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少しずつ

 投稿者:青木 由弥子  投稿日:2017年 4月19日(水)15時00分58秒
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  山本皓三様

襟を正して拝読しております。
「研究」は原典がないと始まりませんが・・・内容は書き継がれて、今、読むことができる。
「鑑賞」は『全集』などで可能、これは大変嬉しいことですね。
フェイスブックに上げたものをコピペします。初期詩篇も、大切に読んでいきたいです。

ネットで知り合った若者たちと、グループチャットやメッセンジャー等で「対話」しながら、「口語自由詩」の自由について、考え続けている。
規範や規制からの自由、既製、既成からの自由・・・逸脱、解放を目指す自由は、行き先を定めているのか。永遠の放浪者、故郷喪失者であることを目指すのか。あるいは、たどり着き得ない、憧憬の地を求め続けるのか。
自主独立を目指す自由、自らの立つ場所を、自らの家と成す自由もあるはずだ、と漠然と思う。それもまた、見果てぬ夢の憧憬かもしれないが。

私が腰を おろす場所は皆
公園になる
そこで人々は ひとりでに
水の様な
安らかな歩調に帰り
木々の梢の様に
自分の言葉で話を始める

伊東静雄の「公園」。
そこを訪れた人は皆、自ずから安らいだ歩調となる場所、焦りを持たずに逍遙できる場所。風にそよぐ木々が自らの歌を奏でるように、各々が自らの言葉で話始めることのできる場所。公園であるから、誰もが出入り自由。静雄の語る「私」は、詩神の語る「私」の代弁であるようにも思う。
自分の言葉を持つ自由。それこそが、口語自由詩の自由、かもしれない。

http://yumikoaoki.exblog.jp/

 
 
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