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米田義一様のご冥福をお祈りいたします

 投稿者:上村紀元  投稿日:2018年 1月12日(金)11時46分21秒
  米田義一様のご逝去に謹んでお悔やみ申し上げます。

 昨年10月、新生(臼井喜之助編 第一輯・第2輯 昭和15年)の写しと、依田義賢詩集「冬晴」上村肇詩集「地上の歌」(いずれも昭和16年ウスヰ書房刊)のご恵贈にあずかりました。
 米田様との御縁は、山本皓造様を通じ、伊東静雄原作「美しい朋輩達」映画題名「美しき朋輩たち」の件で
ご教授賜りました。箕面高校紀要 楓6号にこの映画の詳細について著述されています。

 いただいたご書簡に「伊東先生の詩碑を訪ねて諫早公園に赴いたのは何年前だつたか、もう数へることもできません。また、新しくできた美原図書館わきのは体力が衰えたので訪ねて行くことは多分ないでしょう。
 ついでながら、大阪市阿倍野区松虫通りの詩碑は、拡張されて車の往来が繁しくて風情の乏しい大通に面してゐますが、むかし丸山小学校に在学してゐた当時同級生の家がすぐ傍にあつてしばしば遊んだところです。そこはまた、住吉中学校在学当時の登下校に歩いた道筋にあり、その辺りを伊東先生がよく散歩なさつたといふのが十分納得できて満足です。(後略)」

 前述の「冬晴」「地上の歌」も今や希少本となりました。いずれ諫早図書館に寄贈したいと思います。米田様のご厚情に感謝申しあげご冥福をお祈り申し上げます。合掌
 
 

映画『美しき朋輩たち』と、原作者名「壁静」のこと(再掲)

 投稿者:Morgen  投稿日:2018年 1月11日(木)23時22分39秒
編集済
  米田義一氏のご逝去を悼み、ご冥福をお祈りいたします。

 山本皓造様(2008年 7月15日 投稿)の“映画『美しき朋輩たち』と、原作者名「壁静」のこと”が(no55のところで)見つかりましたので、(深夜のため山本様には無断ではありますが)再掲させて頂き、同文章を初見の方々とも共有したいと思います。


<投稿者:山本皓造  投稿日:2008年 7月15日(火)13時41分44秒>

  昭和3年に「御大礼」を記念して、大阪三越の主催、大阪毎日新聞の後援で児童映画脚本の懸賞募集が行われ、伊東静雄がこれに応募してみごと第一等をかち得たことは、すでによく知られています。
 私は、上村紀元さんが「掲示板アラカルト」の記事で、美しき朋輩たち→美しい朋輩たち が正しいようです。(当時の報道 大阪毎日新聞)と書いておられることについて少し疑義が生じたのがきっかけで、米田義一さんにお尋ねしているうちに、大変な仕事を仰せつかりました。

 以下、その任を果たすために、この稿を出します。
なお、米田義一さんは住中19期、この映画に関して、次の2篇があります。
・資料紹介「映画見たまゝ『美しき朋輩たち』(伊東静雄原作)その他」(「果樹園」204号、昭和48.2)[米田Aと記す]
・「美しき朋輩達」のゆくえ(「楓」6号、昭和49.7)[米田Bと記す]
またこの掲示板でも一度、2007.8.20の私の投稿で、お名前を出したことがあります。

                        *

「キネマ旬報」(昭和3.12.1)に掲載された梗概が小高根二郎氏によって紹介されて、映画『美しき朋輩たち』の内容の半ばが明らかになりました。しかるに「キネマ旬報」の記事では、「原作者・壁静」とされていて、小高根氏はこれを「ひどい改変」「大変な冒涜」と叱咤したものです。
 次に米田Aによって、「サンデー毎日」(昭和3.11.25)に載せられた、より詳しい梗概が紹介され、小高根氏も同じ内容を『生涯と運命』で引いています。ただ、米田Aは、この記事が、原作者を<伊東静雄さんといふ人です>と正しく書いていることを紹介しているのにたいして、なぜか小高根氏はこの事実にふれていません。米田氏はなお、新聞広告について原作者表記を調べたところ、阪神3紙では<伊東静雄氏原作>、東京2紙では<壁静氏原作>となっていることまで確かめ、「したがって伊東静雄の名は、映画「美しき朋輩たち」の上に、少なくとも京阪神では正しく冠されていたのであり、全く隠蔽されたり抹殺されたりしていたのではなかったのである、しかし、ひとしく<大阪毎日新聞社懸賞募集当選児童映画詩>などと謳いながら、地域により原作者名を筆名化して伝えているのは何人のどんな意図と必要によるものであろうか」(米田A)と、その事態の理由経緯を明らかにすることができなかったのでした。

 A稿の後米田氏は、前に「児童映画座談会」(「映画教育」昭和4年1月、2月)における稲田達雄氏の発言が、映画「美しき朋輩たち」の原作のすぐれた片影を正しく伝えている貴重なものと考え、苦心の結果稲田氏の住所をつきとめて、文通で教を乞いました(昭和49年2月)。そうしてその結果報告として、米田Bを書かれたのでした。
 稲田氏は、前掲座談会当時は大阪毎日新聞社「映画教育」担当記者で、三越の懸賞募集の審査にも当たり、その後も一貫して映画教育運動にかかわって来られた人です。ただしこの時には、「壁静」問題についての明確な回答が稲田氏からは得られませんでした。
 さて、米田Bを脱稿、公表した後、同じ年(昭和49年)の9月になって、米田氏は稲田氏からの手紙を受け取りました。そこで「壁静」問題の解明が果たされていたのでした。
 稲田氏の米田氏宛書簡では、松竹大谷図書館所蔵の「蒲田週報」「キネマ旬報」「松竹七十年史」がいずれも原作者を「壁静」としていることを記したあとで、その解明が述べられています。以下は直接、稲田書簡を引きます。

 <昭和49年9月20日付米田義一氏宛稲田達雄氏書簡(部分)>

[前略]この壁静については、このたび大船行きを思いたった機会に、雑誌「映画教育」の旧号をひっぱり出して目を通しておりました際に、第六集(昭三・八月号)に所載の「御大礼記念児童映画脚本募集」の「募集規定」の中に「原稿はすべて匿名とし別に住所氏名を記して添付し云々」とあるのに、いまさらのように気づき、「美しき~」の原作に伊東氏は「壁静」という匿名を使われたのではないか、きっと、そうにちがいないと思ったことでした。
 前記「蒲田週報」(宣伝パンフレット)や「松竹七十年史」をはじめ、「キネ旬」、関東での新聞の封切広告等、すべて壁静[傍点]となっているのは、原作の原稿に壁静と署名されていたことによるのではなかろうか。それというのも、失礼ながら当時としては「伊東静雄」に別にネームヴァリューがあるわけでもなかったし、原作―脚本―台本等を通じて、原作者は壁静[傍点]が踏襲され、それが新聞雑誌等への発表にも用いられた、ということではなかろうか、では、関西ではなぜ伊東静雄という実名が使われたか――については、関西ではすでに大阪毎日新聞紙上の当選発表の社告や記事によって原作者は伊東静雄ということが一般に知られているから、伊東静雄[傍点]を使ったのではなかろうか。[後略]

<2008年7月6日付山本宛米田氏書簡(部分)>

[前略]稲田氏が気づいて教示してくださったこの重大なことを、今の今まで長いあひだ忘却してゐました。すでに「『美しき朋輩達』のゆくえ」を昭和四十九年の五月六日に脱稿して印刷発行済みでしたから、その後紹介報告の機会のなかったまま、職務多忙に紛れて忘却してしまったもののやうです。稲田氏に申しわけないことであります。一日も早くこれを全国の伊東静雄読者に周知させたいと思ふのですが、私の通信の次号は秋以降になる見込みで役に立ちません。お願いします。この件をあなたの名で、上村氏主宰のウエブ掲示板か何かに報告発表してくださいませんか。条件としては、稲田達雄氏が私宛書簡に示された見解であることを明記してくださることのみです。そして私の方は、あなたの方の報告発表をプリントでいただいた上で、小通信の「あとがき」に釈明的に触れることにしたいと思います。[後略]

                        *

以上で、米田さんからの委託を果たしたことにしていただこうと思います。
なお、稲田氏から米田さん宛昭和49年2月16日付の分に、伊東氏の原作の題名は「美しい朋輩達」でしたが、映画の題名は「美しき朋輩たち」としたものと思われます。
との指摘があり、私もこれに従うべきものと考えます。
 

追悼

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2018年 1月11日(木)17時09分23秒
   米田義一さんが昨年12月18日に逝去されました。ご遺族からお知らせを頂戴しました。
 米田義一さんは、住中第19期卒業。この掲示板では2007年、2008年に、お名前を出して私が投稿しました。
  「開高健文学碑」2007.8.20
  「映画『美しき朋輩たち』と原作者名「壁静」のこと」2008.7.15
  「『大阪の三越』」2008.10.3
  「一等『美しい朋輩達』伊東静雄氏」2008.10.3
 米田さんは長年、個人誌『東市場』を出して、出るたびに私に送って下さったのですが、近年刊行が途切れて、そのご健康を按じておりました。享年は92歳。生前、名著『伊丹万作』を遺されました。
 謹んでご冥福をお祈り致します。
 

明けましておめでとうございます

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2018年 1月 5日(金)17時28分27秒
  干支も改まり、一つづつ歳をとりましたが、おたがいに、ゆるゆると、がんばりましょう。

 昨年の投稿で石牟礼道子さんのことを書きましたが、もう10年以上も前に別の場所で書いたものを、探し出しました。子供たちや孫たちを迎えて、送り出して、あとは何もネタがないので、古びた書き物で投稿に代えます。(もとのソースは、前勤務校の「歴史文化部」というクラブ、略称「歴文部」のホームページをわたしが立ち上げて、そこの「ひとりごと」という欄に連載した小エッセイです。)
 もとのページはもう削除されて、見ることができませんので、画像を貼り付けました。ご判読ください。
 

新年明けましておめでとうございます。

 投稿者:Morgen  投稿日:2018年 1月 2日(火)02時02分10秒
編集済
  皆様 新年明けましておめでとうございます。

“平成30年の幕開け”―「大寒波襲来」などという事前予想もあって、少し身構えていたのですが、いつも通りの平穏なお正月でした。

  ここ数年は家族で手近な温泉に浸かって新しい年を迎えるのが我が家の恒例となっており、今年は大聖寺川の渓谷にある山中温泉にしました。「鶴仙渓」に張り出したような露天風呂に、深夜一人で浸っていると、急流の瀬音は終夜高く響き、真冬の渓谷の冷気は弛んだ心身を引き締めてくれます。

 年末には、市川森一作品の映画化を企画されている諫高同窓会の方々が弊社を訪問されましたが、今年は新しい話題が公表されることでしょう。衷心より映画化のご成功を祈ります。

  世の中では猛烈な勢いで(IoTやAIを軸とした)「第4次産業革命」といわれる大革新と開発競争が展開されています。
我々老人といえども、これらの目新しい奇異なものに遭遇して、それらの変化を理解し適応していくしかないのだという心構えが多少とも必要になります。(除夜の鐘を聞きながら)余りに早すぎる変化に異議を唱えてばかりいると、情勢の変化に立ち遅れるだけでなく、世間から取り残された変人・お荷物扱いさえ受けかねなくなるぞという「時代の警鍾」のようなものを感じます。

  深夜の露天風呂に浸かりながら“「明るい老後」をおくるのも、思ったほど楽なことではなさそうだ!”とも考えました。身震いさせたのは、霙混じりの鶴仙渓の冷気だけではなく、やがて開ける測りがたい時代への不安や予感なのかもしれませんね。(人類にとって夢のような時代なのか、人類を分断する不安の時代なのか?)

  年頭にあたって先ずは健康第一! 飲み過ぎないよう健やかな正月をお過ごしください。

 

良いクリスマスを

 投稿者:青木由弥子  投稿日:2017年12月25日(月)15時00分30秒
  皆さま お元気ですか
我が家のお向さんは、フランチェスコ会系の女子修道院です。
御御堂が併設されていて、階段を昇っていくと、踊り場に板絵の磔刑図の複製がさりげなく置かれています。
十字架上で、にこやかに大きく目を見開いた、アルカイックスタイル。
ルネサンス期には、稚拙と揶揄された中世の名残を残すスタイルですが・・・ビザンティンのギリシア風の洗練とは程遠い、子どものアニメのような、ユーモラスで生き生きとした躍動感のある表情は、死に打ち勝つ、というメッセージ性よりも、生きる喜びをそのまま体現しているように見えます。

サン・フランチェスコが、その前で一心に祈り、教会を建て直しなさい、という声を聴いた、奇跡の十字架。サン・ダミアーノの磔刑図。ぼくとつなフランチェスコが、真に受けて本当に煉瓦を積んで教会の修復を始めた、というエピソードと共に、純朴になにかを信じることの「歓び」を思い出させてくれる絵です。

山本さんの、シニフィエとシニフィアンの双方向性、エネルギーの往還するようなイメージに共感しつつ・・・名指すこと、によって立ち上がる空間もあると共に、名指されること自体が呼び寄せられる、そんな切実さに駆られることもあるように思います。

詩に呼ばれるのか、詩を呼び寄せるのか。

素敵な聖夜をお過ごしください。
 

このあいだ迄と、このごろ

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2017年12月25日(月)14時40分38秒
  ▼石原と香月の「談話」のつとめが終わって、縛めを解かれたように、ベッドの枕元に積み上げた未読本を片端から乱読していたのですが、先日、またアマゾンに10点ほど注文しました。注文品は、あっけなく、すぐ届きます。昔、アタマのなかに探求書のリストを詰め込んで古本屋まわりをして、目指す本に行き当たった時の歓喜感激や、その後ジュンク堂とかができて新刊書はほぼ行けば手に入るようになり、収穫を小脇に抱えて店内の喫茶コーナーに座り、タバコをくゆらしながら、本の手ざわりを楽しみつつページをめくる至福……ああいうものがなくなってしまいましたね。

▼中野章子さんがブログ「朱雀の洛中日記」で、石牟礼道子さんの『春の城』のことを書かれていました。注文品とともに900頁の大冊が届きました。石牟礼道子さんはわたしの8歳年上、わたしが講談社文庫版の『苦海浄土』を買って読んで震撼させられたのはたしか1973年で、まだ30台、その後も節目の著作はほぼ読んできたと思います。石牟礼さんが天草の乱を取り上げられたのは、いわば当然であり必然という気がしますが、その気迫とボリュームには圧倒されます。わたしが切支丹史蹟探訪のために島原半島をはじめ九州各地を歩いたのは40台に入ってからですが、石牟礼さんの「草の道」は、おそらくわたしもそれを歩いた道であり、そんなさまざまな回想にひたりつつ、この大冊を手に取るのは、「去年今年」を貫く大きな歓びとなるでしょう。

▼大岡信『うたげと孤心』(岩波文庫)は、手にとって二、三頁を読んだときにすぐ、ああ、これは名著になるな(わたしにとっての)と直感しました。これは、ゆっくりと――始めがあり終わりがあって今このあたりを読んでいる、あとこれだけ、という〈クロノス〉的な読み方ではなく、今読んでいるこの頁に歩みを合わせて、寄り添うように、〈純粋持続〉風に、〈カイロス〉風に、味読をしたいと、今はまだ寝かせてあります。もう一冊、大岡さんの『日本の詩歌――その骨組みと素肌』(同)、これは実は重複でした。今年買って、読んだのもそんなに以前ではありません。届いた現物を見て、「わっ、やった」と苦笑。そういう「重複本」がもうすでに何冊あだろう(3冊同じのがあるのもある!)。それらは老人となる以前からの堆積です。笑止です。

▼ソルジェニーツィン『収容所群島』、新潮文庫版の第1冊だけ買って先日読了しました。石原関連の一冊。『イワン・デニーソヴィッチの一日』はすでに読んだのですが、『収容所群島』は、わたしが古書検索をしたときはなぜかやたらに高価で、全6冊を一度に揃える気にならず、とりあえず、と思って一冊だけ買ったのです。あと5冊、あの「群島」の暗くて陰惨で滑稽で不正で残酷で……を読み続けるのは楽しい仕事ではないけれども、結局わたしは、ぼつぼつと残りを買い揃えて読むことになるでしょう。

▼熊野純彦『レヴィナス』(岩波現代文庫)。野村喜和夫氏の『証言と抒情 詩人石原吉郎と私たち』は、その論の多くをレヴィナスに負っています。レヴィナスは、ちょうど日本語での翻訳や入門書や研究書が出始めた頃にわたしも何冊か読んで、知ったかぶりをしてその名前を拙稿「伊東静雄初期詩篇論」に引いたりしたのですが、正直なところは il y a などの語句を読みかじっただけでした。熊野さんのものはその前に『レヴィナス入門』(ちくま新書)を読み、そして今回のものを読んだのですが、これもやっぱり難解でした。レヴィナスは難解で野村の論証はついて行くのがむつかしく石原の詩はうまく解読できない。

▼小柳玲子さんの名前は、詳細な石原年譜を作成した人として知っていましたが、『サンチョ・パンサの行方』(詩学社)は、おもしろかった。詩論でも評伝でもなく、これは(「ロシナンテ」のころ以来の)詩人たちの回想記、とでも言えばよいか、読んで行くうちに「私が小学四年生の時、終戦になって……」おやおや、それではわたしと同い年ではないか。読み進むと、井川博年さんの名前が出て来て、また、おやおや、と思いました。

▼それでは皆様、どうかよいお年をお迎えください。
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2017年12月21日(木)10時55分32秒
  11月25日午後2時から諫早図書館2階に於いて、第116回月例会を開催した。
会報は、110号。

今回は、伊東静雄の詩3篇を鑑賞した。
「中心に燃える」「夏の終わり」「帰路後」

会報はつぎのとおり。

1  静雄ノート (9)                      青木 由弥子
                                「千年樹」72号から転載

2 評論 「伊東静雄の花と雪 2」                      饗庭 孝男


3 詩  「三途の川」                  平野  宏


4 はがき随筆 「モクセイの匂う頃」            龍田 豊秋
                            <2017.11.16 毎日新聞掲載>

5 野口寧斎 優れた文人 生誕150年記念文学祭
                               <2017.11.12 長崎新聞掲載>

6 詩 「長崎まで」                     野崎 有以
                             中原中也賞受賞


                                          以上

今朝は、今冬一番の冷え込みで、霜が降りました。
明日は冬至です。
 

藤山増昭詩集『命の河』

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年12月19日(火)16時59分28秒
編集済
   藤山増昭詩集『命の河』が出版されたというご連絡を受け、早速購読しました。

 同詩集には、昨年の伊東静雄賞を受賞された「四月の雨」も載せられています。

 帯に書かれた以倉紘平氏の次の言葉が、この詩集の特長を言い尽くしています。

 ―「作者は選ばれて、いのちの河の秘密を覗き見たのではなかろうか」


 “「暗闇」~「ここに在るということ」”

(2週間の昏睡状態という)「暗闇」の真ん中で、
「わたし」というかすかな意識が、「今確かに暗闇にいる」ことを気付く。

 感覚のない闇の中から、「外燈に似たうす黄色い灯りが滲んでみえた」

「風が吹きわたる生の入り口!」

 寄せては返す波のように、生の入り口へ抜ける「目覚め」のあがきの繰り返し

 やがて顕われる「救命室の白い天井の灯は なつかしい蜜柑色だった」

 こうして「わたし」の意識が起動力となって、暗闇のなかから蘇った詩人は、
 「億年を繋いで風のように流れる“命の河”]その一齣の「わたし」
  ―「雫である自己という存在」を認識するに到る。(「ここに在るということ」)

  ―普遍的な「命の河」の粒子である「ひとつひとつの命」の愛しさよ!!

 感動の絶唱です!!!

    CF:<―いま入海の奥の岩間は
      孤独者の潔き水浴に真清水を噴く―>(伊東静雄「漂泊」より)を想起。

 どうか皆様ご一読ください。

 発行所 株式会社編集工房ノア/テ531-0071
                大阪市北区中津3-17-5
                電話06(6373)3641
 
 

詩的言語の生成

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2017年12月 6日(水)12時32分14秒
   ずいぶん長らくごぶさたをしました。
 「桃谷談話会」で今回私が「石原吉郎と香月泰男」をテーマに話をすることを引き受け、2ヶ月ほど準備に没頭して、それがこの3日の日曜日にようやく終わりました。私の談話は時間が大幅に不足して、なんとも中途半端に終り、大いに悔いを残してしまいました。そもそも私が石原吉郎について語るということ自体が無謀のきわみなのですがそれはもう云わぬことにします。そうして、ひとつだけ、席上、私が絵を描いて話したことを、投稿の形で皆様に見ていただこうと思います。


 「心」というものがあるとします。はじめ、その心の中に、もやもやとした、なにか気がかりのようなものがあって、次第にざわめきのようなものに変わり、あたかも宇宙生成のときの塵がだんだん凝り集まって星のモトをつくるように、あるまとまりを作りはじめますが、まだ形も定かでなく、ましてやそのものを呼び表わすべきコトバもありません。詩人は〈そのもの〉を呼ぶべく――それこそ意識の暗黒部との必死な格闘を行いつつ――〈コトバ〉を探します。
 言語学の用語を借りて、〈コトバ〉を signifiant、〈そのもの〉を signifie と呼ぶことが許されるでしょう。

 石原に「陸軟風」という詩があります。はじめ、「気配」のようなものが萌し、それは「風」と感じられ、最後にそれは「望郷と呼んでもいいだろう」と結ばれます。
 多くの場合、signifiant は、はじめて名付けられたコトバとして、〈喩〉の形をとるでしょう。(図1)

 次の事柄は多分、誰も言ったことがなく、おそらく、詩に無知な素人のたわごとと云われるかもしれないが、とことわりつつ、石原の「夜の招待」を取り上げて、こんなことを云いました。通常、signifiant は、能記としてこちら側から、ある名前のないものに名前をつけようとするのだが、時に signifie のほうから、いわば突然それがはじけるようにして、signifiant を、コトバを、飛び出させることがあるのではないか。なにか〈夜〉にかかわる、あるもやもやしたものがあり、あるとき突然、〈そのもの〉がはじけて〈コトバ〉をはじき出す(図2)。「ぴすとる」「かあてん」「連隊...せろふあんでふち取られた」「ふらんす...すぺいん」・・・
 これらのコトバがどのような脈絡を持つのか、それは「心」に聞いてみなければわからない。ただ、この詩がもしこのようにしてできたとすれば、それを「散文にパラフレーズする」のは不可能であろう、ということは、自ずと了解されるのです。
 

第28回 伊東静雄賞について

 投稿者:伊東静雄顕彰委員会  投稿日:2017年11月29日(水)19時25分17秒
  優れた現代詩に贈る第28回伊東静雄賞は、国内外から1098篇の作品が寄せられ、平野宏氏、田中俊廣氏、井川博年氏、以倉紘平氏による選考の結果下記の通り決定いたしました。

  伊東静雄賞 正賞 賞状・副賞 50万円
     「きょうだい」 山之内 勉氏 鹿児島市在住

  贈呈式
      開催日時 平成30年3月25日(日) 菜の花忌終了後
      開催場所 諫早市 諫早観光ホテル 道具屋

尚、伊東静雄賞受賞作品及び選評、並びに佳作49篇の作者氏名は、諫早市芸術文化連盟誌「諫早文化13号」(平成30年4月発行)に掲載致します。
                               伊東静雄顕彰委員会              
 

映画『笑う故郷』

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年11月20日(月)15時56分54秒
編集済
   生憎の雨、紅葉見物の予定が映画鑑賞になりました。
 観たのはアルゼンチンとスペイン合作『笑う故郷』ー原題『名誉市民』。その解説には次のように書いてあります。

 「ノーベル文学賞を受賞したスペイン在住の作家ダニエルは、故郷の田舎町からの招待を受けて、30年ぶりに、はるばるアルゼンチンに帰郷する。予告編では、国際的文化人の帰国で歓迎ムードかと思いきや、故郷の住人たちのダニエルに対する嫉妬、酷評、侮蔑が渦巻き、予期せぬ出来事に巻き込まれる作家の姿をユーモラスに切り取っている。」

 南米チリとアルゼンチンは、南北に長く国境を接する国ですが、古来隣国同士対抗心が強く競り合ってきたそうです。ノーベル文学賞受賞者は、チリからは2人も出ているのに、アルゼンチンからは零、これが悔しくてアルゼンチンの片田舎からノーベル文学賞受賞者が出たらどうなるかという「ブラックコミック映画」を作ってみたら、これが国際的なヒットを獲得したといういわくつき。面白く肩が凝らないので、お近くの映画館で上映されたらご覧下さい。(実は、コロンビアのノーベル文学賞受賞者であるガルシア=マルケスとその出身地アラカタカをモデルにしたのだという解説もあります。)

 私が驚いたのは、空港から車で7時間かかる田舎町ですが、携帯電話の「自撮り」が大流行で、主人公は一緒に写真をとりたい人の渦に取り巻かれます。アルゼンチン料理は、羊頭の丸焼きなどオーバーめに表現されてはいるのでしょうが、われわれ「文明人」にはとても食べられそうもありません。
 この映画には、スペインやヨーロッパにに憧れや妬みを抱くアルゼンチン国民の気持ちや裸の姿が、アルゼンチン人自身によって描かれているのではないかとも思いますが、“個性と多様性”と特徴づけられるラティーノ(ラテンアメリカの人々)の感じ方や行動パターンが、私はほとんど認識できていないようです。
 この映画の印象を一言で言えば、「一見親しみやすく、人なつこいラティーノの表情の下にかくされている殺意」という“ブラックコミック”でしょうか。

 
 

野崎有以(あい)詩集『長崎まで』-第22回中也賞受賞

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年11月16日(木)13時23分17秒
編集済
  時々、本格的な冬のような木枯らしが吹き始めましたが、お元気でしょうか。

・・・・・・・・・
路面電車で眼鏡橋近くの電停まで行って「長崎詩情*」を口ずさむ
私の生まれた冬がない
なかったら作ったらいい
作ったらいいんだ

長崎本線から見える有明海の夕日がまぶしくて両手を顔の前で広げる
まぶしいからだけではない
身体を透かすほどの純粋な抱擁があった
瞬きのたびに無数の夕日の粒が海に降る
様々な光りかたをする粒が輝きとしてそこに存在する
こうしていつかの夕日の一粒として
私は生まれた
・・・・・・・・・・・・
              ―詩集『長崎まで』89~90頁から抜粋
*内山田洋とクールファイブ「長崎詩情」

昼休みに覗いた書店で、“野崎有以(あい)詩集『長崎まで』”という表題を見てこの本を買いました。(中村稔『言葉について』も同時に購入しました。)

 「あとがき」によると、詩人野崎有以(あい)さんは東京の人で、一度も長崎には行ったことはないが「長崎は私の未踏の故郷だ」そうです。
「野崎有以というのは本名で、有は有明海から一文字もらった。“東京がだめだって私には長崎がある”、そう思って生きてきた。“あい”という音で正しく呼ばれるもうひとりの私がどこかにいるような気がしていた。有明海のまわりにその子がいる、そう信じていた。詩を書くことはもう一人の私に会いに行くことを意味している。生きていく過程で手放してしまったもの、取り上げられたものを詩によって取り戻そうとした。私の書く詩の多くが有明海のある九州を舞台としているのはそのためだ。・・・・・」

 戦後現代詩史を飾る著名詩人達の詩に歌われた「わたし」は、伊東静雄や三好達治の「わたし」よりもさらに複雑な情念を持っていると、90歳の現役詩人中村稔氏は書いておられます(青土社『青春の詩歌』序文)。

 野崎有以さんの「わたし」や「故郷」も、フィクションを駆使して自由に転開し躍動する「わたし」であり、また私の「半身」が有明海の辺りにいると幻想することにより、有明海が「詩のポトス」となっています。
 野崎有以さんの詩には、クールファイブ・前川清の歌から着想を得たと注釈されている詩があります(「前川清さんが、言葉を自分の歌として唄うときの誠実な姿勢にすごく惹かれたんです。」『現代詩手帳』2017July)。
 100頁足らずのこの詩集をつい一気に読んで終いましたが、随所で「捻った」表現がされているので、もう一度ゆっくり再読・吟味してみたいと思っています。いわゆる「ガチ現代詩」ではない、いまどきの若者の「自由で躍動的な現代詩」(詩語を用いない詩)のサンプルを見ているような気がします。

 長崎の皆様方も、風邪を引かないようにご自愛ください。
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2017年11月15日(水)13時28分40秒
  霜月となり、冷え込んで来ました。
皆様、ご健勝でお過ごしでしょうか。

10月28日午後2時から諫早図書館2階に於いて、第115回月例会を開催した。
会報は、109号。

今回は、伊東静雄の詩3篇を鑑賞した。
「雲雀」「訪問者」「詩作の後」

会報はつぎのとおり。

1  評論 「感じるままに」  諫早の文人について          小滝 英史


2 「わたしの詩作」                                    青木 由弥子


3 「伊東静雄の初期作品と風土」             上村  元


4 井川 博年『夢去りぬ』 を読んで          野崎 國弘


5 「老いの坂」                         井川 博年
                     (『夢去りぬ』の巻末所載詩から抜粋)


6 詩 「独りごと」                     山田 かん


7 詩  「死者は雲になる」               池田 幸子

                    ※cloud   (IT用語で雲)  海峡派第140号

8 評論 「伊東静雄の花と雪」                          饗庭 孝男

                                          以上


上山公園にある、野呂邦暢文学碑の周りもすっかり秋めいて参りました。
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2017年10月17日(火)16時11分43秒
  ようやく平年並みの気温となり、秋の到来です。
上山公園にある「野呂邦暢文学碑」横の金木犀は、いつの間にか咲き終わっていました。銀杏は少し色付いてきました。

9月23日午後2時から諫早図書館2階に於いて、第114回月例会を開催した。
会報は、108号。

今回は、伊東静雄の詩3篇を鑑賞した。
「誕生日の即興歌」「野の夜」「夕映え」

会報はつぎのとおり。

1  井川博年さんの詩集『夢去りぬ』(思潮社)が、第24回丸山薰賞に決定しました。
    井川さんは、「少年時代から憧れていた丸山薰の名前を冠に頂く文学賞を受け、夢のようであり、
   最高の喜びです。」とコメントされています。
                                              <東日新聞 2017.9.13>

    詩 「二百年」                          詩集『夢去りぬ』より

2 「あゝ暗」                                           岩坂 恵子
                *伊東静雄の詩  「春浅き」から
                *尾形亀之助の詩 「序 二月」から
                                       夫は、詩人・作家の清岡卓行

3 玖島桜に会いたくて(大阪市北区造幣局の通り抜け桜)       志田 静枝

                                           2017年「秋桜」21号

3 諫早の詩人 上村肇 この一篇 「雪」              松尾 静子

                                        平成29年「子午線」122号

4 詩 「風が起つ」                                   村尾 イミ子

                                        平成29年詩誌「真白い花」17号

5 詩 「精霊流し」                          宮城 ま咲

                                         西九州文学39号より

6 「海鳥忌」 没後11年

  上村肇の詩数編を朗読し、個人の在りし日を偲びました。
                                          以上

    伊東静雄の詩「なれとわれ」を想起させる情景を探りました。
     なつかしき山と河の名...
 

実りの秋

 投稿者:青木由弥子  投稿日:2017年10月 3日(火)12時44分36秒
  皆様、お元気ですか。モルゲン様、拙詩集をお読みくださったとのこと、本当にありがとうございました。

『詩と思想』の編集に関わるようになって・・・学ぶことが多すぎて、頭の中、ひっちゃかめっちゃか、です(・・・大学生の頃、ひっちゃかめっちゃか、と言って、どこの方言?と笑われたことがありますが・・・埼玉の方言、なんでしょうか・・・)

一年に一回か二回くらい、「責任編集」の仕事が回って来る、と思っていたのですが、流れで11月号を手伝うことになり、12月号の「文月悠光」さんをお迎えしての座談会は、もともと、私が企画した案なので、まあ、同時進行でバタバタしており・・・1,2月合併号の「年鑑号」でも、いろいろと仕事があったことを知り・・・五月号を担当する、はずだったのですが、寄稿者などとの兼ね合いというのか、諸事情、ご都合、その他鑑み、ということで、三月号に前倒し、ということになって(まあ、私がお願いして、そうしてもらったので、忙しいとも言っていられないのですが)なんでこんなに毎日走っているんだろう、という感じになっています(笑)

おまけに、というのも変ですが。今年の2月に若者たちが立ち上げたインターネットサイト、ビーレビュー(https://www.breview.org/)にも、まりも、のハンドルネームで関わるようになり・・・これも、流れ、と言えばそれまでなのですが・・・もう、笑うっきゃない、くらいの勢いで、詩にまみれる日々を送っています。

とりいそぎ、近況報告です。
 

井川 博年『夢去りぬ』

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 9月26日(火)12時27分49秒
編集済
   一昨日、福知山から帰ったら詩集『夢去りぬ』( 井川 博年 1940年12月18日生76歳)が配達されていて、取り急ぎ全詩を読ませていただきましたので、本日、昼休みに走り書きの投稿をさせて頂きました。

 井川博年さんは、「生まれついてのロマンティストの甘ちゃん。その私の今の気分にぴったりなのが、『夢去りぬ』というわけ。」と、「あとがき」に書かれています。
 因みに、『夢去りぬ』とは、1939年にアメリカで発表された楽曲「Love's Gone」の、服部良一さんによる日本語題。(井川さんと同年代の私はこの歌を全く知りませんでした。「あとがき」を読んで、この詩集が『夢去りぬ』-「Love's Gone」とされた所以が分かりました。)

 この詩集のなかでとりあえず私の目をひいたのが、「帰郷者―自然は限りなく美しく永久に住民は貧窮してゐた」という静雄詩の引用文を前文につけられた「明るい帰郷者」という2015/3『暦程』初出の詩です。「明るい帰郷者」とは「明るいナショナル」や「明るい農村」という1945~50年代の流行語に由来するのでしょうか。
  ・・・・・・
  見わたすかぎり
  耕作放棄地になった
  田んぼは草ぼうぼう
  山や畑は荒れ果てて
  猪が出るので危険になった。
  ・・・・・・
「ああ昔の農村はどこへいった」と詩人が嘆く「昔の農村」とは、詩人が18歳で後にした松江市の風景でしょうが、諫早の「昔の農村」の風景もほぼ似たようなものでしょう。
 私の生家は150年以上も経ち危険だと数年前に取り壊されたので、葬式や法事に帰郷してもホテルに泊まります。親戚は多いが、共通の話題も少ないので、挨拶程度の話しかしません。(もと農家の長男としては心の痛む耕作放棄地の荒れ姿ではあります。)

 伊東静雄が『帰郷者』を歌った1930年代と比べると、その後約80年間の交通網の発達、TVの普及、都会への人口流入など戦後日本共通の急激な社会の変化によって、井川さんが『明るい帰郷者』を歌われた現代の「故郷」は、全く別物に近い程に変貌しました。
 急げば2時間ほどで故郷に帰れるように便利になりましたが、田舎の道を歩いても殆どの人が自動車で移動するので住人には会いません。自動車どうしですれ違ってもチラッと見交わす程度のふれあいでしかなく、「各自ぶつぶつと呟く」暇さえありません。今も昔も変わらないのは「ただ多くの不平と辛苦ののちに」ともに一基の墓となっていることです。私も、大阪で生まれた係累が11人に増えたので、彼らの将来の墓参りの便を考えれば大阪近郊に墓地を買い墓石を建てることになるでしょう。
 私は、わが「老いの坂」を「道なり」に上がったり下がったりしながら日々を送っている昨今でありますが、若い人たちの助けを借りながらも、時の流れに逆らわず、「明るい老後」を全うしたいとと念じています。

    「老いの坂」
  ・・・・・
  昔々「老いの坂」を駆け上り
  ―人間五十年 夢幻のごとくなり
  京の本能寺に信長を討った明智光秀は
  山崎の山林で竹やりで刺されて
  首打たれた。
  だから人間
  みだりに坂は上ってはいけない。
  特に老いの坂は
  下るにまかせるまま。

        (『夢去りぬ』の巻末所載詩から抜粋)
 

二百年

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2017年 9月22日(金)16時22分7秒
   皆様。長らくごぶさたをしました。
 上村様。「伊東静雄研究会会報」をありがとうございました。
 井川博年様。「丸山薫賞」の受賞をお慶び申し上げます。おめでとうございます。

「二百年後の人々は……」と書き出された詩は、まことに心を揺すぶります。先年、中学のクラス会があったときに、雑談で「人類の滅亡とか云うけど、案外世間の思っているより早いのんとちゃうやろか」「わたしもそう思う。たとえば、五百年とか……」と、某女史は応じたのですが、五百年は甘いか。

 石原吉郎がヨハネ黙示録八・一の
  第七の封印を解き給ひたれば、凡そ半時のあひだ天静なりき
の聖句を引くことはよく知られています。第七の封印はすでに解かれて、われわれの生きてる今は、その「凡そ半時」の、わずかな時の間なのではないか、とどこかで云っていたような気もします。
 しかし石原はまた、詩「世界のほろびる日」で、

  世界がほろびる日に
  かぜをひくな
  ビールスに気をつけろ
  ベランダにふとんを干しておけ
  ガスの元栓を忘れるな
  電気釜は
  八時に仕掛けておけ


と云います。これは、世界の終末という大きな日に、日常の些末な事柄に執着する人間の愚かさへの皮肉とも読めますし、終末とはそんな大ごとではなく、ただ普段どおり静かに迎えればよいのだ、と云っているふうにも読めます。

 私は井川様の、

  ……それでもやはり人間だから
  今からは想像できない仕事をしていても
  仕事先でしくじったり家庭問題に悩んだり
  歯の痛みや背中の痛みに顔をしかめたり
  子供の成績や姿勢の悪いのを気にしているだろう
  二百年後も太陽は昇り夕立だってあるだろうから
  着て行くものも何にするか気になるだろう
  そうして笑ったり泣いたりしているのだろうか


このあたりに、何か共通した気分を感じます。

 人間の愚かさ、そういう人間への憤りと、哀しみと、いとおしさと。

 昔、詩を書いていたころ、こんな断片を書き付けました。

    終末
  静かに 暮れて行く
  喇叭の音など 聞えない


 以前この掲示板に開高健の詩碑のことを書いたときに、「北田辺」という詩を付した、あの内容も、「人類滅亡後の北田辺の人々」を描いたつもりでした。

 しかし、最近もっとも強烈だったのは、車谷長吉の、次の捨て台詞でした。

私たちはいま、得体の知れない時代のただ中に生きていることを強いられることになった。あとは
人類滅亡が待っているだけだ。いい気味だな。ざまあ見ろ。(車谷長吉『文士の魂 文士の生魑魅』)
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2017年 9月19日(火)11時43分12秒
  台風は、長崎に少しの風と雨をもたらしました。
のんのこ祭りは、1日だけの開催でした。
彼岸花を、あちらこちらで見かけます。

8月26日午後2時から諫早図書館2階に於いて、第113回月例会を開催した。
会報は、107号。

今回は、伊東静雄の詩3篇を鑑賞した。
「夏の終り」「螢」「小曲」

会報はつぎのとおり。

1  伊東静雄ノート         (8)
    『呂』5号(昭和7年10月)に掲載された詩2篇
    「母」
    「新月」
                                                   青木 由弥子
                                            千年樹71号より転載

2 詩 「白骨の耳」
                                                   松尾 静子
                                      子午線122号より転載

3 評論
                                                   小滝 栄史
                      評論 菁夜より転載

4 冥府の蛇
                                                   坂井 信夫

5 「夏の朗読会」が8月6日、諫早図書館で開かれた。
  諫早ゆかりの6作品(山田かん、上村肇、木下和郎)が朗読され、戦争体験の詩人 の言葉が 響いた。
                       長崎新聞 8月7日掲載
                                            以上
 

「星を産んだ日」

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 9月 8日(金)10時41分58秒
編集済
  青木様の「星を産んだ日」を、感動しながら読ませていただきました。ありがとうございました。

    「星を産んだ日」(青木 由弥子)

      ・・・・・・・・・・
     汗にまみれた白い分娩台の上で
     しわしわで赤い火の玉を胸に抱く
     胎脂でべたべたの手足でもがき
     小さな口を大きく開けて
     乳首を求めて挑みかかる
     ・・・・・・・・・・・

十年前に孫が誕生したとき、血まみれの「赤い火の玉」の写真を娘がメールで送ってくれました。娘は医師ですので、そのときは「リケジョ(理系女子)は凄いな!」とも思ったのですが、まさに「星を産んだ」感動的な瞬間の写真であったのだと、記憶が蘇りました。

今では、孫は、小学3年生の可愛い女の子に成長し、毎日クラシックバレーのレッスンに熱中しています。娘は、私の職場(大阪駅・グランフロント南館)の隣のビル(同・北館)の某医療法人の眼科クリニック院長になっていて、一見優しそうな顔で、十数人のスタッフと共に毎日忙しそうに診療をしています。
夏休みを利用して、熊本地震で中止していた九州旅行(2泊3日)に行ってまいりましたので写真を添付してみます。(別府、高千穂峡、阿蘇烏帽子岳)
 

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