の上を等しく流れ、正確に数をきざみ、往って戻らぬ時間というものの本性。この気づきを作者は
   私に殘つた時間の本性!
と云います。
 この時間には、生けるものの「死すべき宿命」mortalité が含まれます。作者はそれを、「はやも自身をほろぼし始める/野朝顔の一輪」において目のあたりに見ます。この宿命の、例外を許さぬ普遍性(正確さ)と、にもかかわらずその死の固有性(孤独)。

 旧稿「「河邉の歌」を読む」では私は、第三聯については適確な解釈を得られないままに、書き流してしまいました。
 最近になって、中村真一郎『芥川龍之介の世界』(岩波現代文庫)、同『芥川・堀・立原の文学と生』(新潮選書)、小久保実『中村真一郎論』(審美社)などを読みました。小久保の『論』が、

周知のようにプルーストは記憶に二種類あることに注目した。意志的な記憶と無意志的な記憶。人は後者の中で、現在と過去を同時に生きる。それは超時間の世界への飛躍である。

という、中村真一郎の著書からの引用を行っていて、私はこれに触発されて、さまざまな想念がワッと湧き上がってきました。以下、手抜きをして、箇条書きにします。

●「時間の本性」は、
  アクチュエルな時間、ギリシア語でいうクロノス的時間、吉本『固有時』に云う自然的時間と、
  レエルな時間、カイロス的時間、固有時的時間
どちらに解してもよい。後続の論理にはかかわらない。
●水中花は無意志的記憶の想起=開花である。プルースト。乾いて、ひからびて、花の色を失い、形を失い、紙屑のようなものになった水中花が、水の中で、鮮やかな花の色と形を取り戻してゆく。内田百閒「水中花」(本掲示板2006.6.4)がなぜ「水中花」なのか、やっとわかる。
●「飛行の夢」は「夢想による飛行」と言い換えられる。飛行は、夢想/レエル時間に入り込むこと/による、
  A 大阪の陋屋から本明川の河原への――。
  B 少年時への特権的時間への――。
 拙論「『河邉の歌』を読む」で引いた、杉本秀太郎氏、菅野昭正氏の、「どこからどこへの飛行か」に関する立論はいずれも妥当であると考える。
 レエル時間=「純粋時間」=「詩作時間」という米倉巌氏の所説は、もし「河邉の歌」というこの詩それ自体に適用されるとすれば、その立言はメタ・レベルにあり、この詩は自己言及的な詩であるということになる。
●第一聯は「アクチュエル」時間から「レエル」時間へと入り込む。第二聯はアクチュエルな時間に戻る。
 さて、第三聯はどの時間相に属するか?
 読み方としては第二聯の続きであって、なおアクチュエルな時間に居る、と読むのが自然である。であれば、雲の去来や取り囲む山々の存在はいずれもアクチュエルな時間におけるアクチュエルな事象である。それは、ザハザハという川の音や、萎れかかる野朝顔と同じレベルのアクチュアリテである。最後の「飛行の夢……見捨てられはしなかった」も、アクチュエルな時間に居て行う、直前のレエルな時間経験の確認である。
 そうだとすると、山々が天体の名を持つてはいけない。それがたとえば北斗七星であって、妙見岳を指す、とすれば、それは故郷の山々であり、アクチュエルな時間のアクチュエルな出来事として現れることはありえない。ここには(不注意からかどうかは措くとしても)レエルな時間の時間相が混入してきている。意図的に混入させても詩としては成り立つが、それは伊東の本意ではなかった。伊東はこの混入に気づいて、『反響』でこの行を削除したのではなかったか。
?
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2016年 1月12日(火)10時45分40秒
  12月26日午後2時から,諫早図書館に於いて第97回例会を開催した。

会報は第91号。

内容は次のとおり。

1『夏花』に寄せて                                   一柳 喜久子

                        ( 昭和45年8月冬至書房復刊・付録より転載)


2  詩 「日暮れの町で」                               井川 博年


3 詩「出発は5分でできる」                          井川 博年


4 井川氏の作品に思う                                山本 皓造


5  詩「てのひら」                                    青木 由弥子


6 詩「中心に燃える」                                伊東 静雄


7 詩人伊東静雄に触れる <諫早で作品解説 ~菜の花フォーラム~>

                 長崎新聞 2015.12.9 記事

                                             以上

次回は、1月23日午後2時から,諫早図書館に於いて開催。
 

『歌と逆に歌に わがバリエテ』(小野十三郎)

 投稿者:Morgen  投稿日:2016年 1月 9日(土)00時55分49秒
   昼休みに近くの古本屋で『歌と逆に歌に わがバリエテ』(小野十三郎著 創樹社 1973年刊)を買ってきました。(この本は昔買って読んだ記憶がありますが取り敢えず買っとこうということで…) 目次にある次の項目が目についたからです。(興味のある方は古本も多数あるようですのでご一読下さい。)
 <座談会 伊東静雄―人と文学―富士正晴・斎田昭吉・中石孝と―>
 <言語と文明の回帰線―前登志夫との対談―>

・<座談会 ・・・>の方は、全体が思わず笑わずにはおれない程に面白いのですが、次のような話はいかがでしょうか。
小野「伊東のことで面白い話があるねん。いつかうちの嫁はんとスバル座で会いよってん。ところが伊東と秋田実、よう似とるねん、顔がな。それでうちの嫁はん、初めからしまいまで秋田のつもりで話しておったんや。伊東もそれにちゃんと、ああとかそうとか言うて受けてな、相づち打っとったらしいわ。それで別れぎわに“ぼく伊東です”言うてな。」

・<―前登志夫との対談―>の方は、かつて小野さんが「短歌的な抒情の否定」というようなことを言い「奴隷の旋律」というような激しいことばを使った真意はどこにあったのか等々について、歌人前登志夫さんと対談しているのが興味深く、「なるほどそうだったのか。」と納得させられるところがありました。
 

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