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参宿について

 投稿者:KATUYASU  投稿日:2009年 1月14日(水)23時49分10秒
  上村さん、上記の件、教えていただきありがとうございます。
エフエム諫早の連続放送聞きたいものですがあいにく大阪在住で残念。また纏めて文章にするかカセットにでもしてくださればいいのですが。よろしく。
 

 『宇宙と人生』(補)

 投稿者:morgen  投稿日:2009年 1月14日(水)01時39分41秒
   前稿で『宇宙と人生』=『意志と表象としての世界』と書きましたが、(誤解を招きそうなので)少し補筆させてください。
『存在と苦悩』の編訳者は、「あとがき」のなかで、本書がラインホルト・シュナイダー編『アルトゥール・ショーペンハウアー』(1954)に基づいて、これを編者の責任において抄出訳出した旨を述べています。
『宇宙と人生』も、同様に、訳者松宮平蔵氏による『意志と表象としての世界』の抄出訳
ではないかと私は思いますが、確認はできていません。現状では出版社名、刊行年などは不明ですが、白水社にお尋ねすれば教えていただけるかも分かりません。
なお、金森誠也編・訳『心に突き刺さるショーペンハウアー言葉』はPHP研究所発行です。
 

「青春書簡」について

 投稿者:上村紀元  投稿日:2009年 1月13日(火)23時23分53秒
  KATUYASUさんへ

「青春書簡」P25 参宿(しんしゅく)の星が微妙な傾斜を見せて光つてゐる
参宿(しんしゅく)は、オリオン座の中央部に三つ連なって並ぶ星のことで、三つ星とも云います。
 

mitleidenおよび「宇宙と人生」

 投稿者:morgen  投稿日:2009年 1月13日(火)21時38分59秒
  こんばんは
『宇宙と人生』につきましては、金森誠也編・訳 ショーペンハウアー『存在と苦悩』(白水社)の「あとがき」に以下のような文章があります。
 [・・・]非常に参考になった文献として、松宮平蔵訳『宇宙と人生』(『意思と表象としての世界』)[・・・]をあげさせていただく。

 『宇宙と人生』=『意思と表象としての世界』ではないか?と(私は)推察して本屋さんで検索をお願いしていますが、今のところ不明です。

 なお同じく金森誠也編・訳『心に突き刺さるショーペンハウアーの言葉』のなかに以下のような文章があります。(少し長くてはしょりましたので参考になるかどうかわかりませんが)

 同情、共苦の道徳とは
[・・・・・]「人は生を肯定するかぎり他人の悩みのみならず、世の中の悩みすべてを彼自身のものであるとみなさなければならない。そういう状況に置かれれば、人は必ず他人と共に苦しみ、おのずと同情や慈悲の気持ちが生まれてきます。」[・・・・・]

微細な種子(アートマン)から大木(ブラフマン)が生じたというウパニシャッド(奥義書)の寓話から、(同情共苦を重くみる彼の道徳哲学は)インド古代思想のウパニシャッド(奥義書)に触発された。
・・・自己・我(アートマン)=宇宙・絶対我(ブラフマン)
 

『青春書簡』での気がかり

 投稿者:山本皓造  投稿日:2009年 1月13日(火)11時33分12秒
編集済
   『青春書簡』の話題が出ましたので、私が以前からずっと懐いている疑問、というよりはほとんど誤解か妄想に近いかもしれないのですが、心のひっかかりを披露して、ご教示を仰ぎたいと思います。それは、伊東静雄とショーペンハウアーとのかかわりについて、です。

 『青春書簡』p.45 に "mitleiden" という語が出ます。註では「苦しみを分かち合う」の意、としかありませんが、私はここですぐに、「あ、ショーペンハウアー!」と思ってしまいました。
 読み進んで行くと、p.79 に「近頃はショウペンハウエルの "宇宙と人生" を読んでゐる」という記述があります。「大変平易で、然も堂々たるものだ。暇があったら一読したまへ」と、積極的な共感を示しています。私はショーペンハウアーについてはまったく暗く(『意思と表象…』を読んだだけ)、また調べる手立ても持たないのですが、彼に "宇宙と人生" という独立の書物はないのではないかと思うのです。ですから何かの編纂物で、伊東はそれを自力で手に入れたか、あるいは佐賀高の図書館にでもあったのかもしれない。一度佐賀高の図書館を調べてみたい、などと思ったりしたことがありました。
 直接 mitleiden を証しするわけではないけれども、全集 p.340 の書簡に出てくる「サンチマンタルなお嫁さん」のエピソードも、私には mitleiden に隣接する気分で読んでしまいます。

 だからどうだと言うのか、伊東静雄とショーペンハウアーを並べて何が言いたいのか、自分でもわかりません。以上は私が「伊東静雄の詩的出発」を書いた頃から気になっていたのです。前稿では、「もともと彼には、おそらく自らの「貧」の経験をつうじて、人の世の苦しみへの共感、貧しい者への眼差し、ミゼリコルド(饗庭孝男)、"mitleiden"(この語はショーペンハウアーを思わせる)があった」という表現で、書いておきましたが、「そんな気がする」という以上を出ません。
一言、お寄せいただければ幸いです。
 

伊東静雄 青春書簡拝読

 投稿者:KATUYASU  投稿日:2009年 1月12日(月)11時00分37秒
   大塚格氏との書簡集読むことができました。佐賀高校、京都帝大。住吉中教師までの多感な時期のはがき、後半は手紙が多くなる。二人の友情あふれる交際に感動を覚える。それに私の高校時代を考えれば彼等がいかに純粋で大人びていたことに感心した。
 野球のエピソードとそれの反発も、ほほえましい
 この本の最初に「鶯」(一老人の詩)がそえられているのが暗示的だ。この詩が医学生だった大塚氏との友情から創られたことが明らかとなる。
 沢山の本を読んでいるが、ロシア文学ではトルストイ、ツルゲーネフ、ゴーゴリー、チェホフはあるがドストエフスキーの名はこの書簡には見当たらない。

 静雄は佐賀高と京大の最後でかなりの精神的な危機をみせている。卒論の「子規の俳論」は主席の評価を得るが彼には親の代からの借金があり大学での研究者の道は閉ざされる。
167pのはがきは痛ましい。「教師など やめてしまいたい いやいや」..........
社会主義にも興味を持ちはじめ「戦旗」という雑誌を講読するが自己矛盾のなかで退却せざるをえなくなっていく。
大阪での教師生活が彼を疲れさせたとはいえ、だからこそ伊東静雄という詩人がここに誕生したのだと私は思いたい。純粋な詩人として。
まだ一通り読んだところで纏まりがつきませんが、後記の解説の田中俊廣氏の論が優れたもので大変参考になりました。感謝。
 

(無題)

 投稿者:大垣 陽一  投稿日:2009年 1月 9日(金)00時51分12秒
   山本皓造 様
私の投稿した内容に対して、早速にお答戴き有難く存じます。長年の疑問が解け、且つ事柄が自分の想像どうりであったことは誠に嬉しく感激しております。高野先生には卒業後に一度お訪ねして以後、便りもせず、不誠実な生徒として今日まで過ごしておりますが、少年の頃、先生の指導の下にル・フォールの中編「無辜の子ら」を1年かけて読み通した経験をさせて戴きましたことを思い出します。文学に親しむ喜びをこの時期に教えて戴いたものと感謝致しております。社会に出た直後、古本でこの書の翻訳を見つけ、あらためて読み返したこと・・、ル・フォールの素晴らしいドイツ文学を再確認致しました。この体験があったればこその、又、本日の感激であったと思っております。有難うございました。
 

中尾治郎吉先生について

 投稿者:山本皓造  投稿日:2009年 1月 8日(木)19時04分7秒
編集済
   大垣陽一さんの投稿を興味深く拝見しました。
 小高根二郎『詩人―その生涯と運命』、または思潮社の『現代詩読本・伊東静雄』に、職員室でストーブを囲んで談笑する住中教師たちの写真があります。その左から2番目が中尾治郎吉先生です。お顔や雰囲気はわかると思います。中尾先生は昭和38年3月まで住高に在籍されました。愛称はジロサン、私も英語を教わりました。
 高野晃兆氏(兆晃ではなく)は、同窓会名簿によれば、住高6期、京大文学部大学院を経て大阪府立高専に就職。私も6期ですが、卒業アルバムをひっぱり出して高野さんの顔写真をみても、記憶がよみがえって来ません。
 堺屋太一氏もやはり住高6期で、卒業時はクラスも同じでした。
 以上、事実だけを述べましたが、おそらく大垣さんが想像・推論なさっていることが、そのまま、その通りだと思われます。
 

お尋ね致します。

 投稿者:大垣 陽一  投稿日:2009年 1月 8日(木)16時40分48秒
  偶然に掲示板を訪ねた者です。沢山の投稿文を拝見するうちに、長年思い込んでおります私のある疑問について、何方かに解いて頂きたく投稿いたしました。その疑問とは、中尾治郎吉という人物についてです。私は45年前に大阪・寝屋川の工業高専に入学したのですが、そこで英語科主任の先生で中尾治郎吉という人がおられました。非常に度のきつい眼鏡をかけた厳格そうな雰囲気がありました。(その当時15歳の少年が感じた正直な感想です。)残念ながら私達は、5年間の在学中、直接に教えを受けたことは有りませんでしたが、後年、庄野潤三の書かれたものの中に、同名の英語教師を懐かしく回想されているのを読む度にこの英語教師は、私の知るあの先生ではないのかと考え続けております。もうひとつは高専時代、お世話になりましたドイツ語の先生に高野兆晃という先生がおられたのですが、講義中に先生の出身高校が住吉高校であって、先生とはタイプが違うとは思うのですが堺屋太一氏と同窓であったとも話されておりました。一方、この高野先生は中尾先生の教え子ではなかったのではと、今になり私は想像しています。であれば、師弟が同学に在籍していたことになります。高野先生には、結婚の報告に久しぶりに研究室を訪ねた後に、その頃、訳されて出版されたキリスト教思想史の部厚な本を送って戴きました。今も大事にしております。時間にゆとりの出来た今、ゆっくりと読み解きたいと思っております。乏しい内容の投稿ですが、伊藤静雄に惹かれ投稿致します。

http://www.tvk.zaq.ne.jp/sunrise02926/

 

「独木舟」再考

 投稿者:KATUYASU  投稿日:2009年 1月 7日(水)21時12分29秒
   伊東静雄の日本人の詩人のなかでの異質の硬質の叙情、と構築感はドイツの詩人たちの影響と京都での国文学の修練によるものが大きいと私もmorgen さん と同様なことを思います。
 それに加えて諫早の土地と終わりのほうの作品ではやはり大阪(堺)の土地がらがそれに合わさっていったと言うことなのでしょうか。それに以前教えていただいた「病院の患者の歌」の詩がトーマスマンの「魔の山」の雰囲気が感じられるのです。(彼は当然読んでいたでしょうから)と一人よがりにも独木舟も「独」を独逸と語呂合わせの如く思ってしまいます。
 

「謹賀新年」にかえて

 投稿者:morgen  投稿日:2009年 1月 5日(月)16時13分51秒
  今年の箱根駅伝は、5区の東洋大・柏原選手の驚異的な坂登りが印象に残りました。
有力選手の多い中で目立ちはしませんでしたが、3人の諫高卒選手が健闘しているのを見て、諫高が(西脇、佐久長聖、仙台育英などと並んで)陸上長距離競技界への選手供給校として一定の地歩を築いているということを実感しました。(意外感を持たなくなった)
しかし、諫早出身の人は、誰もが、伊東静雄のように格調の高い詩を歌い、駅伝選手のように忍耐強いのかと言われると、そのいずれの能力もない凡庸な私は、思わず腰が引けてしまい、ただひたすらコツコツと足元を見つめて確かな歩みを運ぼうと身を引き締めてしまいます。
今年6月には、『伊東静雄日記 詩へのかどで』の刊行が予定されているという上村さんのご案内がありましたが、未発表書簡の公開などを含めて詩人としての出発の足跡を証拠づけるドキュメントの公開には、とても期待の持たれるところです。
先日は「伊東静雄 青春書簡」(大塚梓 田中俊廣編)をお贈り頂き、拝読しましたが、いくつかの点で大いに参考になりました。
伊東静雄は、大学入学当初から子規を尊敬し「写生論」を高く評価しており、子規の研究を国文科でのテーマとしており、その成果を踏まえて、詩作にあたってもしっかりと対象を見つめたうえで、物に即して抒情することを生涯を通じた詩作の基本としたようです。
伊東静雄が本格的に詩作を始めた時期はいつか?―『全集』年譜には次のような記載があります。
 昭和7年6月、青木敬磨、原野栄二氏等と『呂』を創刊し、井泉水の二行詩、元麿の短詩、ルナールの「博物詩抄」等のにおいの感じられる初期詩篇を次々と発表しだした。

伊東静雄がヘルダーリンを知ったのは青木敬磨宅に下宿していた頃(大正15年)と言われ、当時はリルケについても森鴎外訳の数冊の著作が読める状態に置かれており、さらに有名で人気のあったケストナーも同様な状態であったものと私は推察します。
京大で国文学を専攻した伊東静雄が、青春早期から「私は詩人(ウタビト)」と宣言し、ヘルダーリン、リルケ、ケストナーの詩を好んで読み、その詩風の基調を確立したという仮説がもう少し鮮明に証拠づけられることを(内心では密かに)期待しています。
 

おめでとうございます。

 投稿者:上村紀元  投稿日:2009年 1月 1日(木)08時45分17秒
   伊東静雄HPご覧の皆様 おめでとうございます。

今年も相不変のご指導をお願いいたします。「伊東静雄日記 詩へのかどで」も今年6月ごろには刊行の由、ご支援のほどお願いいたします。アルマの皆様、昨年はお疲れ様でした。立派な演奏会でした。
伊東静雄研究会では昨年12月10日 内田健次郎先生(伊東静雄の従弟)をお招きして「伊東静雄の思い出」の演題でお話を伺いました。内容は、近日HP詩評論の頁に掲載を考えています。
皆様にとって良いお年でありますことを願いあげます。
 

伊東静雄物語の放送について

 投稿者:上村紀元  投稿日:2008年12月25日(木)08時59分15秒
  エフエム諫早では、「望郷の詩人・伊東静雄物語」を放送しています。12月10日の詩人生誕の日にスタートして、2月3日までの35回にわたり、作品と生涯を紹介します。放送は月曜日から金曜日までの朝7時30分から約10分です。橋本有希子アナと伊東静雄研究会の上村紀元のトークで作品の魅力について伝えていきます。
エフエム諫早のチャンネルは77.1MHzで、長崎県中央地区をエリアとするコミュニティFM局です。お近くの方はお聞き下さい。
 

しやつぱ

 投稿者:KATUYASU  投稿日:2008年12月13日(土)14時31分38秒
   morgenさん早速の教示ありがとうございます。以前諫早の干潟の番組だったか干潟の穴から顔を出す細長い生き物をみていてこれがしゃっぱなのかと思ったり。これは海茸というもののようでした。しゃっぱをしやつぱとしたのは詩人の造語だったのかとも思います。  

透明なシャッパに化身した

 投稿者:morgen  投稿日:2008年12月12日(金)13時09分49秒
  KATUYASU さん こんにちは
 シャコ(蝦蛄)は、有明海沿岸では「シャッッパ」と呼ばれることが多いです。
 普段は、潟の中にもぐって棲息しているのですが、「透明」ではなく少し灰色がかっていて、内臓が見えるわけではありません。(泳ぐときは透明なのかもしれません)大量に捕まえたことはありませんが、跳ね板であげまきや赤貝を捕りに行くと、そのついでに何匹かは捕れました。(1950年代の話です)
有明海でおぼれて死んだ少年が、シャッパに食べられて、透明なシャッパに化身したと伊東静雄は詩に歌っていますが、必ずしもシャッパが人間の屍を好んで食べるわけではなさそうです。(迷信)生きたまま味噌汁の具に入れて煮るとおいしいですよ。少年時代のノスタルジアから、日生の料理屋で同じことを頼んだら?千円取られました。とても美味でした。
 

伊東静雄の詩の作曲

 投稿者:KATUYASU  投稿日:2008年12月12日(金)08時39分41秒
   伊東静雄は生前、自分の詩に歌をつけることを拒否していたという話を先日の演奏会の代表の方が言われていたように思います。(今回の曲はまきさんの了解の下に作曲されたとのこと。)確かに歌詞ではなく詩に歌をつけると別な意味を持ち始めることになりがち。ですから上村さん、山本さんの示されたこれらの合唱曲は没後につくられたものと推察されます。勿論それらの曲がどのような曲なのか興味深々なのですが。

教えていただきたいこと。彼の「有明海の思ひ出」のなかに出てくる「しやつぱ」ですがこれは諫早では「しゃっぱ」大阪ではシャコのことではないかと思うのですが、どうでしょうか。
 

伊東静雄の詩の作曲

 投稿者:山本皓造  投稿日:2008年12月11日(木)10時57分11秒
  上村さんの労を謝します。
これまでに作曲された伊東静雄の詩に、次を追加してください。

  松平朗作曲 自然に、充分自然に・蛍 (組曲「自然に、充分自然に」の内)

松平朗さんは住高4期の卒業で私の2期先輩です。
東京近郊在住の住高音楽部OBで「東京かつらぎ会」という合唱団を結成、松平さんが指導と指揮に当られ、2007年7月東京第1回公演で上記の作品が演奏されました。
私は合唱団のメンバーで私と同期の友人某君に頼んで楽譜をコピーしてもらい、松下さんの了解を得てそれを住高同窓会室に松下さんの名前で寄贈しました。
 

「春のいそぎ」演奏会

 投稿者:上村紀元  投稿日:2008年12月10日(水)17時47分12秒
  伊東静雄と云う詩人の作品に、多くの人が持続的に関心を持っていただくことは、郷土の者にとって嬉しい限りである。4冊の詩集に約100篇の詩があるに過ぎないが、特に今回第3詩集「春のいそぎ」の中から6篇の合唱組曲が誕生した事は誠に喜ばしい。詩集「春のいそぎ」は、戦時中の詩作であるため、戦後になって低い評価しか与えられなかった。読者には、今でもそのことが、頭のどこかに引っかかり、いろんな思いが交錯しているのも事実だ。今回の演奏によってこれまでの評価は完全に覆されたと思う。詩人曰く「うまくいけば自分の詩は50年先に残る」まさに予言通りになったのである。詩人12月10日の生誕日直前の演奏会に深い喜びを感じる。

これまで伊東静雄の詩が作曲されたのは、
飯沼信義作曲 三つの女性合唱曲 春の雪・疾駆・小曲
伊藤幹翁作曲 夏の終り
田辺秀治作曲 疾駆・早春
中田直宏作曲 混声合唱団 わがひとに与ふる哀歌・有明海の思ひ出
多田武彦作曲 男声合唱組曲「春のいそぎ」春の雪・春浅き・夏の終・淀の河邊・誕生日の       即興歌・小曲(今回)
青木高音作曲 女性合唱曲 そんなに凝視めるな
その他ご存知の曲があればご教示下さい。                 以上
 

「春のいそぎ」を聴いて

 投稿者:KATUYASU  投稿日:2008年12月10日(水)12時11分26秒
   この合唱団はじめて聞きましたが歴史のある団体で感心しました。ソロを歌う団員も良い声でしたし。ここ十数年、近くの市民コーラスでオーケストラ付きの名曲を歌ってきましたが(第九、ロ短調ミサ、各レクイエム等)いまは休んでいます。最近は無伴奏のコーラスを聴くことにはまっています。
 合唱の作曲家で高名な多田武彦氏による男性無伴奏の「春のいそぎ」楽しみでした。曲についてはmorgen さんの解説の通りでした。今後混声合唱にも編曲されて伊東詩の歌が広がることを切望します。現代曲は初演されて殆ど再演されないのが常ですがこの曲は又聞きたいものです。録音のマイクがなかったのが心残りです。

「春のいそぎ」は、日本浪漫派の人たちに評価された文語調のイメージが強かったが、今回の曲目構成からも彼のこの詩集が平明さを含んだ多面的なものだったことがよく分りました。まきさんを歌った「誕生日の即興歌」.....
 そのほかショスタコーヴィチの10の詩曲からの5曲、柴田南雄の曲はなんと田中信昭氏の指揮でした。まきさん、上村さん、ココペリさんとはお会いできましたがmorgenさんにお会い出来ず残念でした。またの機会に。
 

「春のいそぎ」を聴いて

 投稿者:morgen  投稿日:2008年12月 8日(月)14時28分21秒
  昨日、アルマ・マータ・クワイア男声合唱団の創立60周年を記念して上演された「春のいそぎ」演奏会に参加させて頂きました。
記念公演の演目として伊東静雄詩が取り上げられたのは今年1月、団員からの提案によるそうで、作曲(外注)や静雄詩の研究、練習などに数カ月を費やして、昨日初演された旨のコメントがありました。
団員の皆様は、練習してみて「日本語の歌としての響きが良い」と感じられたそうで、伊東静雄がそれを聞いたらさぞ喜ぶだろうにと思いました。(坂東まき様も最後まで満足げにお聴きになっていたようにお見受けしました。)
まず「春の雪」が序曲のようにしっとりと歌いだされ、一転してハイテンポに変わって「春浅き」が歌われ「しろばな きいばな」とうたいながら、まきさんがはしりさる。
3曲目は「夏の終」が、歌曲「魔王」のように重々しく歌われ、不気味な暗雲がたちこめるなか、掛け茶屋の女将と詩人はぼんやりとそれを見ている、「だだある壮大なものが徐かに傾いていている」不安な状況が演じられました。
4曲目「川邊の歌」、5曲目「誕生日の即興歌」、6曲目「小曲」の3曲ははいかにも組曲らしい構成で、特に最後の「小曲」はしずかにめぐる水車と、5頭の牛のゆったりした歩みが立体的な構成となっており、「日本語の歌としての響きが良い」なあと私も思いました。伊東静雄が歌われ、それを聴く機会が与えられたという楽しく、貴重な一日でした。(資料なしで仕事の合間に書き流しているため間違いがあるかもしれません)
 

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