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「明滅する冷感」

 投稿者:morgen  投稿日:2008年10月 6日(月)19時24分6秒
  「詩が描く夏」「明滅する冷感」という「大阪新聞」見出しはなかなかしゃれていますね。
昭和30年ごろの「大阪新聞」編集部には、有能な詩人がおられたのじゃないでしょうか。
海側から撮影された灯台の写真であるのも、「小野さんの詩は海側からみた大阪を俳的にうたっている」と伊東静雄が評していたのに対応しているのでしょうか。
「机に向かってこれを読むと、・・・この詩人の宇宙に明滅し回転する清潔な光が、ひやりとした感触で、さっと大きく、私の内部の暗黒をも一なぎする」という文章は、小野さんの伊東静雄に対する追悼の辞にも聞こえます。
 

「燈台の光を見つつ」と、小野十三郎

 投稿者:山本皓造  投稿日:2008年10月 5日(日)10時17分38秒
編集済
  「大阪の三越」と同梱で、米田さんは下の新聞切抜きを送ってくださいました。
伊東の詩「燈台の光を見つつ」に寄せた、小野十三郎の文章で、「大阪新聞」昭和30年7月14日号です。
「夏の終」については小野の「伊東の幽霊」という周知の文章があり、この掲示板でも論議がありましたが、「燈台の光を見つつ」にかんするものは私には初見でした。ご承知のごとく、この詩は、堺の詩碑に刻まれたものです。
米田さんにお礼をのべて、皆さんにご紹介します。
 

「華々しきデビュー」

 投稿者:morgen  投稿日:2008年10月 3日(金)17時05分46秒
  こんにちは
『大阪の三越』昭和3年11月号が、無傷で見つかったとは、感動モノです。(ありがとうございました。)
 表紙絵の濃密な色が今でも鮮やかです。昭和3年秋、京大生伊東静雄が新進作家として華々しくデビューした晴れ姿が記録されているように思います。
 

一等『美しい朋輩達』伊東静雄氏

 投稿者:山本皓造  投稿日:2008年10月 3日(金)10時42分15秒
  記事の中身はこんなふうです。  

『大阪の三越』

 投稿者:山本皓造  投稿日:2008年10月 3日(金)10時40分43秒
  以前このページでご紹介した米田義一さんから先日、おもいがけず大変なものを頂戴しました。
『美しい朋輩達』の一等当選を発表した『大阪の三越』昭和3年11月号の現物です。
昔、古書市で2冊みつけて2冊買い求められたうちの1冊だそうです。
ナマの現物で、興奮しました。
『美しい朋輩達』にかんする記事の執筆掲載にたいするお礼、と仰っていますが、お礼と言われるには大きすぎます。
米田さん、ありがとうございました。
せめてその姿形だけでも、掲示板の皆さんにお目にかけたいと思って、投稿しました。
 

お知らせ

 投稿者:上村 紀元  投稿日:2008年10月 1日(水)20時36分19秒
  男性合唱団 アルマ・マータ・クワイア 第47回定期演奏会のお知らせ
〜2008年12月7日(日)13:30開場 14:00開演 いずみホール(大阪ビジネスパーク内)〜

男性合唱曲「春のいそぎ」(初演) 作詩/伊東靜雄 作曲/多田武彦 指揮/上床博久
・春の雪・春浅き・夏の終・淀の川邊・誕生日の即興歌・小曲

(その他「十の詩曲」より「六つの男性合唱曲」指揮/鮎川信夫「三つの無伴奏合唱曲」指揮/田中信昭
入場料 2,000円
関西地区の皆さん お出かけ下さい。
 

ふつと吐気がやつて来る

 投稿者:山本皓造  投稿日:2008年10月 1日(水)11時59分20秒
   若いころ(第一回滞仏時代)の九鬼周造に、こんな詩があります。

     反 吐

  俺はときどき反吐を吐く。
  書斎の椅子に腰かけて
  ひとり仕事をしていると
  ふつと吐気がやつて来る
  …… (全集一、p.169)

 ごく単純に考えて、これは、すこし前にある「自問」という詩(「一たいお前の正体は/何が何だか解らない…」p.139)にたいする自答、と考えるのがもっとも自然だと思います。吐き出されるのは、九鬼の自我の内容(正体)なのですが、それは、朝鮮薊、松葉うど、まひまひつぶり、赤蛙、蟹のはらわた、水母の子、兔の睾丸、鳩の肝、etc. ... 要するに、外から見境なく摂取したもの(外来思想、etc.)、その消化不良物、それが「私」だ、という自答(自嘲)です。
 けれども、たとえば田中久文『九鬼周造』には、次のような解釈も見られるのです。
 「自問」について、「ここで九鬼は自分とは何かを執拗に問うている。しかし問い詰めれば問い詰めるほど、そこには不気味で不定形な混沌の世界がひろがっていくのである」(p.45)
 「反吐」について、「ここで九鬼がいう「反吐」には、どこかサルトルの「嘔吐」を思い起こさせるものがある。サルトルの「嘔吐」とは、一切の意味づけを無化するものに直面したとき人間が抱く生理的反応のことであった。ここで九鬼が問題にしているのは、…… <生> そのものの名状し難い不気味さなのである」(p.46)
 「吐き気」とは、不気味なもの、意味を計り難いもの、形相がなくただ質料だけであるようなもの、を前にしたときの人間の生理的反応であり、そのとき人間は、言葉を吐くのではなく、嘔吐(のような、形のない、意味のないことば)を吐くのでしょう。そうではなく、形相と質料が無難に組み合った、ありふれたものを目にしたとき、水のように平明な幾行もが出てくるのでしょう。
 もしそうなら、漱石と九鬼は、(そして伊東も)近いところに居るのです。

 年代的・年齢的に言って、漱石と九鬼とは、直接の接触があったようには思えません。ただ、ネットを彷徨っていると、「夏目漱石と九鬼周造における偶然性の問題について」とかいう論文などもあるようなので、ぜひ探して読んでみたい気がします。

(この文章はまだ、蝉、地中の蝉、地上の蝉、空蝉、などといった対象には届いていません。今後の課題です。)
 

(無題)

 投稿者:morgen  投稿日:2008年 9月30日(火)11時57分6秒
  山本様、貴重な生記録をご開示いただきありがとうございます。
(「伊東も奥さんも世事には全くうとかった。もう少しうまく立ち回ればもう少しましな方向へ行ったであろうのに、悪いほうへ悪いほうへと行った気がする。それで病気になってしまった。」ETC…)それにしても、伊東静雄と直接に接触のあられた方々が、次々に亡くなってしまわれるのは、とても寂しいことです。
 本日は、第2四半期決算の監査立会のため机に座っていることができませんので、また時間を見つけて投稿させて頂きます。
 

亀山太一氏、伊東静雄を語る

 投稿者:山本皓造  投稿日:2008年 9月29日(月)17時56分45秒
編集済
  古いノートをひっくりかえして、以前、亀山さん宅を訪問したときのメモをみつけました。1998年11月、JR学研都市線・松井山手下車。メモはあとから思い出しながら書いたもので、順不同です。

 ・北余部の家は毎日のように行ったが、不思議にそこで他の人と会ったことがない。萩原天神から家までの道は途中ほんとうに何もなかった。
 ・香里の家は来てもらうことまでいったん決まったのだが、後に鄭重な断り状をもらった(北余部へ移ったのは新学期の迫ったギリギリか? 然り)
 ・菅生へは行ったことがない。住中の宿直室を訪ねて話をした。
 ・小説を書くのだということをしきりに言っておられた。
 ・伊東も奥さんも世事には全くうとかった。もう少しうまく立ち回ればもう少しましな方向へ行ったであろうのに、悪いほうへ悪いほうへと行った気がする。それで病気になってしまった。
 ・詩や文学のことは行ってもほとんど話さなかった。反して、俗事については実に熱心に楽しそうに話した。20歳の亀山を大人として扱って話をしてくれた。
 ・福地邦樹氏が伊東に通い始めたのは亀山が三洋電機で多忙になり疎遠になった後のこと。
 ・夏樹さんを心底かわいがった。比してマキさんにはきびしい面があった。夏樹さんには会ったことがない。
 ・すぐに寝ころべと言われるので弱った。日本浪曼派はすべからくそうなのであるという。
 ・女物の赤い紐を巻いていたのは本当。
 ・はじめて会ったときはびっくりした。小さく、じじむさく、冴えない。詩人というのはこういうものかと思った。
 ・人にたいする好き嫌いがはっきりしていて、嫌いな人とは同席していても、ものを言わなかった。
 ・詩を持って行ってもこわくて見せられなかった。当時は師弟というのはそういうものであった。
 ・ミナミをよくほっつき歩いた。


並べてみると、皆、どこかで誰かが語ったことばかりのような気もします。
亀山さんは2002年に亡くなられました。奥様からの喪中挨拶状で知りました。
 

明石長谷雄さんの詩集『白い靴』と新聞記事

 投稿者:山本皓造  投稿日:2008年 9月27日(土)10時55分12秒
編集済
  昨年も、morgen さんの投稿に刺激されて、5月22日(火)付で「亀山さんのこと」という記事を投稿しました。
『冬たんぽぽ』の「あとがき」にも、伊東静雄のことがみっしりと書き込まれています。
『白い靴』古書価100円は、辛いですね。
私の持っている『白い靴』をぱらぱらと開いたら、この本の刊行を報じる新聞記事の切り抜きが挟んでありました。それを紹介します。
この記事には伊東静雄の名前が一言も出てきません。
 

「幸せだった2年間」

 投稿者:morgen  投稿日:2008年 9月26日(金)18時15分52秒
  昼休みに古本屋を覘いたら、店外の棚に明石長谷雄詩集『白い靴』(思潮社)が100円で売られていました。(中身も見ないで即買いました)
著者は、昭和19年5月19日付け明石長谷雄様宛封書以降、伊東静雄全集「書簡」に何回か出てくる亀山太一氏であり、この詩集を出される前(平成7年9月)に、枚方から京都府田辺町の新居へ越されたことが判ります。

詩の内容は、手足が麻痺している妻の和加子様が、通信販売で買った白いウォーキング・シューズをはいて、嬉しそうに絨毯の上を歩きまわっている情景。

 「私ってあまり外出しないから、
 この二足の靴で
 一生足りるわね・・・・・」
 あどけないいい方が
 胸を刺す

 伊東静雄は、「本当に幸せだと感じたのは戦後2年間だった」と言ったそうです。
『反響』の頃と云われる―敗戦から昭和23年頃までの2年間のことで、戦後の物価高に悩まされながらも、旧住吉中の教え子やお弟子さん達に囲まれて、「野の夜」「夕映」「雲雀」「訪問者」詩作の後」「中心に燃える」「夏の終り」「歸路」「路上」「都会の慰め」などの一連の詩を複数の雑誌に発表しています。

「夏の終り」の内容
  夜来の台風にひとりはぐれた白い雲の、澄んだ青空を流れてゆく翳が、
  さよなら・・・・・さようなら・・・・・
  と会釈をするように、わが視野から遠ざかって行った。

「夏の終り」などの当時の一連の詩には、敗戦後の悲しみに充ちた世相の中で、時代の“悲”を宿しながらも、星の光、夕陽、少年、少女、電灯、ローソクの光、懐中電灯の光などの、透明感のある“美”が“ザッハリッヒ”に表現されているように思います。
 

淀川文学散歩

 投稿者:morgen  投稿日:2008年 9月12日(金)15時28分8秒
  「続 清水正一詩集」(編集工房ノア 1985年)をジュンク堂で購入し、電車の中で読みました。後ろから5番目に次の詩が載っています。

    「和子」

 あれは いつの日の冬
 旧市街のふるほんやで
 やっとみつけた 「詩人伝」*
 それはまた
 未知のひととの出会いと
 思いしらされた
 おわりの頁の裏がわに
 <若き日に抱きしめた本 和子>
 あれはいつの日の冬

 *小高根二郎著「詩人・その生涯と運命」−書簡より見た伊東静雄伝

 清水さんの前著「犬は詩人を裏切らない」に書かれていた「十三東3−4−7」を訪ねてみると、4軒長屋の端に「清水正一記念館」という小さい看板が掛けられていました。
 十三公園では、老人たちが年中、碁や将棋をしており、加島の香具波志神社(上田秋成旧跡)は地震後再建されて、「燿燿」という字が西側の門柱に刻んであります。
 

伊東靜雄文学散歩

 投稿者:上村紀元  投稿日:2008年 9月11日(木)23時15分8秒
   あるかんば隊の皆さん お疲れさまでした。詩人の痕跡を訪ねて頂いたことが契機となり、伊東靜雄の詩作品をあらためてお読み頂く事を期待いたします。桑原武夫は「日本人が真に詩を愛し続けるかぎり、百年後、彼の名は一そう光をましているであろう。」と記しています。
 第19回伊東静雄賞8月末で締め切りました。国内および海外から777篇の応募がありました。これから選考に入り、来年3月菜の花忌で表彰いたします。
 あるかんば隊の皆さん 郷土の詩人伊東靜雄の顕彰に限りないご支援をお願いいたします。
 

『伊東静雄の詩碑巡り』を、HPにアップしました〜☆

 投稿者:『あるかんば隊の』ココペリ〜♪  投稿日:2008年 9月11日(木)14時35分56秒
   あるかんば隊のホームページに、『伊東静雄の詩碑巡り』をアップしました。
三か所の詩碑の写真や、スナップ写真、報告を載せています。 ご笑覧ください〜。

 あるかんば隊 http://www.k2.dion.ne.jp/~kanko-dk/walk.html
 

『伊東静雄の詩碑巡り』をしました〜☆

 投稿者:『あるかんば隊』のココペリ〜♪  投稿日:2008年 9月 9日(火)02時02分4秒
   ありがとうございました〜。たくさんの方々のご協力を得て、無事に詩碑巡りを終える事ができました。

 住吉高校では、由緒ある旧正門で中野悦次校長先生の歓待を受け、『住吉の杜』にある詩碑を案内して頂きました。
その後同窓会室に移動し、旧制住吉中学と伊東静雄とのかかわりを中心にお話があり、たくさんの貴重な資料の説明と共に、手にとって見ることもできました。

 中野校長先生は住吉高校のご出身で、伊東静雄の大ファンだそうです。故郷諫早の詩人を大切に思って下さる先生の熱意がひしひしと伝わり、そのお心がとても有り難く、また嬉しく思いました。
26回生Hさんの「手にふるる〜♪」の哀愁を帯びたメロディーの独唱には、皆で聴き入ってしまいました。

松虫通りの詩碑の周辺は、まだ昭和の匂いのする街並みが残っていて、伊東静雄の過ごした、在りし日々がしのばれるようでした。

 旧堺灯台近くの詩碑では、産経新聞のM記者が潮風を浴びながら、私たちの到着を待って下さっていました。昨年島根から堺に赴任して、初めて伊東静雄を知り、たちまち大ファンになったそうです。「伊東静雄をもっと世間の方々に、知っていただきたい」そんな思いを込めて、私たちの取材をして下さいました。

 丸三楼雪陵庵では、「伊東静雄の詩碑を見に来ていただき、ありがとうございます」との労いの言葉まで頂戴し、おいしいお料理と行き届いたおもてなしを、堪能しました。

 今回のウォークで、伊東静雄が大好きというたくさんの方々に、お会いしました。その方々を通して、改めて郷里の諫早や、伊東静雄を再認識し、身近に覚えることができたような気がします。

 伊東静雄の最大の魅力は何でしょう。その詩の美しい言葉の響きやリズムといったものより何より・・・彼の精神性の高さに、最大の魅力があることを、たくさんの方々を通じて気付かされた思いがします。
隊員一人一人のこころのなかに、伊東静雄が大きく存在し、静かに静かに何か大切なものを語りかけてくれている・・・そんな思いになった、今回のウォークでした。

  KATUYASUさんへ〜☆
すっかりあるかんば隊の中に溶け込んで、和気あいあいとご一緒していただき、本当にありがとうございました〜(*^^)v
おかげで、楽しくて有意義な時を過ごすことができました。 深謝。 再見〜♪
 

詩碑巡礼

 投稿者:KATUYASU  投稿日:2008年 9月 7日(日)09時07分14秒
   あるかんば隊の皆さん昨日は貴重な機会有難うございました。大阪近辺に住んでいる私も住吉高校に行ったことが無かったのですが今回なかの詩碑を見れたのと、校長先生から色々な説明を受けることが出来ました。
 特に伊東静雄が赴任直後の新調の背広を着て一人若い顔を見せている写真が貴重でした。詩碑の歌の独唱もありで。その後、松虫通りの詩碑にも行ったのですが、ここも初めて。そこから聖天院から天下茶屋迄の細い路地を歩き駅に着き、堺燈台に行かれる隊の人達と別れましたが、小雨降るいい一日でした。お世話された方に感謝します。
 

上村紀元様 楽譜を拝受しました。

 投稿者:『あるかんば隊』のココペリ〜♪  投稿日:2008年 9月 5日(金)22時06分45秒
    上村 紀元様

 昨日、森長さんからの荷物の中に、「手にふるる〜♪」の楽譜が入っていました。
お手数をおかけして、誠に申し訳ございません。 ご高配を賜り、ありがとうございました。

 かつて諫中音楽部に所属し、S43〜45年の菜の花忌には、諫早公園の詩碑の前で合唱をした隊員がいます。
昨夜さっそく、届きました楽譜を、彼女に送信しました。 きっと明日は参加者全員で、音楽家の彼女の指揮の下、
合唱ができるのではと楽しみにしています〜♪♪


 きっと伊東静雄も大好物だったはずと思い、今回お世話になった方々の手土産にと、森長さんに昔ながらの製法
で作られた黒おこし『復刻版』を、注文しました。
 先日上村さんのHPを拝見していましたら、『望郷の詩人ー伊東静雄』の最後の項に、《昭和二十四年肺結核発病、
河内長野の国立病院、長野分院に入院。病室から望める河内平野一面の菜の花を愛で、諫早から送られた見舞いの
「おこし」を口にしながら・・・》の文章を見つけました。

 黒おこしに寄せる思いが、私の中で変わりました。
これからは、望郷の念にかられつつ、滋味豊かな黒おこしを口にした伊東静雄の気持ちを切に想い・・・しっかり
味わおうと思います。


 いよいよ明日は、詩碑巡りウォークの日です。
夕方、思いもかけない、参加申し込みの電話がありました。 あるかんば隊の隊員登録をされていない、大阪市在
住の諫高6回生という女性からで、関西支部のHPを見て参加を決めたそうです。
 「社交ダンスを教えていたころの生徒に、住吉中学で伊東静雄に教わったという人がいて、その方からダンスの
合間に、たくさんの伊東静雄のエピソードを聴かせてもらいました。 伊東先生はぼろぼろの服を着ていたので、
乞食なんてあだ名をつけて呼んでいましたが、今思うと申し訳なかったですとか・・・そんな話を・・・」と。

 昨日、この掲示板に書き込みをしました、野呂邦暢のエッセーの文中の《ある事を活字で読むのと、まのあたり
耳できくこととはまた別ということである》 まさに、そのような思いになりました。
全く予期していなかった、語り部の登場でしょうか〜!!
 この詩碑巡りの準備段階から、信じられないようなシンクロ二シティの連続です。
伊東静雄が私たちの行く先々で待ち伏せをしていて、私たちに必要な出会いを準備してくれているような・・・
 

山本皓造 さま、ありがとうございます。

 投稿者:『あるかんば隊』のココペリ〜♪  投稿日:2008年 9月 5日(金)00時55分53秒
   山本皓造様

 心あたたまりますメッセージを、ありがとうございました。
私達も山本様から、伊東静雄についてのお話を、お聴きしたかったです。
ぜひお目にかかれる機会がありますよう期待し、楽しみにしております。
山本様のご健康が守られ、ますますのご活躍と、ご健筆を祈り念じております。

 先日、30年ぶりくらいに諫早高校出身の芥川賞作家 野呂邦暢(1937〜1980)の『王国そして地図』というエッセイ集を、何気なく本棚から取り出し開きましたら、そこに『菜の花忌』というエッセイが・・・。 あまりの偶然に、驚いてしまいました。

 第11回の『菜の花忌』に、庄野潤三さんが初めて諫早にいらしたことなどが、書いてありました。
お墓参りもされて、講演もして下さったそうです。  私は今、その時に思いを馳せ・・・含蓄のある話の余韻に浸っています。

《 庄野さんが語った伊東静雄の思い出はあらかた『前途』や二、三の随筆ですでに読んでいてことさらに耳新しい事実はなかったが、その作者を壇上に迎えて親しくさまざまな逸話をきくとまた尽きせぬ味わいがあった。心のこもったいい話であり、私は感動を新たにした。ある事を活字で読むのと、まのあたり耳できくこととはまた別ということである。心の交流は肉声があって深くなる。『前途』の作者の言葉を聞いて私は その向こう側に亡き詩人の 肉声がこだまするのをきく思いがした。》
 

「庭の蝉」と漱石の「夢十夜」

 投稿者:山本皓造  投稿日:2008年 8月30日(土)18時20分13秒
   「庭の蝉」について、今も考え続けています。旅、この庭、水のやうに平明な幾行、一種前生のおもひ、暈ひ、吐気……
 私はなぜか「一種前生のおもひ」というところで、いつも漱石の「夢十夜」を思い出してしまうのです。
 岩波文庫で久しぶりに「夢十夜」を読み直しました。この版は他二篇、「文鳥」と「永日小品」を収めています。「文鳥」は悲しい作品でした。昔知っていた美しい女の面影が現われ、文鳥は死んでしまうのです。
 以前、何の拍子だったか、「硝子戸の中」のような小品がひどく心に沁みたことがありました。これを機会に、文庫で出ている分だけでも読み直してみようと思っています。
 漱石は明晰な精神ですが、しかし彼もまた、必ずや「異様な/一種前生のおもひと/かすかな暈ひをともなふ吐気」を感じたことのある人間だったと、私は信じています。

『あるかんば隊』の皆様へ
 詩碑めぐりのすばらしい企画、ぜひ私も参加して、久しぶりに住高の詩碑にも対面したいのですが、身体が言うことをきかず、残念です。ご成功をお祈りします。そして、ウォークの報告を、またぜひ寄せてください。
 

morgenさん、ありがとうございます

 投稿者:『あるかんば隊』のココペリ〜♪  投稿日:2008年 8月30日(土)00時44分45秒
   morgenさんは、諫高の先輩だったのですね〜!!
ご丁寧に、レアで濃い情報をご教示いただき、ありがとうございます。
ご一緒に詩碑巡りができれば、どんなにか心丈夫な事でしょう、本当に残念です。

 私たちはウォーキングがメインの会で、《伊東静雄》について殆ど知識がないのですが、
詩碑巡りをきっかけに《伊東静雄》に出会えた喜びを大切に、楽しもうと思っています。
 今回の詩碑巡りが手がかりとなり、《伊東静雄》に興味を持つ隊員が増えてきましたら、
あるかんば隊の発足以来、《伊東静雄の詩碑巡りウォーク》計画を温めてきた私にとっては、
望外の喜びです〜(*^^)v

*   ー   *   ー   *   ー   *   ー   *   ー   *

 今年6月中旬に、住吉高校にダメモトで「貴校にあります伊東静雄の詩碑は、一般の者でも
見学が可能ですか。予定は9月6日(土)午後からになります・・・」なんてメールしましたら、
「普段学校ではセキュリティの関係上、土・日・祝日は入校をお断りしているのですが、この
日は学園祭で、一般の方にも学校を開放しています」という思いがけない嬉しいお返事が〜!!

 住吉高校や丸三楼雪陵庵さんや・・・たくさんの方々の、ご厚志ありがたく頂戴していますが、
これも《伊東静雄》の偉業のおかげさまなのだなぁと、思わずにはいられません。

 morgenさんさんも機会がありましたら、ぜひ『」あるかんば隊』で一緒に、歩かんばたいですね。
隊員一同ウェルカム×ウェルカム、楽しみに待っとるけんね〜(*^_^*)
 

以上は、新着順161番目から180番目までの記事です。 5  6  7  8  9  10  11  12  13  14  |  《前のページ |  次のページ》 
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