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5、挿絵/昭和2年2月4日 酒井安代宛書簡
[・・・・・]私の隣にゐる哲学士[・・・・・]かうふう風な男ですよ。(よく似てゐます)〔挿絵略〕。
「全集」345頁ではこのように挿絵(青木敬麿氏の似顔絵)が省略されていますが、上村「哲学徒と詩人」には次のように書かれています。
敬麿は、長じては色黒く、鼻が高く、長身痩躯であった。[・・・]古いアルバムのなかの、二十歳代なかばころの敬麿の写真を見ると、長い髪を多量に伸ばした面長な顔のなかで、特にその眼差しは鋭く、深く内にこもって熱え、ちょっとあの『夏の花』の作家原民喜の風貌と似ている。(何となく風貌が想像できますネ。)
6、「全集」539頁、「書簡」注六に青木敬麿氏のことが書かれており、その末尾が次のようになっています。
[・・・・・] 青木は昭和18年2月11日、大山行きの途中、吉岡温泉で急死した。
上村氏が吉岡温泉三谷旅館に赴いて老婦人(旅館の奥様)から直接聞かれた話では、青木氏は母親と一緒に一月か一月半くらい滞在し、ずっと寝たきりであった。そして、寝棺に入れられて家に帰ったということです。(こちらの方が信憑性があります。)
7、「漂泊」の献辞について
『コギト』昭和10年8月号を探したのですが見つからず、青木氏への献辞は未確認です。
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