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『呂』探索記・その2

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2017年 4月19日(水)14時16分59秒
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   わたしが2003年8月、雑誌『PO』にはじめて書いた論考「伊東静雄の詩的出発」は、「初期詩篇論の試み(一)」と副題し、その末尾に次のように記しました。

しかし『呂』時代にはそれ自体の問題性がある。たとえば「同人」としての『呂』の実態、この時期の詩作の時期区分、とりわけここから「哀歌・コギト的なもの」への道すじ、などは大きな課題である。この時期については、また稿を改めたい。

 前回の投稿で、“雑誌『呂』と伊東静雄”というテーマで思い浮かんだ「構想」を記しましたが、『PO』の初期詩篇論を書き終えた段階では、当時のメモによると、次のようなものになっていました。

 ① 同人雑誌『呂』の創刊までの経緯。原野栄二・青木敬麿・伊東静雄らの人的交渉
 ② 昭和7年6月の創刊号から□年□月第43号終刊号まで、総目次を含む書誌的事項の詳細
 ③ 『呂』の同人たちと、主たる作品の紹介。
 ④ 同人たちによる伊東の評価、および当時の詩壇・文壇中における結社『呂』の位置づけ
 ⑤ 『呂』に掲載された伊東の諸作品の解読
 ⑥ 伊東の全詩業中における初期詩篇群の位置づけ

 以上をもって(二)として、「初期詩篇論」の完結と考えていたのでした。
 このうち①については、拙著『大阪/京都』で、判明する限りでの事柄をあらまし述べておいたのですが、2001年当時は、青木、原野の二人については、まだほとんど何の知見も持っていなかったのです。

 ともかく『呂』の全冊、バックナンバーを揃えることが不可欠であり、それがなければ何事も始まらないのはあきらかです。まず、ここからです。

 いろんなエピソードから推して、伊東は資料文献類の保存にはわりとマメなところがあったように思います。しかし自宅は昭和20年、堺の空襲によって、「七月十日の明方に罹災、家財の大半と書籍の全部を焼失しました」。このとき『呂』もすべて灰になったに違いありません。

 7/16(月) 日本近代文学館に電話したが、今日は月曜日で、休館日であった。夜、インターネットで「御津町 西念寺」で検索して、住所、電話番号と、住職・青木敬介氏の名を知る。ネットによれば、青木敬介氏はもう長年、瀬戸内の環境破壊問題に精力的に取り組んでおられるらしい。
 7/17(火) 日本近代文学館に再度電話。『呂』は第1~7号を所蔵していると。NACSISというサイトを教えてもらったので、ここでも検索。非会員なので検索範囲は限られるが、少なくとも大学図書館で『呂』をもっているところはなさそうであった。
西念寺に電話したが、住職は不在。奥様が出てくださったので、用件をあらましお伝えする。その後、手紙を書くことにして、下書きを作る。(未完)

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