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読書近況

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2015年11月12日(木)15時08分59秒
  またごぶさたをしてしまいました。掲示板はずっと見ていて、楽しく、力づけられるのですが、身体がついて行けませんでした。ぼつぼつ馴らし運転をしようと思います。

朱雀さんがブログで「もうろく帖」と題して、鶴見俊輔をとりあげておられます。現代思想「鶴見俊輔」特集、それから津野海太郎『百歳までの読書』。あゝ、同じ本を読んでハルなあ、と思わず頬が緩みました。先ごろ、河出文庫の『鶴見俊輔コレクション』全4冊を読んだばかりでした。サークル運動、思想の科学、ベ平連……これらは昔の話ではなく、私などには「並走してきた」感のほうが強いのです。

櫟原聰さんの名前は、東大寺学園にかかわりのある知人から「伊東静雄を書いてはる」と教えられて、読んでみたいと思ったのはもうずいぶん前のことですが、そのままになっていました。Morgenさんの投稿に触発されて、日本の古本屋に注文した『夢想の歌学』が届いたので、昨日から読み始めたばかりです。読みごたえがあります。思うこともいいろいろあります。ゆっくり読み進めようと思います。

神品芳夫『リルケ 現代の遊吟詩人』をようやく読み終わりました。後半の描き下ろし部分の評伝は最新の稿だけに、斬新で刺激的でした。また、ドイツ語の詩を読むという営みの現場を近々と見せてもらって、これも有益でした。「豹」が時期的には早く成立していながら『新詩集』のためにとっておかれた、ということに関連して、私は伊東の『夏花』の巻頭詩「燕」について思うことがあるのですが、機会を改めます。
 
 

淀の河邉(サイクリング)

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年11月11日(水)23時09分54秒
   ・・・・・
  こことかの ふたつの岸の
  高草に   風は立てれど
  川波の   しろきもあらず
  かがよへる 雲のすがたを
  水深く   ひたす流は
  ただ黙し  疾く逝きにしか
 ・・・・・
  (『淀の河邉』から)

 最近、私は年甲斐もなくサイクリングに凝って、「年寄りの冷や水」だと笑われています。
 先月から、『淀の河邉』サイクリングと自称して、十三~大山崎間を4往復しました。

 河川敷の風景は、今ちょうど「百千の草葉もみぢし 野の靭き琴は鳴り出づ」という快適な状態で、秋の色が深まっています。

 大山崎町歴史資料館では企画展「河陽離宮と水無瀬離宮」を拝見してきました。こんな狭い場所に、9世紀以来数々の遺跡が密集して存在することに驚きました。
 昨夜は、東京出張の帰路、新幹線で10分弱で帰ったコースを、今日は2時間もかけて走るとは、我ながら物好きだと笑えます。
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年11月 9日(月)11時16分8秒
  10月24日午後2時から,諫早図書館に於いて第95回例会を開催した。
出席者は9名。

今回は、「河辺の歌」「漂泊」の2篇を読み解いた。

会報は第89号。
内容は次のとおり。

1 伊東静雄論
                                                        山崎  脩


2  伊東静雄のこと
                                                        大山 定一

3  存在と時間②
                                                        小滝 英史

                            平成27年10月 「水鶏」2号


4 詩 「りんご」
                                               久坂 葉子

5  今月の鑑賞詩 「河辺の歌」アラカルト
                                                        上村 紀元

                                                                以上

  12月5日開催予定の「第10回菜の花フォーラム」について、打ち合わせを行った。

 11月の例会は,28日午後2時から,諫早図書館にて開催します。
 

菜の花フォーラム のお知らせ

 投稿者:伊東静雄研究会  投稿日:2015年11月 8日(日)10時46分18秒
  伊東静雄生誕109年 第10回菜の花フォーラムのご案内

日時 平成27年12月5日(土曜日)午後1時30分~
場所 諫早図書館 視聴覚ホール

1.CD わがひとに与ふる哀歌 中田直宏作曲・諫早混声合唱団・諫早交響楽団
2.講演「伊東静雄からの手紙」 大塚 梓氏
3.講演「誤読こそ正読」    平野 宏氏
4.フリートーク        参加者の皆さん
5.閉会            伊東静雄研究会

入場無料・予約不要 お気軽にご参加ください。問合せ 0957-22-0169
 

帝塚山派文学学会

 投稿者:上村紀元  投稿日:2015年10月28日(水)17時22分48秒
  帝塚山文学学会設立記念講演会のお知らせ

1.平成27年11月1日(日)13時20分~
2.帝塚山学院住吉校舎南館地下1階AVホール
3.記念公演 「帝塚山派文学」木津川計氏
4.記念シンポジウム
  「住吉の歴史と文化」「徳島と庄野英二・潤三兄弟」「坂田寛夫の文学」など

 昭和の時代、住吉の地には「帝塚山文化圏」とも呼ぶべき誇り高い文化の世界が存在しました。文学の世界では、藤澤恒夫・長沖一・伊東静雄らの戦前からの文学活動に、戦後、石濱恒夫・庄野英二・庄野潤三・坂田寛夫たちの新進作家が加わり、大阪文学の大きな流れを形成しました。帝塚山学院では、その文学者たちの作品を研究と再評価のために「帝塚山派文学学会」を設立します。ご参加ください。入場料無料
 

「うたと詩」

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年10月27日(火)17時41分1秒
編集済
   近畿、関東では「木枯らし一番」が吹きました。皆様如何お過ごしでしょうか。

 弁当箱の形をした森鴎外『うた日記』の頁をめくりつつ、そこに載せられている「うた」(短歌もあれば詩も俳句もある)をぼんやり眺めていると、20年ほど前に刊行された檪原聰(*)『夢想の歌学』という本のことを思い出しましたので、抜粋してさわりの部分を紹介します。 (*いちはら さとし 歌人 1953年6月1日~ 東大寺学園中学校・高等学校前教頭 奈良市在住 前登志夫門下) 興味のある方は是非ご一読下さい。(日本の古本屋に在るようです。)

 歌人・前登志夫(*)は、「伊東静雄の詩『曠野の歌』のリズムは“よくぼくを脅かしたなとおもう”」と言いました。その言葉について、『夢想の歌学』の中で檪原さんは次のように解説しています。(*1926~2008 吉野の歌人 前川佐美雄門下)

 前登志夫をして、この詩のリズムは“よくぼくを脅かしたなとおもう”」と言わしめたものは何か? それは、そのモティーフが「短歌的」であるばかりでなく、そのリズムも短歌になりうるような音楽的要素をもち、しかも、短歌とは明らかに異質な音楽を発しているからではないか。

 また、檪原さんは『夏花』所収の「そんなに凝視めるな」を静雄詩中最高の到達点であると評価されたうえで、『哀歌』~『夏花』の変遷について、興味深い見解を示されました。

 『哀歌』はきわめて「発出的な詩集である。」

「発出的とは何か?」について、
(a) 自己(われ)が求心的に存在し、その求心的自己から外界にむけて歌がとび出していること。
(b) つねに内界から外界にむけられた視線であること。

 それが『夏花』においては、(静雄詩「そんなに凝視めるな」をご参照下さい。)
(a) 多様化した自己(われ、われら)に変化。
(b) 視線は相対的なまなざしへと転回。

 このように「そんなに凝視めるな」においては、凝視し続けてきた過去のあり方を変えて、観るまなざしは深まるが、そこに自然の多様と変化を認め、それを「讃歌」として歓ぼうと言っている。この詩は、ヘルダーリンでもリルケでもニーチェでもない伊東静雄独自の最高の到達点ではないだろうか。というのが、『夢想の歌学』において檪原聰氏が示唆された興味深いご教示でした。
 

野口寧齋と森鷗外

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年10月19日(月)23時43分31秒
編集済
  絵に描いたような秋晴れの一日、朝から町内会の公園掃除(約2時間)で汗を流し、午後からは「淀の川辺」サイクリングに出かけ、約75キロを走りました。(スピードメーター付のロードバイクで)

 先日、森鷗外記念館でコピーしてきた資料の一部をご紹介します。

 1、野口寧齋「舞姫を讀みて」
 2、漢詩による野口寧齋と森鷗外の交信

 森鷗外は、明治21年9月8日、ドイツ留学から帰朝しました。ところが、別の船でエリス(エリーゼ・ヴィーゲルト)という若いドイツ女性が鷗外の後を追うように来日したのです。森家一族はエリスを説得してドイツへ帰らせました。
 この件はそれで無事落着したのですが、色々な噂話が拡がり、それらを打ち消すために翌22年の暮れに、鷗外は『舞姫』という人情本的な小説の原稿をドイツ留学記念3部作のひとつとして書きました。まず家族や友人に『舞姫』を読み聞かせ、その理解を得たうえで、『国民之友』(明治23年1月3日)の新年付録として『舞姫』が発表されました。

 これは各方面で評判となり、森鷗外は小説家として華々しくデビューする結果となりしました。ところが、評論家石橋忍月のように森鷗外を薄情者として非難するものも多く、野口寧齋にも評論文を書いてくれという依頼が鷗外からあったそうです。そこで、寧齋は添付しているような「舞姫を讀みて」という批評を『志からみ草紙』四号に載せたのです。(少し汚くなって済みません)

 鷗外は、寧齋が「真正の恋情悟入せぬ豊太郎」と言うとおりで、「太田は真の愛を知らぬものなりと。」その幕引きを図ります。

 寧斎の評論文をめぐっては賛否両論があり、また『舞姫』論争は今日まで続くテーマとなっています。それはそれで大変面白いのですが、必要があれば「寧斎の評論文をめぐる賛否両論」について再投稿します。
 

再び、秋模様

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年10月15日(木)13時53分19秒
  上山公園にある野呂邦暢文学碑の周りには、キンモクセイの香りが漂っています。

そばの銀杏の木の葉は、ほんのりと色づいてきました。
 

『陣中の竪琴』を贈った意図

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年10月12日(月)01時08分20秒
編集済
    今年の秋は、何となく「足が速い」ような感じがしますね。
 我が家の狭い庭でも、すすきや藤袴が9月早々から花を開き、盆栽の山柿やアケビが早くも色づいています。

 先日は、東京の会議が予定より早く終わったので、「森鷗外記念館」に寄って『志がらみ草紙』の総目次から、幾つかを選びコピーをしてきました。(記念館の2人のお嬢さまには大変お世話になりました。感謝!)

 前回の投稿では、「昭和16年の春、庄野潤三は伊東先生から富山房文庫の佐藤春夫『陣中の竪琴』を貰った。」話を書きましたが、昭和16年の春というのはまさに太平洋戦争が始まる前夜ですね。
 “伊東静雄が、庄野潤三に森鷗外『うた日記』へ目を向けさせた本当の意図がもうひとつあったのではないか”ということを私は感じました。

 “刻々と迫りくる日米開戦、学生や文学者さえも徴兵の運命からは逃れられない。そうであれば、日露戦争の渦中という過酷な情況のなかで、少しでも「精神的な自由」を保とうとした森鷗外を見習うべきではないのか。”というのが伊東静雄の言葉にならない教訓としての森鷗外『うた日記』への注目であり―その解説書・佐藤春夫『陣中の竪琴』を贈ったもうひとつの意図ではないのでしょうか。
 「・・・・・木がらしに波立つ天幕の焚火のほとりに、鉛筆して手帳の端にかいつけられし長短種種の国詩を月日をもてついで、一まきとはしつるなり。・・・・・」(明治40年『うた日記』の森鷗外による広告文)

 伊東静雄に日露戦争中の森鷗外を見習えと言われても、森鷗外の強烈な自制心や意志力、多彩な才能、猛烈な努力―どれをとっても超人的であります。その一部分でも見習えないものかと憧れるのが我々凡人としては精一杯のところですね。
(写真は、森鷗外記念館の庭にある「三人冗語の石」です。)
 

秋の気配

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年10月 9日(金)18時28分43秒
  庭のキンモクセイが、かぐわしい香りを漂わせるのもまもなくです。

今日の雲仙は、すっかり秋でした。紅葉は未だの様です
草むらに、ワレモコウとリンドウを見つけました。

 吾亦紅すすきかるかや秋草の寂しききはみ君に送らん  牧水
 

「日本語の上手な詩人」(庄野潤三『クロッカスの花』から)

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年10月 6日(火)14時51分31秒
   随分秋めいてまいりましたが、皆様は如何でしょうか。私は早速風邪を引いてしまいました。(明日から東京出張というのに・・・)
 投稿の流れからいって次は「萩原朔太郎かな?」と大それたことを考えていたのですが、どうも短く、すっきりと論旨がまとまらず、難しそうなので先に延ばします。

 中継ぎというわけではありませんが、良く知られている本・庄野潤三『クロッカスの花』にある、「日本語の上手な詩人」というエッセーの中から、これも良く知られた話一題。

昭和16年の春、庄野潤三ははじめて堺市三国ヶ丘にある伊東先生の家を訪ねて行ったら、富山房文庫の佐藤春夫『陣中の竪琴』を貰った。

(以下『クロッカスの花』173~5頁から抜粋)
 伊東静雄は、私に森鴎外と佐藤春夫を読むことを勧めてくれた。この二人が自分は好きだ。日本の文学の中に鷗外と佐藤春夫を結ぶ流れというものがあって、それに自分は心を惹かれるという風にいった。
・・・・・何に対する情熱か。戦場という異常な環境に置かれた鷗外が、事物にふれてどのように詩興を高められたか、それをどう表現したか、一行一行を追ってその制作の機微を明らかにしようという情熱である。すぐれた詩人の手にかかると、日本語がどんなに短い言葉で、どんなに微妙な働きを示すか、その生きた手本に対する讃美の念が著者の佐藤春夫にあった。それが、この情熱を生んだのであろう。・・・・・


どうかして生涯にうたひたい
空気のような唄を一つ。
自由で目立たずに
人のあるかぎりあり
いきなり肺腑にながれ込んで
無駄だけはすぐ吐き出せる
さういふ唄をどうかしてひとつ・・・・・
(佐藤春夫「或詩人の願ひ」)


*富山房文庫の佐藤春夫『陣中の竪琴』は、森鴎外『うた日記』の鑑賞の手引きとして、昭和9年に出版(昭和14年再版)されたものです。

 

ジョーさん 有難うございます。

 投稿者:上村紀元  投稿日:2015年10月 2日(金)10時52分32秒
  「大山定一全書」リンク有難うございます。「伊東静雄のこと」は、その後の「伊東静雄とドイツ抒情詩」「良心のうずき歌う」三部作の序章で、適切に静雄の詩を語っている数少ない評論の一つだと思います。大山定一によるリルケをはじめとするドイツ詩抄の翻訳詩が、静雄の創作意欲をかきたてたか容易に想像できます。
 昭和49年年大山没後「大山定一 人と学問」が刊行されました。桑原武夫、吉川幸次郎、富士正晴等による追悼文が寄せられ、翻訳に精魂を注がれた大山定一の人となりが描かれています。
 

伊東静雄のこと

 投稿者:ジョー  投稿日:2015年10月 1日(木)18時49分34秒
  三度目(?)の投稿になります。

マイHPをテーマを絞り込みリフォームし「大山定一全書」と改名いたしました。
以降随時更新していく予定です。
リフォーム記念(?)として「資料室」にて、現在では入手が困難と思われます大山定一が1954年に「塔」に発表した「伊東静雄のこと」を再録しております。類似文献として「伊東静雄全集」(1961年)の付録資料「伊東静雄とドイツ抒情詩」がよく知られるところですが比較参照いただければとの思いです。

よろしくお願いします。


「大山定一全書」
http://www.tcn.zaq.ne.jp/palette/

http://www.tcn.zaq.ne.jp/palette/

 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年10月 1日(木)09時52分17秒
  9月26日午後2時から,諫早図書館に於いて第94回例会を開催した。

今回は、「有明海の思ひ出」「かの微笑のひとを呼ばむ」「病院の患者の歌」
の3篇を読み解いた。

会報は第88号。
内容は次のとおり。

1 暁天の星──伊東静雄「野分に寄す」を読む
                                                        青木 由弥子


2  詩 「野分に寄す」
                                                        伊東 静雄

3  詩の読み方── 小川和佑近現代詩史
                                                        小川 和佑
    *意志と憧憬の恋歌

    *「哀歌」の構造

4 詩 「月光」                                          永山 絹枝

                                           平成24年「詩人会議」3月号

5  「水晶観音」
                                                        伊福 重一

6  「わがひとに与ふる哀歌」に思う         2015.9.15
                                                        松尾 静子

7 はがき随筆 「水澄むの候」
                                                        龍田 豊秋

                             平成27年9月18日毎日新聞長崎県版掲載

                                                                以上

10月の例会は,24日午後2時から,諫早図書館にて開催します。
 

謹んでご冥福をお祈りいたします。

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年 9月29日(火)17時58分28秒
編集済
    内田健一先生には、高2の時に教わりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 萩原朔太郎も、リルケも。お母さんが偉くて、母親には生涯頭が上がらなかったという共通点があると言われているのですが、伊東静雄もお母さんが立派だったのですね。
 風木雲太郎先生は高1の担任でしたが、あまり個人的な触れ合いや特別な思い出などはありません。同級生の中でも特に田舎者であったために、教室の掃除を熱心にやって「掃除大臣に任命する。」と褒めて頂いたことくらいです。

 その頃から数えると57~8年が経っているのですが、若い人たちに助けて頂ながらまだ会社に籍を置いています。身体が辛いと思ったことはありませんが、脳の力は確実に衰退しているのを実感します。
 昨日は「伊東静雄研究会」で発表された皆様方の作品や論文を上村様からお送り頂き、拝読させて頂ました。各方面から、色々な刺激を受けて、好奇心を旺盛に働かせることが、老後を健康に生きていく秘訣なのかもしれません。
 これからも、何でもない処に敢えて問題を見つけて、自問自答しながら生き長らえて、諸先生方のような長寿に恵まれればいいなと思います。
 

内田健一氏を偲ぶ

 投稿者:上村紀元  投稿日:2015年 9月28日(月)17時20分9秒
  「伯父から聞いた静雄さんのお話」吉田伸太郎さんにリンクして頂きました。伯父とは伊東静雄といとこ同士の内田健一氏のこと。氏は昭和43年3月『果樹園』145号に「思い出」を執筆、身近な人にしかわからぬ静雄のエピソードを正確に記しておられます。
 内田氏が、諫早高校で教鞭をとられた時期、教え子に芥川賞作家の野呂邦暢がいて、実直な先生の思い出をエッセイに綴っています。
 健一氏が亡くなられ、静雄のご親戚が少なくなり淋しい思いが致します。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 

伯父から聞いた静雄さんのお話

 投稿者:吉田  投稿日:2015年 9月27日(日)21時51分8秒
  初めまして。諫早生まれの吉田と申します。私自身は詩や文学とはあまり縁のない生活をしています。
さて、「伯父から聞いた静雄さんのお話」というホームページを作成しました。http://shizuo-ito.jimdo.com/?logout=1
実は15年ほど前に伯父から聞き取ってホームページにしていたもののリニューアルです。上村様から、こちらに投稿するように勧められました。何らかの参考にでもなればと思っています。

注:この掲示板はフレーム構造のため上記のアドレスをクリックしても表示できないかもしれません。その時は上記アドレスをコピーしてブラウザで直接開くか、もしくは上記アドレスを右クリックして新規ウインドウで開くを選択してみてください。ご面倒をおかけしますが宜しく御願い致します。

http://shizuo-ito.jimdo.com/?logout=1

 

『リルケ 現代の吟遊詩人』

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年 9月14日(月)23時53分14秒
編集済
   山本様が、神品芳夫『リルケ 現代の吟遊詩人』(青土社 2015.9.14発行)をご購入になり、お読み頂いていることをご投稿によって知りました。

 私は、10数年前に単身赴任から帰り仕事も少し暇になったので、それまでに買って自宅においていた伊東静雄関係の本を読みはじめようとしました。ところが、「イロニー」「事物の詩」「即物的」等々の言葉の意味がよく分からなかったので、萩原朔太郎やリルケの詩集、それらの解説書等を次々に読んでみたのでした。今でも、分かり易そうな解説書が出るとつい買ってしまいます。

 『リルケ 現代の吟遊詩人』は、リルケ詩の変遷を以下のⅢ期に分け、その期の代表的な詩を挙げて解説がなされていますが、初心者の私にはそれが非常に分かり易い説明であるように感じられましたので、サブノート風にまとめてみました。

Ⅰ 「秋」「秋の日」(1902年)・・・“生命感”
 妻子と別れ、吟遊詩人として旅立ち、一生を過ごそうというリルケの決意。
 ・・・・・
 いま独りでいる者は、これからも独りのままで、
 夜ふかしをして、本を読み、長い手紙を書き、
 落ち葉の散り舞うときには並木の道を
 不安にかられてさまよい歩くだろう。

Ⅱ 「メリーゴーランド」(1906年)・・・“事物詩”“彫塑的な詩”
 メリーゴーランドの馬や、ライオンや、白い像や、鹿が回転する様子を淡々と即物的に表現しているように見せて、実は「子供たちの微笑」を表現している。
 ・・・・・
 そしてときおり微笑がこちらへ向けられる。
 清らかな微笑はまばゆいほどで、
 息をつかせぬこのむやみな戯れに惜しげもなく注がれて・・・・・

Ⅲ 「ゴング」Gong(1925年)・・・“空間性”<全an Alles・開かれた空間>に対してわれわれをさらけ出す(Verrat)。
< Wanderers として危険な道の中にころがり出たが、振返ってみるとそれが最も安全に通じる道だった>というリルケの感慨なのでしょうか?
 人生の終盤を予感しつつ、ゴングGongのさまざまな響きになぞらえて、さまざまに矛盾した形象を発想し、その一つ一つが詩のあり方についての意味あるメタファーとなるように試みた(詩論の復習)。

 もはや耳のためではない・・・・・ひびき、
 それはいっそう深い耳のようになって
 聞いているつもりのわれわれを逆に聞く。
 空間のうらがえし、
 内部の世界をおもてにくりひろげる、
 誕生する前の寺院、
 溶けにくい神々をいっぱいに
 ふくんでいる溶液・・・・・ゴング!

 ・・・・・・・・・・

 

共立通

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2015年 9月10日(木)13時57分53秒
   ココペリーさん、お久しぶりです。
 大阪も、そんなに近いところでお勤めだったとは驚きました。といっても、私は共立通のあのあたりは、あまり土地勘がないのです。妹が中学は東大谷でしたので、その辺は行ったことがあります。
 共立通から、広い電車道へ出ずにそのまままっすぐ南へ、家並のあいだをくねくねと曲がって、北畠の住高まで行く道がありますから、一度探検してみられてはいかがでしょう。(伊東も住中と共立通のあいだを歩いていたのは間違いありませんから。)
 私の本も、それですから、あまりお役にも立たないと思いますが、持って歩いていただけるのは嬉しいです。
 Morgen さん。いつもご投稿、感心して読ませていただいています。お忙しそうで、お達者そうで、なによりです。神品氏の新刊は私も買いました。先日 Amazonn から届きましたが、まだ読んでいません。最初の章だけザッと読みましたが、目を洗われたようでした。私どものように、ときどき「リルケ狂」になるのとは違って、専門家というのはさすがですね。
 伊東―小野にはまだ少しネタがありますので、もう一回、稿を改めます。
 

『女性自身』買ってきました。

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年 9月 4日(金)17時35分59秒
編集済
   「あるかんば隊の、ココペリ~」さん。お久しぶりです。

 ランチに出かけたついでに、近所のローソンで『女性自身』買ってきました。(カウンターの女性が少し笑っていたように見えました。)
 「アール・ブリュット」と呼ばれる芸術の分野があることも初めて知りました。
 それにしても、30年間営々と「コーナス共生作業所」の運営を続けてこられた阿倍野の「母親たち」の明るさ、底力というのは凄いですね!!

 ココペリ~さんお元気で、ご活躍を!!!


<P/S>
昨夜、出張帰路の新幹線で『リルケ 現代の遊吟詩人』(神品芳夫著 青土社 2015.9.14発行)という新刊書を読みました。その中に、リルケ最晩年の(未見の)詩がありましたので一部抜粋掲載します。(1926.8 エーリカ・ミッテラーという無名の少女との交換詩の一部・神品訳)

   ・・・・・・・・
   非在の上方に 偏在の天が張られる!
   ああ 投げたボール ああ 敢然と上がるボール、
   それは帰還によって 変わりなく両手に収まるが、
   帰還の重力の分だけ純粋に、ボールは元のボール以上になる。

 ー神品教授の解説は以下の通りです。ー

 危険を冒す生き方をしてきた人は、他人に対して思いやりが深く、愛の機微も会得している。反対に、過保護の境遇で生きてきた人は、他人への配慮が薄い。・・・戻ってきたボールはやはりその体験の分だけそれまでのボールとは違う。










  
 

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