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今年の紅葉は・・・

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年11月25日(水)01時13分54秒
   「今年の紅葉は奇麗じゃない」と、隣の人がぼやいています。先日、「美濃もみじめぐり」ツアーに参加しました。絵の具を「練り込み」模様に塗ったような西美濃の山々でした。

 写真は、「揖斐川上流」「西国三十三番満願霊場 谷汲山華厳寺」などです。
 「満願」とまではいきませんが、仕事も一段落しそうです。(暇になるわけではありませんが)

 「余計な力を抜いて、必要なポイントの筋肉を動かす」脱力の構えが、武道やサイクリングのコツだと言われます。これからも「脱力の構え」でボツボツいこかと考えています。
 いよいよ冬将軍がやってきそうです。みなさまくれぐれもご自愛ください。
 
 

田中光子さんのお写真

 投稿者:岩田  投稿日:2015年11月21日(土)04時55分5秒
  伊東静雄研究会御中

ご返信、誠にありがたうござゐました。

http://shibunraku.blogspot.jp

 

「燕」と「そんなに凝視めるな」

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2015年11月20日(金)11時28分53秒
   神品芳夫『リルケ 現代の吟遊詩人』のノートを取り終りました。
 前回の投稿で言いさして言い切っていなかったことがらを、少し敷衍します。

詩「豹」によって、次の時期のリルケの詩作の指標となるものが定まった。ヴォルプスヴェーデの時期の感覚で作成された作品を中心にして計画された『形象詩集』がまだ編集中だったにもかかわらず、「豹」はそれに収めず、次の詩集のために温存したことは、彼が自分の詩作の進展を自覚していたことを示す。(神品 p.217)

 リルケが次の詩集のために「豹」を「温存した」のとは方向が逆になりますが、私は、伊東静雄の詩「燕」は、すでに次の詩集『春のいそぎ』の圏内に入っているにもかかわらず、伊東はそれを現在編集中の『詩集 夏花』の巻頭に据えて、「自分の詩作の進展」を示したのではないか、と考えたのです。
 その「進展」がどういうものであったかを言うのはむつかしいのですが、発表年代の上で「燕」に接近していて、しかし『詩集 夏花』には収めなかった「そんなに凝視めるな」が、「燕」とは対になるものと思います。しかも「そんなに」は、発表は昭和14年12月(全集注記)ですが、もっと早く、日記の昭和14年9月の条にすでにその原型が記されていますので、執筆時期としてはなおいっそう接近して、ほぼ同時期と見てもよいと思えるのです。

 櫟原聰さんの『夢想の詩学 伊東静雄と前登志夫』も読み終わりました。櫟原さんは「そんなに凝視めるな」を非常に高く評価して、次のように位置づけています。

ここに凝視してやまない伊東静雄のまなざしの到達が表出している。そしてこれがこの詩人の最高の到達点ではないかとも目される。(同書 p.187)
〈飛ぶ鳥〉や〈野の花〉に〈無常〉のかなしみを見た
〈みつめる深い瞳〉はそこで〈自然の多様と変化〉を認め、その〈多様と変化〉とをむしろ〈歓び〉としてとらえようとする。無常のただ中において自然の豊かさを再認識し、そこに生きてゆこうとする人間的な〈歓びと意志〉を見出すというこの詩は、ヘルダーリンでもリルケでもニーチェでもない、伊東静雄独自の、そして最高の到達点ではないだろうか。(同書 p.188)

 桑原さんの評言を承けて櫟原さんは、『哀歌』期の伊東の詩を〈発出的〉と見ます。世界の中心としての自己、その自己への凝視、意識の暗黒部との必死な格闘とみずから言う苦闘を経てそこから生成する詰屈な思惟と情念の詩的言語を、外部世界に向って、強く、烈しく発出する、それが『哀歌』の世界でした。
 『夏花』は、伊東の転位というよりは、発出的体位の追究とそこからの脱出という二面、葛藤が見られるように思います。
 そうして、時間的経過のうちに、あるときふと、伊東の中で何かが「ほどけた」のではないでしょうか。「いいのだ」「そんなに凝視めなくてもいいのだ」「そのまま受け止めればいいのだ」と。その詩法の解説が「そんなに凝視めるな」であり、これはいわば楽屋裏であるので詩集には収めず、かわりにこの姿勢からの実作として「燕」を巻頭に据えたのではないかと、思うのです。

 伊東の中で何かが「ほどけた」、その徴表として私は、2つのことを挙げたいと思います。その一は、『春のいそぎ』において、そしてこの詩集でのみ、突如多出する固有名(地名)*、もう一つは、同じく『春』においてのみ出現する、七五音数律の採用です(「小曲」および「螢」)。

 * 先日書店で目にして買った、菅野覚明『吉本隆明―詩人の叡智』(講談社学術文庫)という本を読んでいて、壺井繁治の、大東亜戦争緒戦当時の詩にぶつかりました。

地図は私に指の旅をさせる/こころ躍らせつつ/南をさしておもむろに動く私の指/キールン/ホンコン/サイゴン/国民学校一年生のごとく呟きつつ/私の指は南支那海を圧して進む/私の呟きはいつしか一つの歌となり/私の指は早やシンガポールに近づく[菅野はこれを『吉本隆明著作集8 高村光太郎』p.130より引用]

 唐突ですが、私はこの詩を読んで、とっさに

汝 遠く、モルツカの ニユウギニヤの なほ遥かなる

を思い出してしまったのです。
 

岩田様

 投稿者:伊東静雄研究会  投稿日:2015年11月17日(火)19時10分58秒
  お尋ねの件、当方は持ち合わせておりません。またご紹介出来る先もありません。悪しからずご了承ください。  

田中光子さんのお写真

 投稿者:岩田  投稿日:2015年11月15日(日)15時34分12秒
  ご担当の方へ、

お世話になります。

私はもぐら通信といふ安部公房の読者のためのネット上の月刊誌を発行してをります岩田英哉と申します。
(安部公房の広場:http://abekobosplace.blogspot.jp

安部公房が三島由紀夫と親しく、また三島由紀夫は伊東静雄に一時詩文の師事をしてをりましたことからお尋ねするものです。

伊東静雄といふ此の優れた詩人のお弟子さんに田中光子さんといふ方がゐらしやいます。

三島由紀夫は、1970年7月にこの方のために、この女流詩人が伊東静雄の元につて生前出すことの叶わなかつた第二詩集『我が手に消えし霰』を出版し、みづから序文を書いてをります。

また、当時田中光子さん宛の封筒も残つてをります。

さて、お願ひの趣旨は、実は、三島由紀夫の読者のためこの田中光子さんとおつしやる詩人のお写真を拝見致したく、そのやうな写真を、貴会にては収蔵なさつてゐらつしやらないでせうか。
(詩文楽:http://shibunraku.blogspot.jp

もしおありになれば、スキャンなりともして、ご送付戴ければありがたく存じますが、如何なものでありませうか。この場合、料金と支払先の銀行口座なりゆうちょ口座なりをお知らせ下さるとありがたく思ひます。

また、もしお写真がお手元になければ、どちらにお尋ねしましたならば、その可能性があるのか、お教え戴きたく存じます。

よろしくお願ひ致します。

ご返信をお待ち申し上げます。

岩田英哉
もぐら通信





http://shibunraku.blogspot.jp

 

驚きと喜び

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年11月13日(金)11時25分15秒
  このたびの受賞者の藤山増昭さんは、高校の卒業生の名簿で確認したら、何と何と私と同じ19回卒でありました。
藤山さんは理系、私は文系なので、クラスが異なり、記憶にはありませんでした。

諫早市からは、初めての受賞者ということで、素晴らしいことです。
お喜びを申し上げます。

藤山さんのお名前は、長崎新聞の郷土文芸投稿欄で、いつもお見掛けしています。
 

第26回伊東静雄賞 決定

 投稿者:伊東静雄顕彰委員会  投稿日:2015年11月12日(木)19時32分1秒
  第26回伊東静雄賞は、国内外から1,175篇の作品が寄せられ、第一次選考(選者 平野宏、田中俊廣両氏)を経て、最終選考(選者 井川博年、以倉紘平両氏)の結果、下記の作品が伊東静雄賞に決定いたしました。贈呈式は平成28年3月27日(日)伊東静雄を偲ぶ「菜の花忌」のあと、諫早市内ホテルで行います。

 伊東静雄賞  四月の雨  藤山増昭氏(67歳)長崎県諫早市在住

作品の募集にあたり、お寄せいただいた方々、ご協力賜りました報道団体、その他関係先の皆様に衷心よりお礼申し上げます。受賞詩と選評及び佳作49編のご氏名は、「諫早文化」11号に発表致します。購読ご希望の方は郵便振替01820-4-24915、諫早市芸術文化連盟までお申し込み下さい。誌代1部1,300円(送料含む)平成28年5月発行予定。
 

読書近況

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2015年11月12日(木)15時08分59秒
  またごぶさたをしてしまいました。掲示板はずっと見ていて、楽しく、力づけられるのですが、身体がついて行けませんでした。ぼつぼつ馴らし運転をしようと思います。

朱雀さんがブログで「もうろく帖」と題して、鶴見俊輔をとりあげておられます。現代思想「鶴見俊輔」特集、それから津野海太郎『百歳までの読書』。あゝ、同じ本を読んでハルなあ、と思わず頬が緩みました。先ごろ、河出文庫の『鶴見俊輔コレクション』全4冊を読んだばかりでした。サークル運動、思想の科学、ベ平連……これらは昔の話ではなく、私などには「並走してきた」感のほうが強いのです。

櫟原聰さんの名前は、東大寺学園にかかわりのある知人から「伊東静雄を書いてはる」と教えられて、読んでみたいと思ったのはもうずいぶん前のことですが、そのままになっていました。Morgenさんの投稿に触発されて、日本の古本屋に注文した『夢想の歌学』が届いたので、昨日から読み始めたばかりです。読みごたえがあります。思うこともいいろいろあります。ゆっくり読み進めようと思います。

神品芳夫『リルケ 現代の遊吟詩人』をようやく読み終わりました。後半の描き下ろし部分の評伝は最新の稿だけに、斬新で刺激的でした。また、ドイツ語の詩を読むという営みの現場を近々と見せてもらって、これも有益でした。「豹」が時期的には早く成立していながら『新詩集』のためにとっておかれた、ということに関連して、私は伊東の『夏花』の巻頭詩「燕」について思うことがあるのですが、機会を改めます。
 

淀の河邉(サイクリング)

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年11月11日(水)23時09分54秒
   ・・・・・
  こことかの ふたつの岸の
  高草に   風は立てれど
  川波の   しろきもあらず
  かがよへる 雲のすがたを
  水深く   ひたす流は
  ただ黙し  疾く逝きにしか
 ・・・・・
  (『淀の河邉』から)

 最近、私は年甲斐もなくサイクリングに凝って、「年寄りの冷や水」だと笑われています。
 先月から、『淀の河邉』サイクリングと自称して、十三~大山崎間を4往復しました。

 河川敷の風景は、今ちょうど「百千の草葉もみぢし 野の靭き琴は鳴り出づ」という快適な状態で、秋の色が深まっています。

 大山崎町歴史資料館では企画展「河陽離宮と水無瀬離宮」を拝見してきました。こんな狭い場所に、9世紀以来数々の遺跡が密集して存在することに驚きました。
 昨夜は、東京出張の帰路、新幹線で10分弱で帰ったコースを、今日は2時間もかけて走るとは、我ながら物好きだと笑えます。
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年11月 9日(月)11時16分8秒
  10月24日午後2時から,諫早図書館に於いて第95回例会を開催した。
出席者は9名。

今回は、「河辺の歌」「漂泊」の2篇を読み解いた。

会報は第89号。
内容は次のとおり。

1 伊東静雄論
                                                        山崎  脩


2  伊東静雄のこと
                                                        大山 定一

3  存在と時間②
                                                        小滝 英史

                            平成27年10月 「水鶏」2号


4 詩 「りんご」
                                               久坂 葉子

5  今月の鑑賞詩 「河辺の歌」アラカルト
                                                        上村 紀元

                                                                以上

  12月5日開催予定の「第10回菜の花フォーラム」について、打ち合わせを行った。

 11月の例会は,28日午後2時から,諫早図書館にて開催します。
 

菜の花フォーラム のお知らせ

 投稿者:伊東静雄研究会  投稿日:2015年11月 8日(日)10時46分18秒
  伊東静雄生誕109年 第10回菜の花フォーラムのご案内

日時 平成27年12月5日(土曜日)午後1時30分~
場所 諫早図書館 視聴覚ホール

1.CD わがひとに与ふる哀歌 中田直宏作曲・諫早混声合唱団・諫早交響楽団
2.講演「伊東静雄からの手紙」 大塚 梓氏
3.講演「誤読こそ正読」    平野 宏氏
4.フリートーク        参加者の皆さん
5.閉会            伊東静雄研究会

入場無料・予約不要 お気軽にご参加ください。問合せ 0957-22-0169
 

帝塚山派文学学会

 投稿者:上村紀元  投稿日:2015年10月28日(水)17時22分48秒
  帝塚山文学学会設立記念講演会のお知らせ

1.平成27年11月1日(日)13時20分~
2.帝塚山学院住吉校舎南館地下1階AVホール
3.記念公演 「帝塚山派文学」木津川計氏
4.記念シンポジウム
  「住吉の歴史と文化」「徳島と庄野英二・潤三兄弟」「坂田寛夫の文学」など

 昭和の時代、住吉の地には「帝塚山文化圏」とも呼ぶべき誇り高い文化の世界が存在しました。文学の世界では、藤澤恒夫・長沖一・伊東静雄らの戦前からの文学活動に、戦後、石濱恒夫・庄野英二・庄野潤三・坂田寛夫たちの新進作家が加わり、大阪文学の大きな流れを形成しました。帝塚山学院では、その文学者たちの作品を研究と再評価のために「帝塚山派文学学会」を設立します。ご参加ください。入場料無料
 

「うたと詩」

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年10月27日(火)17時41分1秒
編集済
   近畿、関東では「木枯らし一番」が吹きました。皆様如何お過ごしでしょうか。

 弁当箱の形をした森鴎外『うた日記』の頁をめくりつつ、そこに載せられている「うた」(短歌もあれば詩も俳句もある)をぼんやり眺めていると、20年ほど前に刊行された檪原聰(*)『夢想の歌学』という本のことを思い出しましたので、抜粋してさわりの部分を紹介します。 (*いちはら さとし 歌人 1953年6月1日~ 東大寺学園中学校・高等学校前教頭 奈良市在住 前登志夫門下) 興味のある方は是非ご一読下さい。(日本の古本屋に在るようです。)

 歌人・前登志夫(*)は、「伊東静雄の詩『曠野の歌』のリズムは“よくぼくを脅かしたなとおもう”」と言いました。その言葉について、『夢想の歌学』の中で檪原さんは次のように解説しています。(*1926~2008 吉野の歌人 前川佐美雄門下)

 前登志夫をして、この詩のリズムは“よくぼくを脅かしたなとおもう”」と言わしめたものは何か? それは、そのモティーフが「短歌的」であるばかりでなく、そのリズムも短歌になりうるような音楽的要素をもち、しかも、短歌とは明らかに異質な音楽を発しているからではないか。

 また、檪原さんは『夏花』所収の「そんなに凝視めるな」を静雄詩中最高の到達点であると評価されたうえで、『哀歌』~『夏花』の変遷について、興味深い見解を示されました。

 『哀歌』はきわめて「発出的な詩集である。」

「発出的とは何か?」について、
(a) 自己(われ)が求心的に存在し、その求心的自己から外界にむけて歌がとび出していること。
(b) つねに内界から外界にむけられた視線であること。

 それが『夏花』においては、(静雄詩「そんなに凝視めるな」をご参照下さい。)
(a) 多様化した自己(われ、われら)に変化。
(b) 視線は相対的なまなざしへと転回。

 このように「そんなに凝視めるな」においては、凝視し続けてきた過去のあり方を変えて、観るまなざしは深まるが、そこに自然の多様と変化を認め、それを「讃歌」として歓ぼうと言っている。この詩は、ヘルダーリンでもリルケでもニーチェでもない伊東静雄独自の最高の到達点ではないだろうか。というのが、『夢想の歌学』において檪原聰氏が示唆された興味深いご教示でした。
 

野口寧齋と森鷗外

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年10月19日(月)23時43分31秒
編集済
  絵に描いたような秋晴れの一日、朝から町内会の公園掃除(約2時間)で汗を流し、午後からは「淀の川辺」サイクリングに出かけ、約75キロを走りました。(スピードメーター付のロードバイクで)

 先日、森鷗外記念館でコピーしてきた資料の一部をご紹介します。

 1、野口寧齋「舞姫を讀みて」
 2、漢詩による野口寧齋と森鷗外の交信

 森鷗外は、明治21年9月8日、ドイツ留学から帰朝しました。ところが、別の船でエリス(エリーゼ・ヴィーゲルト)という若いドイツ女性が鷗外の後を追うように来日したのです。森家一族はエリスを説得してドイツへ帰らせました。
 この件はそれで無事落着したのですが、色々な噂話が拡がり、それらを打ち消すために翌22年の暮れに、鷗外は『舞姫』という人情本的な小説の原稿をドイツ留学記念3部作のひとつとして書きました。まず家族や友人に『舞姫』を読み聞かせ、その理解を得たうえで、『国民之友』(明治23年1月3日)の新年付録として『舞姫』が発表されました。

 これは各方面で評判となり、森鷗外は小説家として華々しくデビューする結果となりしました。ところが、評論家石橋忍月のように森鷗外を薄情者として非難するものも多く、野口寧齋にも評論文を書いてくれという依頼が鷗外からあったそうです。そこで、寧齋は添付しているような「舞姫を讀みて」という批評を『志からみ草紙』四号に載せたのです。(少し汚くなって済みません)

 鷗外は、寧齋が「真正の恋情悟入せぬ豊太郎」と言うとおりで、「太田は真の愛を知らぬものなりと。」その幕引きを図ります。

 寧斎の評論文をめぐっては賛否両論があり、また『舞姫』論争は今日まで続くテーマとなっています。それはそれで大変面白いのですが、必要があれば「寧斎の評論文をめぐる賛否両論」について再投稿します。
 

再び、秋模様

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年10月15日(木)13時53分19秒
  上山公園にある野呂邦暢文学碑の周りには、キンモクセイの香りが漂っています。

そばの銀杏の木の葉は、ほんのりと色づいてきました。
 

『陣中の竪琴』を贈った意図

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年10月12日(月)01時08分20秒
編集済
    今年の秋は、何となく「足が速い」ような感じがしますね。
 我が家の狭い庭でも、すすきや藤袴が9月早々から花を開き、盆栽の山柿やアケビが早くも色づいています。

 先日は、東京の会議が予定より早く終わったので、「森鷗外記念館」に寄って『志がらみ草紙』の総目次から、幾つかを選びコピーをしてきました。(記念館の2人のお嬢さまには大変お世話になりました。感謝!)

 前回の投稿では、「昭和16年の春、庄野潤三は伊東先生から富山房文庫の佐藤春夫『陣中の竪琴』を貰った。」話を書きましたが、昭和16年の春というのはまさに太平洋戦争が始まる前夜ですね。
 “伊東静雄が、庄野潤三に森鷗外『うた日記』へ目を向けさせた本当の意図がもうひとつあったのではないか”ということを私は感じました。

 “刻々と迫りくる日米開戦、学生や文学者さえも徴兵の運命からは逃れられない。そうであれば、日露戦争の渦中という過酷な情況のなかで、少しでも「精神的な自由」を保とうとした森鷗外を見習うべきではないのか。”というのが伊東静雄の言葉にならない教訓としての森鷗外『うた日記』への注目であり―その解説書・佐藤春夫『陣中の竪琴』を贈ったもうひとつの意図ではないのでしょうか。
 「・・・・・木がらしに波立つ天幕の焚火のほとりに、鉛筆して手帳の端にかいつけられし長短種種の国詩を月日をもてついで、一まきとはしつるなり。・・・・・」(明治40年『うた日記』の森鷗外による広告文)

 伊東静雄に日露戦争中の森鷗外を見習えと言われても、森鷗外の強烈な自制心や意志力、多彩な才能、猛烈な努力―どれをとっても超人的であります。その一部分でも見習えないものかと憧れるのが我々凡人としては精一杯のところですね。
(写真は、森鷗外記念館の庭にある「三人冗語の石」です。)
 

秋の気配

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2015年10月 9日(金)18時28分43秒
  庭のキンモクセイが、かぐわしい香りを漂わせるのもまもなくです。

今日の雲仙は、すっかり秋でした。紅葉は未だの様です
草むらに、ワレモコウとリンドウを見つけました。

 吾亦紅すすきかるかや秋草の寂しききはみ君に送らん  牧水
 

「日本語の上手な詩人」(庄野潤三『クロッカスの花』から)

 投稿者:Morgen  投稿日:2015年10月 6日(火)14時51分31秒
   随分秋めいてまいりましたが、皆様は如何でしょうか。私は早速風邪を引いてしまいました。(明日から東京出張というのに・・・)
 投稿の流れからいって次は「萩原朔太郎かな?」と大それたことを考えていたのですが、どうも短く、すっきりと論旨がまとまらず、難しそうなので先に延ばします。

 中継ぎというわけではありませんが、良く知られている本・庄野潤三『クロッカスの花』にある、「日本語の上手な詩人」というエッセーの中から、これも良く知られた話一題。

昭和16年の春、庄野潤三ははじめて堺市三国ヶ丘にある伊東先生の家を訪ねて行ったら、富山房文庫の佐藤春夫『陣中の竪琴』を貰った。

(以下『クロッカスの花』173~5頁から抜粋)
 伊東静雄は、私に森鴎外と佐藤春夫を読むことを勧めてくれた。この二人が自分は好きだ。日本の文学の中に鷗外と佐藤春夫を結ぶ流れというものがあって、それに自分は心を惹かれるという風にいった。
・・・・・何に対する情熱か。戦場という異常な環境に置かれた鷗外が、事物にふれてどのように詩興を高められたか、それをどう表現したか、一行一行を追ってその制作の機微を明らかにしようという情熱である。すぐれた詩人の手にかかると、日本語がどんなに短い言葉で、どんなに微妙な働きを示すか、その生きた手本に対する讃美の念が著者の佐藤春夫にあった。それが、この情熱を生んだのであろう。・・・・・


どうかして生涯にうたひたい
空気のような唄を一つ。
自由で目立たずに
人のあるかぎりあり
いきなり肺腑にながれ込んで
無駄だけはすぐ吐き出せる
さういふ唄をどうかしてひとつ・・・・・
(佐藤春夫「或詩人の願ひ」)


*富山房文庫の佐藤春夫『陣中の竪琴』は、森鴎外『うた日記』の鑑賞の手引きとして、昭和9年に出版(昭和14年再版)されたものです。

 

ジョーさん 有難うございます。

 投稿者:上村紀元  投稿日:2015年10月 2日(金)10時52分32秒
  「大山定一全書」リンク有難うございます。「伊東静雄のこと」は、その後の「伊東静雄とドイツ抒情詩」「良心のうずき歌う」三部作の序章で、適切に静雄の詩を語っている数少ない評論の一つだと思います。大山定一によるリルケをはじめとするドイツ詩抄の翻訳詩が、静雄の創作意欲をかきたてたか容易に想像できます。
 昭和49年年大山没後「大山定一 人と学問」が刊行されました。桑原武夫、吉川幸次郎、富士正晴等による追悼文が寄せられ、翻訳に精魂を注がれた大山定一の人となりが描かれています。
 

伊東静雄のこと

 投稿者:ジョー  投稿日:2015年10月 1日(木)18時49分34秒
  三度目(?)の投稿になります。

マイHPをテーマを絞り込みリフォームし「大山定一全書」と改名いたしました。
以降随時更新していく予定です。
リフォーム記念(?)として「資料室」にて、現在では入手が困難と思われます大山定一が1954年に「塔」に発表した「伊東静雄のこと」を再録しております。類似文献として「伊東静雄全集」(1961年)の付録資料「伊東静雄とドイツ抒情詩」がよく知られるところですが比較参照いただければとの思いです。

よろしくお願いします。


「大山定一全書」
http://www.tcn.zaq.ne.jp/palette/

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