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静雄詩読解の方法とは・・・?

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 2月 5日(日)00時27分55秒
編集済
   私も、学生時代に『伊東静雄詩集』や小高根氏の『詩人、その生涯と運命』などを読んではみたものの、充分に理解できないまま、静雄詩の読解を宿題として残していました。
 それから30数年経って、仕事も少し閑職(?)に替ったのをきっかけに、伊東静雄詩に関する各種の解説書や批評などを、手当たり次第に集めまくって読んでみました。その頃からすでに約15年ほどが経ってしまいましたが、充分な読解の域に達しているとは申せません。

「詩の実作者でもなく、研究者でもない者は、伊東静雄詩をどのように読解していけばよいのか?」という設問に対して説得力があると思われたのは、『痛き夢の行方 伊東静雄論』(田中俊廣著 日本図書センター 2003年刊)でした。少し長くなりますが、同書65頁から引用してみますのでご一読ください。

「その詩業が、戦前・戦中・戦後の時代と重なり、思想の変遷が著しく、高踏的で激越な作風から出発した伊東静雄については、様々な観点や立場から読解が試みられている。当時の社会情勢と照らし合わせる方法、生い立ち環境を重んじる方法、日本浪曼派の思相と比較論証する方法等、それぞれに論理にも整合性があり、読者を一旦は納得させるのであるが、同時に心のどこかにもの足りなさが残ることも少なくない。それは、作品論が充分に精緻に展開されないままモチーフや発想を論じているところに原因があるように思われる。どのような論旨を開示するにせよ、ひとまず作品全体を構造的に掌握したり、文脈を丁寧に辿ることは、欠くべからず基礎的な作業ではなかろうか。・・・・・」

 これだけの短い引用文ではあまり説得力がないでしょうが、詩句の意味を手っ取り早く理解しようと焦りすぎるあまり、田中俊廣氏がおっしゃる基礎的な作業を疎かにしてきたのではないかと反省しました。「詩作という行為が自己の生を支え、切り開いていく唯一の手段であった」という伊東静雄にとっての深刻さを念頭に置きながら、静雄詩を吟味していくことができればと思っております。またのご投稿をお待ちしております。
 
 

「詩人伊東静雄 」再読

 投稿者:dufysato  投稿日:2017年 1月31日(火)11時18分0秒
  小高根 二郎の『詩人伊東静雄 (1971年) (新潮選書)』を40年ぶりくらいに再読しました。内容は殆ど忘れていましたが、伊東静雄の詩と実生活の関連がかなり強調されすぎているなとの、感想でした。
無論詩作には詩人の実生活が色濃く反映するでしょうが、作品としての「詩」の鑑賞、解釈はもう少し別物でもいいとも思います。次は、杉本秀太郎の本を読み返します。
 

ルバイヤット

 投稿者:青木由弥子  投稿日:2017年 1月30日(月)07時36分54秒
  おはようございます。
なんだかばたはたしていて、拝読するばかりになっておりますが・・・

夏花のルバイヤットの一節をパソコンに打ち込むとき、無意識に さて音もなく と打ち込んでいて・・・後で、あ~?と思って修正しました。
口ずさんでいるうちに・・・なるほど。

わがひとに与ふる哀歌 の中の 音なき空虚 が強烈なインパクトとしてあるのですが・・・誰一人いない、そんな孤絶の空間は、シーン、とすべての音が消え去った空虚だったのかな、静雄にとって・・・
その人の 心の歌 自然の奏でる音楽 そうした心の耳に響いてくる音や歌が聞こえない、そんな状態を、空虚、と感じていたのかも知れないなぁ、と思いました。
 

映画『沈黙』―サイレンス―を観て

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 1月30日(月)00時28分18秒
  話題となっている巨匠マーティン・スコセッシ監督渾身の超大作映画『沈黙』―サイレンス―を観てきました。

 言うまでもなく原作遠藤周作『沈黙』の2度目の映画化であります。舞台となっている長崎県としては、「ながさき旅ネット」で宣伝活動を行い、「遠藤周作文学館」も「聖地巡礼マップ・『沈黙』の舞台・長崎をめぐる」などのキャンペーンを展開されています。

 撮影舞台も長崎かと思っていたのですが、実は台湾だそうです。荒波をかぶる海岸風景や「雲仙地獄」などの映像も迫力があります。原作とは、エンディングが少し違いますが、(私はクリスチャンではありませんので踏絵についての詮索などはせず)約3時間近い超大作映画『沈黙』―サイレンス―をひたすら鑑賞しました。

 この映画では、原作通り「神の沈黙」をテーマとしながらも、「棄教者」となっしまった最後の司祭ロドリゴもまた、言葉にならない祈りを心のなかで奉げ続けることによって「沈黙」を守り、死後は天国へ召されたであろうことがエンディングで暗示されています。

 『沈黙』の舞台・長崎をめぐるツアー客の流れが、諫早にも立ち寄っていただけたらいいのにと思います。(「ながさき旅ネット」へ諫早市も参加されることを期待します。)
 

『散歩道にて』

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 1月22日(日)01時02分12秒
編集済
   わが家の梅の花(盆栽)や椿(玉之浦ほか)がちらほらと開き始めました。例年は既にメジロが飛んできているはずなのですが、姿を見せません。最近野良猫が増えたせいでしょうか。寒さの中にも確実に春が近づいているのだと感じつつ、淀の河邉をロードバイクや徒歩でうろついています。

 庄野潤三さんの随筆集『散歩道から』(1995年 講談社刊)によると、毎日1万5千歩くらい歩くのを目安にして、多摩丘陵を散歩されたと書いてあります。(庄野さんは脳内出血で入院され、退院後散歩を始められたのだそうです。)

 同書108頁~127頁に「森亮さんの訳詩集」と題する「新潮/’91・6」同書では一番長い文章が収録されています。
 これには、『ルバイヤット』の「さて音もなくつぎつぎに」が、どうして『詩集夏花』では「さても音なくつぎつぎに」となったのかについて、「『ルバイヤット』からいちばん好きな四行詩を選んで口ずさんであるうちに、どうかした拍子に、すり代ってしまったのだろう。・・・」と書かれています。

 私も念のため『コギト』を書棚から引っ張り出して、埃を払って第一歌~第七十五歌まで全部を読んでみました。『ルバイヤット』の原作者は古代ペルシャの天文学者、数学者のオーマー・カイヤムですが、その思想に共鳴した19世紀の英国フィッツジェラルドは、これを極めて自由に英訳しました。大学出たての森亮さんも、「運命のまにまに生き且つ死にゆく人生のはかなさを歌い、その憂さを晴らせとばかり享楽を勧めるたぐいの思想詩」として和訳され、まさに森亮節とも言えそうな調子の良い訳詩集になっています。
 第一歌~第七十五歌や「注解」を読んでみて、そのことが良く理解できました。
 

同時代人として・・・・・

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 1月18日(水)23時55分33秒
編集済
   龍田様ご紹介の池内 紀『亡き人へのレクイエム』を読ませて頂きました。ついでに、書店にあった川本 三郎『物語の向こうに時代が見える』(2016.10.25 春秋社刊)も購入して読みました。同書には、(Ⅱ「街」と「町」さす光と影―「鳥たちの河口」とミステリー―野呂邦暢論)が収録されています。

 まず、『亡き人へのレクイエム』の著者池内氏は、1940年姫路市生まれで、次のように書かれています。(同書219~221頁要約)
 「私には野呂邦暢は三歳年長にすぎない。だからしたしい同時代人として読んだ。自分に代わって自分の何かを語ってくれる人、大切な何かを共有して、実践で示してくれた人。作家として以上に一つの人格として記憶に刻まれている。」それは、「彼がまた半ばは自分であったからだ。」(「もっとも感受性の鋭い時に戦争を知り、自分がたまたま死をまぬがれたことを、たえず考えながら成長した。だからこそ新しい生命を発見しなくてはならず、文学はまさに新しい生を証明するものとして書かれ、甦りの花として同時代人に提出された。」)
 池内氏は、そんな深い思い入れをもって、野呂邦暢の随筆や小説の成立ちを分析しておられます。

 『物語の向こうに時代が見える』の著者川本氏は、1944年東京生まれ、「『わが町の物語』は私見では、野呂邦暢の諫早ものに始まっている。小さな町から世界を、普遍をとらえる。野呂邦暢の『鳥たちの河口』は、その意味で大事な作品となった。」(同書「まえがき」)と書かれています。
 また、野呂小説には「ミステリ小説の味わい」があることを説明されており、野呂が好んだという鮎川哲也氏は「なお聞くところによると、氏には推理長編の腹案があったという」と書いておられるそうです。川本氏が1977年に新人として出された映画エッセイ集『朝日のようにさわやかに』(筑摩書房)を、「今年の成果」の一冊として野呂邦暢に推賞されたことなどが書かれています。(同書134~137頁)

 そういえば、ノーベル文学賞を贈られたBob Dylanも1941年生まれで「同時代人」です(私もまた同じく)。流浪の歌人として(あるいは池内氏の言われる「孤独の遊牧民」の如く)、世界中を歩きながら今なお膨大な量の歌を創りつづけていますが、彼もまた同時代人として「大切な何かを共有して、実践で示してくれた人」と言えるかもしれないなどという思いが、私の脳裏をふとかすめました。
 

お知らせ

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2017年 1月10日(火)16時22分17秒
  いよいよ寒波到来のようです。

池内紀著、『亡き人へのレクイエム』(みすず書房)は、皆様読まれましたか。

"したしかった人、何度か会っただけなのに忘れがたい人、本を通して会った人。出会いのかたちはそれぞれ、でもずっと大切な存在である人々について、時代と生活に思いを馳せながら、歩いたあとを辿るように書く。"

須賀敦子、川村二郎、米原万里、岩本素白、丸山薫、野呂邦暢ほか28名が登場します。

野呂邦暢の項が、最も多くの頁を割いてあります。
著者の思い入れが一番深かったのでしょう。

野呂さんが伊東静雄について言及した随筆にも触れられています。
 

お知らせ

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2017年 1月 6日(金)10時45分14秒
  おはようございます。今日は快晴です。
ヒヨドリの群れがかしましく、ウグイスのささ鳴きがしきりです。
寒に入り、日差しが強くなってきました。

今年も宜しくお願いいたします。

さて、伊藤桂一先生の新刊「螢の河」が文庫版で出版されました。
光人社NF文庫、定価850円です。
帯には、追悼 伊藤桂一 とあります。

"兵士の日常を丹念に描き、温かく深い感動を伝える戦記文学の傑作短編"
第46回直木賞受賞作品 朝日新聞『天声人語』で紹介

いよいよ21日、遠藤周作原作の映画「沈黙」が公開されます。
今、外海の出津教会辺りでは、水仙の香りが漂っていることでしょう。
 

酉どし

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2017年 1月 5日(木)14時47分47秒
   皆様 あけましておめでとうございます。
 今年の年賀状は、石上神宮の鶏の絵にしました。
 すると、昨日の夕刊(朝日)に、紹介記事とともに、写真が載っていました。
 おお、慧眼!(好きですね)
 掲示板読者の皆様に、年賀状をお送りします。
 

酉年の始めに・・・・・

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 1月 4日(水)23時35分42秒
編集済
   明けましておめでとうございます。 ぽかぽかと穏やかな正月3が日でしたが、皆様、健やかにお過ごしになられたでしょうか。私は、自宅の大掃除をやっと済ませて、大晦日からの「大町温泉郷連泊ツアー」(北アルプス麓)に参加し、帰ってから孫ら一同と食事会をして、あっという間に休暇が終わり、明日から仕事始めです。

 先日、映画「海賊とよばれた男」を観ました。
 内容は、出光興産創業者の出光佐三氏(福岡県宗像郡赤間村出身)をモデルにしたといわれる主人公・国岡鐵造が活躍する歴史経済小説。敗戦の焼け跡から立ち上がる諸先輩たちの力強い姿が描かれています。石油の将来性を見抜いていた国岡鐡造は、北九州の門司で石油業に乗り出しますが、国内の販売業者や欧米の石油メジャーなど、様々な壁が立ちふさがります。それでも諦めないきれない鐵造は、型破りな発想と行動で自らの進む道を切り開いていきます。やがて石油メジャーに敵視された鐡造は、石油輸入ルートを封じられてしまうが、唯一保有する巨大タンカー「日承丸」を秘密裏にイランに派遣するという大胆な行動に出て、民族系石油販売業の船出を高々と宣言します。(WEB上の文章を一部拝借)
 その中で「ルソン島のジャングルをさ迷い歩いた俺達には、こんな事ぐらいなんでもない。」と頑張る男たち。「お前は熱量が足らんのだ!」と、旧将校を叱り飛ばす国岡鐵造のすさまじい気迫など、数々のシーンや台詞が印象に残りました。(原作では「君の真心が足りないからだ。」ですが、映画では最近のはやり言葉「熱量」に変わっている。)

 昨年は、ヨーロッパで猛威を振るったポピュリズムの大波が、遂にアメリカへ飛び火し、世界中が驚かされました。何れの国民も「超高熱量」を秘めた型破りのリーダーに自国の生き残りを託さざるを得ないところまで追いつめられているのだというナショナリズムの今日的な姿が露わになったのだと私は見ています。(日本にもその端緒はある。)

 身の回りを一瞥しても、「高火力コンピューティング」の推進~「超高火力」のスパコン導入、人間の能力を超える「人工知能」(AI)開発など、目の眩むような事業環境の変化が、今年はさらに加速されそうです。「高火力・高熱量化」を推進する若者たちの熱い躍動に取り残されないように、(己の年を忘れて)私なりの精一杯の「熱量」を発揮して、(せめて腰が引けないように)前を向いてついて行たいと思います。(“ドンキホーテじみた年寄りの年頭の決意”とお笑いください。)

 皆様、今年も相変わりませず投稿を通じてお付き合いいただきますようお願いし、どうぞ健やかな一年をお過ごしくださるようお祈りいたします。(写真は私の年賀状に載せた酉です。伊豆の動物園で撮影。)
 

昨日の投稿

 投稿者:青木由弥子  投稿日:2016年12月29日(木)12時08分22秒
  クラリモンドは、ラテン系の女性の名前かもしれない、ということでした・・・その後の調べで、わかったことだそうです。
記事の編集がうまく出来なかったので、投稿で訂正します。
 

詩の妖精

 投稿者:青木 由弥子  投稿日:2016年12月28日(水)13時22分34秒
  山本さま

窓ふきを終え、一休みです。
作者がどこからイメージを得たか。それが、どのように変容して、詩になっていくのか。
それが読者に、どのように伝わって行くのか・・・その変化やずれや広がって行く空間に「読む楽しみ」があるような気がしていて、勝手に面白がって読んでいます。もちろん、「研究」の場合は別、ですが・・・。

くらり、くらくら・・・する mondo めまいのするような、それでいてどこか明るい語感だなあ、などなど・・・。

『びーぐる』28号の石原吉郎特集で、『詩と思想』の一色真理編集長も論考を寄せていました。
「クラリモンド」は、ロシアの極東地方によくある人名だそうです。(モデルがいるのかも。)
クラリモンドが目をつぶり、その心の中で「肩の上に乗る白い記憶」がさらに目をつぶり、その記憶の中でまたクラリモンドが目をつぶる。これはマトリョーシカ人形のようだ、と評していて、おお!と感嘆。
シャワーのように降り注ぐ記憶、というのも、物凄いイメージ(体感)ですが、感覚的によくわかる。(こういう、エエッという驚きと、なるほど!と他者に容易に伝わる表現を見つけたいです)
一色さんは「ママレードには愛が」、の一節に(音の響きから呼び出される)「ママ」と過ごした幼年時代を見ていて、もちろんそれが「正しい」かどうかはわかりませんが、素敵な解釈だな、と思います。「赤とみどりの/とんぼがえり」はサーカスのピエロ、空にたなびくリボンはサーカス小屋のイメージ。一色さんは「白い記憶」は白い帷子を着た死者の暗喩と読んでいて・・・サーカス小屋に張られたロープの上で、自転車の曲乗りをしているピエロが肩にシベリアの死者を乗せたままとんぼがえりをしている、という光景を導いていく。独自の解釈ではあるけれど、こうした振り幅(解釈の多様性、多義性)を許す詩だからこそ、谷川俊太郎が石原吉郎の詩は、説明できないけれど、これは詩なんだ、と評価したのだろうと思います。

目をつぶって、内へ内へと入り込んでいくと見えて来る幸福な光景・・・あるいは、目をつぶり、外側の現実から内へ内へと遠ざかって行かなければ辿りつけない、幸福な場所・・・シベリアでも心の内部にしまい込まれ、失われることのなかったもの。心の中の青空の下でリボンがたなびく場所。陽性の詩の妖精、クラリモンドが躍動しているその「場所」が、堀辰雄や立原道造の詩に敏感に反応し、石原に詩を生み出させる現場となったのではないか、などと思っています。

http://yumikoaoki.exblog.jp/

 

妖精 ?!

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2016年12月28日(水)12時23分27秒
   野村喜和夫さんの『証言と抒情』が届いたので、さっそく読み始めました。しばらく読み進んだところで、

 クラリモンドとは誰だろう……クラリモンド……妖精! WAO!

「自転車に乗るクラリモンド」のはじめの部分が引用されて、「クラリモンドとは誰だろう」と自問のあと、1974年2月25日付佐藤紘彰宛石原書簡の一部が引かれます。

  クラリモンド(ドイツの怪奇作家 Hans Ewers の小説に出てくる妖精の名で Klarimond、小説の題名も同じ)[野村p.55]

 続いて野村さんは、細見さんもこの詩と、同じく佐藤書簡を取り上げ、ただし題名は「蜘蛛」という短編で、石原の勘違いではないか、と指摘されている旨が紹介されています。
 石原さん自ら、クラリモンドは妖精だ、と云っておられる。これは私の慧眼か、と自惚れてはいけないので、私の喜びはヌカ喜びというか、つまり、細見さんの本は私も読んで、だから当然当該個所も目にしているはずなのですが、ただ、私はそのことをすっかり忘れてしまっていた、というにすぎない。
 細見さんの本を開いて探すと、p.194以下に、該当する記述がありました。けれども「妖精」の個所には、私の手による傍線も書き込みもありません。それで、おそらく、私の目はこの語の上を何の注意もせずに滑って行って、意識的な記憶にはとどまらず、ただ無意識の領域にその痕跡を残して、次に前回の投稿を書いているとき、知らぬ間にそれが浮かんできた、のでしょう。こういうことを長々と書くのは見苦しいので、弁明はこれでやめます。
(でも、クラリモンドはほんとに妖精か?……)
 

野村喜和夫さんのこと――青木様へ

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2016年12月23日(金)15時38分49秒
   野村喜和夫さんのお名前は、『現代詩手帖』2015.11月号の座談会で知りました。(他に細見和之、佐々木幹郎の各氏が出席。)
 石原の詩「祈り」については、細見さんがその著書で指摘しておられる、「祈り」「悔い」「風」「午前」「きよらか」等の「語彙からしてもこの作品は立原的」、「なによりも作品のたたえている情緒がきわめて立原的」などの点はほぼ首肯できるのですが、それよりも、そこから数ヶ月での「夜の招待」への転位の速やかさ、佐々木氏の云う〈激変〉が、私にはむしろ鮮烈でした。どうも、石原作品の全体を通時的に〈抒情〉という語で括るには、私の感性にどこか障碍があるようなのです。(蛇足ですが、石原の詩には立原と違って「少女」が出て来ませんね。「クラリモンド」は、少女というよりは、あれは妖精ではないか。)
 野村さんは座談会で、ベンヤミンと云い、名づけと云い、「名づけとしての言語行為については、近刊のぼくの論を読んでいただきましょう」と云われる。そうか、と、『証言と抒情』を手に取るはずみがつきました。
 なお、『風立ちぬ』への立原の解説云々についての青木さんのご指摘と推測には、私も同意します。また、講演会での質疑応答の様子を細見さんにもお知らせなさった由、お返事がありましたら、せひご披露ください。
 

フォーラム

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2016年12月22日(木)11時13分2秒
  12月10日、伊東静雄生誕110年を記念して、「第11回 菜の花フォーラム」を開催しました。

師走のお忙しい中、多くの皆様が足を運んで下さいました。
奇しくも、この日は伊東静雄の誕生日であり、市川森一の忌日でもありました。

1 諫早男声合唱団の皆様が、力強くそして叙情溢れる歌声を披露して下さいました。

  歌曲:伊東静雄作詞の「燕」「小曲」

    永六輔作詩「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」ほか

2 講演:「詩との出会い~ことばの力」

    講師 二羽史裕氏(活水女子大学講師)

3 ビデオ上映:「わが故郷の詩~諫早~」

    企画 諫早市
  製作 株式会社イワプロ

   テレビアニメ「日本昔ばなし」でおなじみの常田富士男さんが、ナレーションを勤めておら
   れます。その若々しい声に聞き惚れました。

  今は見られなくなった、諫早湾の干潟を乱舞する野鳥の姿が懐かしい。
 判決で確定した排水門の開門調査をかたくなに拒む国は、100億円の基金を餌
  に一部の漁業者を釣り上げようとしています。
   どぶ溜にいくら札束を放り込んだとて、有明海の再生など出来る訳はないのに。

4 フリートーク:参加者の皆様のご意見交換
 

龍田さま

 投稿者:青木由弥子  投稿日:2016年12月19日(月)18時04分50秒
  人の記憶の不思議さというものに関して、先日ご紹介頂いたお話も、大変興味深かったです。
人は・・・物語としてしか、記憶できない、あるいは思い出せない、のかもしれません。
黒田喜夫シンポジウムに行ったときも、葬儀の際の記憶が、参列者それぞれに違う、という驚きがありました。ある人はカンナが真っ赤に咲いていた、と言い、ある人は、カンナなどはなく、くちなしが強く匂っていた、といい・・・ある人は棺が重かった、といい、また別の人は驚くほど軽かった、という具合。
記憶のストーリー、その再生の不思議を思います。
 

山本さま

 投稿者:青木由弥子  投稿日:2016年12月19日(月)17時55分50秒
  お元気そうでなによりです。

11月に新宿で野村喜和夫さんの講演を聞く機会がありました。その時のことを少し。

与えられた演題は立原道造と石原吉郎だが、二人の接点は細見さんが紹介しているエッセイに頼るしかない、と前置きした上で、石原帰国後1年後の、立原風の詩「祈り」などを紹介してくださいました。

祈りは ことのほか/やさしかつた/悔多い やわらかな/てのひらのなかで
祈ることは やはり/うれしかつた/てのひらのなかで 風が/あたたかにうごいた
祈りのなかで/午前がすぎそして/午後がかさなつた/時刻はさみしく しかし/きよらかにすぎた
夜がきて 星がかがやいた/私はその理由を考えなかつた/私は てのひらのなかで/夜あけまで起きていた

石原の抒情の形成に、堀辰雄や立原の世界との出会いは大きく影響しているようです。

ただ、事実としては、石原のエッセイは正確ではないようです。質疑応答の時、堀辰雄の詳細な書誌が出ているが、立原が解説を書いたことはないはずだ、という指摘がありました。
私自身が調べた訳ではないのですが、立原は早逝していますし、弟子すじの青年に解説を依頼することも考えにくい。
恐らく、石原吉郎の帰国後に堀辰雄の『風立ちぬ』との衝撃的な出会いがあり、その関連で立原の「風立ちぬ論」を何らかの形で読んだのでしょう、その記憶が、時が経つにつれて、エッセイに記されたような「物語」として記憶され直したもののようです。
(細見さんには、そのときの質疑応答の模様をお知らせしてあります。)

野村喜和夫さんのお父様もシベリア抑留体験があるとのことです。その事もきっかけとなり、『証言と抒情 詩人石原吉郎と私たち』をご執筆することになったとのことでした。
 

石原吉郎と立原道造

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2016年12月19日(月)11時35分29秒
    ** Morgenさんのお父上がやはりシベリアからの帰還者であることを知って、どう申し上げてよいか、私には言葉がありませんでした。そのような経験をした親を持つ世代というのは、おそらく私たちが最後なのでしょうか。なにしろ、総理大臣がすでに「戦争を知らない」ひとなのですから。

   ---------------------------------------------------

 昨年か一昨年か、立原道造を読みはじめ、いくつかの評伝と、全集をほぼ読み終えたところで、一度中断し、それから入退院があって、最近まったくの偶然から石原吉郎を読むようになり、しばらくしてこの二人、立原と石原が突然結びついたので、驚きました。といっても、私にできるのは、いくつかの文章を部分的に孫引きすることだけですので、あらかじめお許しを願っておきます。

 石原吉郎に「私の詩歴」という文章があります。これは『断念の海から』所載のものを細見和之さんが『石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』(中央公論社)に一部引用されているのを、ここに孫引。

一九五三年冬、舞鶴の引揚収容所で私は二冊の文庫本を手に入れた。その一冊が堀辰雄の『風立ちぬ』であった。これが私にとっての、日本語との「再会」であった。戦前の記憶のままで、私のなかに凍結して来た日本語との、まぶしいばかりの再会であった。「おれに日本語が残っていた……」息づまるような気持で私は、つぎつぎにページを繰った。その巻末に立原道造の解説があった。この解説が、詩への私自身ののめりこみを決定したといっていい。東京に着いた日に、私は文庫本の立原道造詩集を買い求め、その直後から詩を書き始めた。」

 ここで二冊の文庫本と云っているもう一冊は、ニーチェの『反時代的考察』だそうです。
 前引の文章は、

「そんななかで、私はすがりつくように詩を書きつづけた。どれもこれも立原道造ばりの感傷的なものばかりであったが、……」

と続いて行きます。
 同じ事実を落合東朗『石原吉郎のシベリア』(論創社)が紹介しています。同書によると、ナホトカを出た復員船興安丸は1953年12月1日舞鶴港に入港、援護局の寮に入る。2日、復員式。正式に軍籍を離脱。3日の夜、東舞鶴発の臨時列車で帰郷の途につく。5日午前品川着。弟宅に落ち着く前に銀座を歩く。この日、石原は[銀座で]文庫本の立原道造詩集を買い求め、その直後から詩を書きはじめます。
 落合氏は石原の「詩を書き出すまで」『現代詩体系12』月報、1976年2]月)から引用しています。内容は「私の詩歴」とほとんど同じです。

 細見さんは前引の本で、石原の「自編年譜」および「私の詩歴」に拠りつつ、その青年時代の文学/思想/信仰遍歴をかなりくわしく辿っていますが、「堀」「立原」との接触を思わせる記述はありません。鮎川信夫がある座談会で、

「あんがい彼は、立原道造とか堀辰雄とか、ああいうふうな文学が好きだとかさ、あるいは北條民雄の『いのちの初夜』だとか、そういう若い頃に影響を受けた文学の線から考えればいいんであって、だから、実際はすごく迷惑な話だったと思うの、収容所体験っていうのはね。」

と述べて、石原が青年時代、堀/立原に親しんでいた、ふうのことを示唆しているのですが、典拠が不明です。ここであえて愚見を述べるならば、もし石原と立原をつなぐものがあるとすれば、それは「四季派的抒情」のようなものではなくて、その「詩語」「詩法」においてであろう、と思うのです。たとえば、立原の〈風〉と石原の〈風〉。私はこの語の内包と用法を並べてみて、そんなふうに思いました。

 さて、石原→立原をつなぐもう一本の糸について。

「ある建築家から聞いた話ですが、立原道造という詩人は東大の建築学科の出身で、その卒業設計は、やがては廃墟となることを予想した建築物の設計であったということです。……その話を聞いたとき、瞬間的に私が思ったことは、何よりも建築家である前に、立原道造は詩人であった、ということでした。」(「断念と詩」、『石原吉郎セレクション』所収)

 「断念」は、石原のキイ・タームのひとつで、これをめぐって書かれた評論だけでもずいぶんの数になると思います。悲しいことに私には、今はまだ何も書けません。今、枕元に積んである書物が一段落したら、『立原道造全集』のうち、最後にただ一篇、残してあった卒業論文「方法論」を、読もうと思っています。
 

昔日の客

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2016年12月 9日(金)10時50分16秒
  青木由弥子様、「折々のことば」をご紹介下さり有り難うございました。

このコラムは、鷲田清一さんが書いたものですね。
私が、野呂さんの随筆を読んだ記憶に照らすと、ニュアンスが異なります。

"ある日、野呂さんがいつものとおり手持ちのお金が乏しかったので、均一本の値切りを例によってお願いした。

通常は、野呂さんの願いに応じてくれる店主が、その日はたまたま腹の虫の居所が悪かったのか、激怒して断られた。

諫早に帰ることになり最後に、前から欲しかった高価な本を買うことにして、値札どおりのお金を差し出した。
そして、帰郷することを店主に告げると、店主は黙って値引いてくれた。"

以上が、私の理解です。
関口良雄さんは、値切りを嫌ったいう訳ではないのです。
 

ツイッター

 投稿者:青木由弥子  投稿日:2016年12月 8日(木)18時36分28秒
編集済
  ツイッターで流れてきました(笑)
https://twitter.com/yokoushio/status/805438725933015040
野呂さんのエピソードが、朝日新聞の折々の言葉、に掲載されたとのことです。
 

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