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帝塚山派文学学会会報第5号

 投稿者:Morgen  投稿日:2018年 4月21日(土)21時42分38秒
編集済
  上村様
「菜の花忌」の模様を伝える新聞記事をお送りいただきありがとうございました。
 “Walking in ISAHAYA”の地図も、観光客の役に立つと思われます。(凡その所要時間を訊かれたことがあります。)

「帝塚山派文学学会会報第5号」がWEB上にありましたのでコピーして投稿します。


  平成29年9月30日(土)午後、帝塚山学院住吉校舎顕彰ホールにおいて第 5 回研究会が 15 人の参 加のもとに開催されました。 発表者は二人で、まず本会会員の湯淺かをりさんが「詩的流れとロマンチシズム――伊 東静雄の中のヘルダーリン」のテーマで発表しました。 湯淺さんは甲南女子大学大学院を修了し、これまでに伊東静雄についてのいくつもの論 考を発表してきた研究者です。学生時代の伊東静雄は、18 世紀から 19 世紀にかけて生き たドイツ・ロマン派の詩人フリードリヒ・ヘルダーリンに傾倒していましたが、湯淺さん は伊東静雄がどのようにヘルダーリンを受容したかを、書簡や処女詩集『わがひとに与ふ る哀歌』中の詩の引用を通じて跡づけました。 もう一人の発表者は本会会員で帝塚山学院大学教授の福島理子さんで、テーマは「詩人 の観照――穎原退蔵の芭蕉研究と伊東静雄」でした。 京都大学国文科を昭和 4 年に卒業した伊東静雄の卒業論文は「子規の俳論」で、その卒 論には最高点が与えられました。そこには穎原退蔵講師の強い推輓があったとされていま す。伊東の卒論中に「白菊の目に立てみる塵もなし」という芭蕉の句に「象徴」性を見よ うとする個所があるのですが、昭和 26 年に刊行された穎原退蔵『芭蕉俳句新講』中の同句 評釈にも「象徴」の語が使われています。ところが昭和 3 年に穎原退蔵が発表した同句の 評釈では「比喩」を使って、「象徴」とは言っていません。この変化は詩人伊東静雄の「観 照」が研究者穎原退蔵に影響を与えたことを意味するのではないか。福島さんの発表はこ の仮説を周到な資料をもって論証しようとするものでした。 なお、上記二つの発表は、来年 3 月刊行予定の『帝塚山派文学学会 紀要』第 2 号に掲 載します。
 
 

新緑の中ー“SCRAMBLE GRAND ART FES"

 投稿者:Morgen  投稿日:2018年 4月17日(火)22時57分28秒
編集済
   桜花~新緑へと季節が目まぐるしく移り行く中、皆様は恒例の「菜の花忌」行事を終えられて、一息をついておられるところかと思います。

 職場の窓外に広がる大阪駅北口広場も、仮設スケートリンク場~満開の桜~(何かの)イベント会場(?)へと、次々に模様が替えられています。

 今日は、添付写真のようなアニメ風の景色が突如現れ、臨時の遊園地でも開設されるのかと思って説明を読むと“SCRAMBLE GRAND ART FES"の準備と掲示してあります。
 グランフロントビル竣工5周年を記念して、世界的に有名な現代アーティストの作品が広場に展示されるのだそうです。

 連日、沢山の外国人観光客が行きかい、種々の外国語が飛び交うなか、私たちはそれらの賑わいを避けるようにして黙々と仕事をしていますが、こんな雑踏の中に長期間にわたり“芸術”を出現させるというのはなかなかの新鮮な企画です。

 先日は、「帝塚山派文学学会」紀要第2号が送られてきたので、諫早の方にもコピーをお送りしておきました。湯川かをり様と福島理子様の熱心な研究論文が掲載されています。伊東静雄研究者がだんだん少なくなっていく中、貴重であると痛感しつつ熟読させていただきました。読んでみたい方はこの掲示板に投稿してください。

・『詩的流れとロマンチズム―伊東静雄の中のヘルダーリン―』(湯浅 かをり)

・『詩人の観照―潁原退蔵の芭蕉研究と伊東静雄ー』(福島 理子)






https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000206.000005181.html

 

菜の花忌

 投稿者:齊藤 勝康  投稿日:2018年 4月 9日(月)09時24分21秒
  寒い季節が過ぎ、今年もその季節が来たのですね。諫早での高橋順子さんの講演聞きたかった。10年ほど前、車谷長吉展が姫路文化館で開かれていて伺いました。その時.鷲田氏との対談は聞いたのですが別な日の順子氏との対談はは聞きそびれました。車谷氏の追悼の著作は最近読んだところです。

現在の混沌とした世界情勢の中、事務局をやっている大阪露文談話会では、4/17日1830、千日前丸福コーヒー店2階でウリツカヤ(1943~)の「通訳ダニエルシュタイン」をとりあげます。全編600p、エピソードのコラージュという手法で描かれていて読むのは大変ですが読後の感動は大きい。今回は初めて方向音痴の私が道案内をしますがどうなりますか。
 

「庄野潤三の文学と帝塚山」

 投稿者:Morgen  投稿日:2018年 4月 2日(月)11時19分49秒
編集済
  「庄野潤三の文学と帝塚山」(上坪 裕介)という講演録(帝塚山派文学学会)をご紹介します。

 全文(PDF)を添付すればよいのですが、この掲示板では利用できませんので、興味のある方はWEB上に公開されている講演録をご一読ください。

 講師の上坪先生は、日大芸術学部の新進気鋭の学者で、「庄野潤三研究」を博士論文のテーマにされました。伊東静雄との関連についても、若干言及があります。

 上坪講演の論点のュニークなところは、庄野文学=人間賛歌の文学(喜びの種子を蒔く~理想の場所づくり~根づきの実践~場所の成熟)としてとらえるところにあります。(所謂「トポロジー」的考察)

 庄野潤三さんは、青春時代には(憂愁の深い戦争の)「1940年代」を体験され、戦後を生きる新しい人生観として、“自分自身の手で「喜びの種子を蒔き、根づかせ、成熟させよう”という考え方を固められたとも言えるのではないかと、この講演録を読んで思いました。(国家や社会賛歌~人間賛歌へ)―(お前の憂愁の深さのほどに)、<行って 明るくかしこを彩れ>という静雄詩を私は連想しました。―

 また、庄野さんの「人間賛歌の文学」は、「帝塚山派文学」を代表するの文学の基調ともなっています。

 40ページという長文のため詳細をご紹介することはできませんが、下記URLからダウンロードして、ご一読ください。

 写真は、大阪城公園の葉桜になりかけた“名残りの桜”です。(4/2 スマホ撮影)

https://media.toriaez.jp/y1983/083165017456.pdf

 

初夏の陽気ですね。

 投稿者:Morgen  投稿日:2018年 3月28日(水)23時49分27秒
編集済
  「伊東静雄研究会」の皆様方のご尽力により、第54回「菜の花忌」が盛大に催行されたことを共にお慶び申し上げます。

 今日(28日)は休暇を取って、京都八幡「背割堤桜」の花見をしました。気温が25度近い初夏の陽気のなか、訪れた人々は、桜の並木を通り抜けるやや強い南風を心地良さそうに花見を楽しんでいました。桜はほぼ満開の状態ですが、まだ「花吹雪」は見られず、しっかりと花が枝に着いています。当分は雨も降らないようなので、今度の土日あたりは道路や堤の土手も満員の花見客で埋め尽くされるでしょう。

 事業年度末を迎え、当分は仕事も忙しそうですが、老化に抗うために出来るだけ暇を作って自然に融け込みつつ身体を動かすように努めたいと思います。淀川べりは本当に鶯や野鳥が多いですね。



 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2018年 3月27日(火)11時14分21秒
  3月25日は温かく穏やかな日よりでした。
諫早公園中腹の詩碑の前で、第54回「菜の花忌」が開催されました。

献詩  真城中学校3年  阿比留 大和さん 「挑戦」
       鎮西学院高校2年  藤原 早恵さん  「Faith」(信頼)

詩朗読  諫早コスモス音声訳の会 中路 美知子様 「夜の停留所」
        詩人          田中俊廣様  「秧鶏は飛ばずに全路を歩いて来る」
                                                     (チェーホフ)

その後場所を変えて、諫早観光道具屋で第28回伊東静雄賞の贈呈式が行われました。
今回伊東静雄賞を受けられたのは、鹿児島市在住の山之内 ? 様です。
                   作品は、「きょうだい」

記念講演の講師は、詩人・高橋 順子 氏でした。
演題は、「詩と小説の間」
 

三国ヶ丘菜の花忌(堺市)

 投稿者:Morgen  投稿日:2018年 3月 8日(木)17時25分8秒
編集済
   すっかり春らしくなりました。
 先日は、三国ヶ丘菜の花忌(堺市)に参加しました。五月を思わせる陽気の下、旧堺灯台~宿院(「ちく満」蕎麦店)~三国ヶ丘と歩いて、何枚かの写真を撮りました。

 当日の講演者は、前褐のとおり帝塚山派文学学会副代表の高橋俊郎さんでした。「帝塚山派」と言われる文学者たちの相関関係について、詳細な説明がありました。

 そのレジュメにあった(添付写真1)左端の秋田実さんと伊東静雄が何となく似ているように見えたので添付します。(左から秋田実、長沖一、藤澤恒夫)

 『帝塚山派文学学会 紀要』に、伊東静雄に関する研究(添付写真2参照)が発表されているようですので只今取り寄せています。届きましたらコピーをお送りします。(同会事務局の八木様よろしくお願いします。)
 

菜の花忌ご案内

 投稿者:上村  投稿日:2018年 3月 6日(火)12時00分3秒
  ご案内  

伊東静雄菜の花忌(堺市i)

 投稿者:Morgen  投稿日:2018年 3月 3日(土)00時26分50秒
編集済
  堺市中央図書館の行事・催し物欄に次のような記載があります。

伊東静雄菜の花忌
詩人・伊東静雄の命日「菜の花忌」にちなんで、帝塚山周辺に住む大阪の作家たちとの関わりをテーマとした講演会を開催します。講師は、帝塚山派文学学会副代表の高橋俊郎さん。また、詩の朗読やミニコンサートを行います。
3月4日(日曜) 午後2時から4時 (受付:午後1時30分から)
三国丘幼稚園(北三国ヶ丘町4丁1-12)で。参加費500円。直接会場へ。先着60人。
問合せは、中央図書館(電話:244-3811 FAX:244-3321)か、けやき通りまちづくりの会(川添 電話:232-1362 問合せ時間:午前8時から午後8時)へ。
 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2018年 3月 1日(木)15時06分34秒
  ようやく寒が極まったようです。
諫早公園の大寒桜の蕾みがふくらみ、ピンク色が鮮やかになってきました。

2月24日午後2時から諫早図書館2階に於いて、第119回月例会を開催した。
会報は、113号。

今回は、伊東静雄の詩3篇を鑑賞した。
「雷とひよつこ」「子供の絵」「夜の停留所で」

会報はつぎのとおり。

1  「静雄ノート」  (10)                                青木 由弥子

                                              「千年樹 73号」より転載

2 詩  「新帰郷者」                  原 子朗


3 詩  「龍」                                   高塚 かず子

                                       「あるるかん」2017.2より転載

4 詩 「あなたなんかと」「才能」「誰」「夕日が畳に」    高橋 順子

                      1997年読売文学賞受賞の詩集「時の雨」より転載

    高橋さんは、3月25日の伊東静雄賞贈呈式において、記念講演の講師を務められます。
    演題は、「詩と小説の間」です。楽しみですね。
                                              以上

 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2018年 2月15日(木)15時51分43秒
  1月27日午後2時から諫早図書館2階に於いて、第118回月例会を開催した。
会報は、112号。

今回は、伊東静雄の詩3篇を鑑賞した。
「小さい手帖から」「野の樫」「露骨な生活の間を」

会報はつぎのとおり。

1  評論 「伊東静雄の花と雪 4」   了                   饗庭 孝男

2 読み方                                          伊東 静雄

「....自分は古来の和歌を毎日二、三首づつ読むことを、忙しい日の読書法としてゐる。」
                                      <大阪毎日新聞 昭和18年9月12日>

   私も見習いたいものです。

3 ワシントンのうた  (抄)                            庄野 潤三

      恩師伊東静雄の思い出

4 詩 「故郷」                                   ヘルダーリン
                                                 川村二郎 訳


5 「古典落語が好き」                                   龍田 豊秋

               <毎日新聞長崎県版 はがき随筆 平成29年12月20日掲載>


6 詩 「露骨な生活の間を」                              伊東 静雄

                              昭和24年1月1日「新大阪新聞」発表

                                          以上
 

「まちのにぎわい」づくり(湖北・長浜)

 投稿者:Morgen  投稿日:2018年 2月12日(月)16時38分46秒
編集済
    昨日(2月11日)、滋賀県長浜市(人口約12万人)恒例の『長浜盆梅展』を観に行きました。
 樹齢200年を超えるような老樹が何本も展示されており、白梅や紅梅が見事に開花しています。雪が降ったりやんだりという天気の下でも、遠方からの見物客が多く、例年通り賑わっています。盆梅展期間中は展示物の入れ替えもあるので、回数券を買って来られるお客様も多いそうです。

 江戸初期に(真宗大谷派長浜別院)「大通寺」の寺内町として拓かれた旧市街地区には、昨日も沢山の観光客が訪れて、お祭りでもやっているのかとかん違いするほどの賑わいを見せていました。「黒壁スクエアー(ガラス館、オルゴ-ル館・・・)」などがあって、特に若い観光客が多く、有名な和菓子屋の喫茶店には、若い男女の行列ができていました。そこで珈琲を飲むつもりでしたが、あきらめて土産だけを買って帰りました。別の和風喫茶店に入ると、お座敷の縁側に樹齢400年の老梅が蕾をつけていました。この文化財的老樹を守っておられる吉田さんから色々な話を聞かせていただきました。手作り草餅の上品な甘さに、吉田さんとわが老妻が「これは美味しい。」としきりに共感しあっていました。(花より団子です。)

  長浜市役所が「まちのにぎわい」づくり補助金(一軒当たり最高500万円)などの施策によって、古民家や街並みの保存に力を入れて、観光客誘致を促進してきたことも繁盛の一因でしょう。それよりも、もともと商売上手な住民パワーを誘導し、熱意、創意工夫を活かした「まちのにぎわい」づくりがなされています。「まちのにぎわい」づくりの成果を上げているモデル地区、他の都市も長浜市の経験に学ぶことが多いのではないでしょうか。

 湖北・長浜は、今日~明日と「吹雪」の天気予報が出ており、まだまだ厳寒が続きますが、咲き誇る盆梅の花はすでに春の到来を告げており、曇天の合間に、時々照りつける太陽はとても冬のものとは思えないほどの強烈さです。春がすぐ近くまで来ていることを実感します。

  蓬莱にきかはや伊勢の初たより  はせを
 (盆梅展会場の「慶雲館」の庭に建立されている日本最大10トンの芭蕉句碑)

http://

 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2018年 1月22日(月)10時59分34秒
  12月23日午後2時から諫早図書館2階に於いて、第117回月例会を開催した。
会報は、111号。

今回は、伊東静雄の詩3篇を鑑賞した。
「路上」「都会の慰め」「明るいランプ」

会報はつぎのとおり。

1  第28回伊藤静雄賞受賞作品 「きょうだい」     山之内 ?                鹿児島市在住

2 評論 「伊東静雄の花と雪 3」                      饗庭 孝男

3 詩  「原子のかなしみ」               山之内 ?


4 「長崎まで」      (2)               野崎 有以

5 藤山増昭さんの詩集 「命の河」が出版されました。

    帯文 以倉紘平・装画 吉永裕・発行所 株式会社編集工房ノア
    定価2,000円+税
                                          以上

いよいよ本格的な冬の到来です。
皆様、御身をお大切に。
 

米田義一様のご冥福をお祈りいたします

 投稿者:上村紀元  投稿日:2018年 1月12日(金)11時46分21秒
  米田義一様のご逝去に謹んでお悔やみ申し上げます。

 昨年10月、新生(臼井喜之助編 第一輯・第2輯 昭和15年)の写しと、依田義賢詩集「冬晴」上村肇詩集「地上の歌」(いずれも昭和16年ウスヰ書房刊)のご恵贈にあずかりました。
 米田様との御縁は、山本皓造様を通じ、伊東静雄原作「美しい朋輩達」映画題名「美しき朋輩たち」の件で
ご教授賜りました。箕面高校紀要 楓6号にこの映画の詳細について著述されています。

 いただいたご書簡に「伊東先生の詩碑を訪ねて諫早公園に赴いたのは何年前だつたか、もう数へることもできません。また、新しくできた美原図書館わきのは体力が衰えたので訪ねて行くことは多分ないでしょう。
 ついでながら、大阪市阿倍野区松虫通りの詩碑は、拡張されて車の往来が繁しくて風情の乏しい大通に面してゐますが、むかし丸山小学校に在学してゐた当時同級生の家がすぐ傍にあつてしばしば遊んだところです。そこはまた、住吉中学校在学当時の登下校に歩いた道筋にあり、その辺りを伊東先生がよく散歩なさつたといふのが十分納得できて満足です。(後略)」

 前述の「冬晴」「地上の歌」も今や希少本となりました。いずれ諫早図書館に寄贈したいと思います。米田様のご厚情に感謝申しあげご冥福をお祈り申し上げます。合掌
 

映画『美しき朋輩たち』と、原作者名「壁静」のこと(再掲)

 投稿者:Morgen  投稿日:2018年 1月11日(木)23時22分39秒
編集済
  米田義一氏のご逝去を悼み、ご冥福をお祈りいたします。

 山本皓造様(2008年 7月15日 投稿)の“映画『美しき朋輩たち』と、原作者名「壁静」のこと”が(no55のところで)見つかりましたので、(深夜のため山本様には無断ではありますが)再掲させて頂き、同文章を初見の方々とも共有したいと思います。


<投稿者:山本皓造  投稿日:2008年 7月15日(火)13時41分44秒>

  昭和3年に「御大礼」を記念して、大阪三越の主催、大阪毎日新聞の後援で児童映画脚本の懸賞募集が行われ、伊東静雄がこれに応募してみごと第一等をかち得たことは、すでによく知られています。
 私は、上村紀元さんが「掲示板アラカルト」の記事で、美しき朋輩たち→美しい朋輩たち が正しいようです。(当時の報道 大阪毎日新聞)と書いておられることについて少し疑義が生じたのがきっかけで、米田義一さんにお尋ねしているうちに、大変な仕事を仰せつかりました。

 以下、その任を果たすために、この稿を出します。
なお、米田義一さんは住中19期、この映画に関して、次の2篇があります。
・資料紹介「映画見たまゝ『美しき朋輩たち』(伊東静雄原作)その他」(「果樹園」204号、昭和48.2)[米田Aと記す]
・「美しき朋輩達」のゆくえ(「楓」6号、昭和49.7)[米田Bと記す]
またこの掲示板でも一度、2007.8.20の私の投稿で、お名前を出したことがあります。

                        *

「キネマ旬報」(昭和3.12.1)に掲載された梗概が小高根二郎氏によって紹介されて、映画『美しき朋輩たち』の内容の半ばが明らかになりました。しかるに「キネマ旬報」の記事では、「原作者・壁静」とされていて、小高根氏はこれを「ひどい改変」「大変な冒涜」と叱咤したものです。
 次に米田Aによって、「サンデー毎日」(昭和3.11.25)に載せられた、より詳しい梗概が紹介され、小高根氏も同じ内容を『生涯と運命』で引いています。ただ、米田Aは、この記事が、原作者を<伊東静雄さんといふ人です>と正しく書いていることを紹介しているのにたいして、なぜか小高根氏はこの事実にふれていません。米田氏はなお、新聞広告について原作者表記を調べたところ、阪神3紙では<伊東静雄氏原作>、東京2紙では<壁静氏原作>となっていることまで確かめ、「したがって伊東静雄の名は、映画「美しき朋輩たち」の上に、少なくとも京阪神では正しく冠されていたのであり、全く隠蔽されたり抹殺されたりしていたのではなかったのである、しかし、ひとしく<大阪毎日新聞社懸賞募集当選児童映画詩>などと謳いながら、地域により原作者名を筆名化して伝えているのは何人のどんな意図と必要によるものであろうか」(米田A)と、その事態の理由経緯を明らかにすることができなかったのでした。

 A稿の後米田氏は、前に「児童映画座談会」(「映画教育」昭和4年1月、2月)における稲田達雄氏の発言が、映画「美しき朋輩たち」の原作のすぐれた片影を正しく伝えている貴重なものと考え、苦心の結果稲田氏の住所をつきとめて、文通で教を乞いました(昭和49年2月)。そうしてその結果報告として、米田Bを書かれたのでした。
 稲田氏は、前掲座談会当時は大阪毎日新聞社「映画教育」担当記者で、三越の懸賞募集の審査にも当たり、その後も一貫して映画教育運動にかかわって来られた人です。ただしこの時には、「壁静」問題についての明確な回答が稲田氏からは得られませんでした。
 さて、米田Bを脱稿、公表した後、同じ年(昭和49年)の9月になって、米田氏は稲田氏からの手紙を受け取りました。そこで「壁静」問題の解明が果たされていたのでした。
 稲田氏の米田氏宛書簡では、松竹大谷図書館所蔵の「蒲田週報」「キネマ旬報」「松竹七十年史」がいずれも原作者を「壁静」としていることを記したあとで、その解明が述べられています。以下は直接、稲田書簡を引きます。

 <昭和49年9月20日付米田義一氏宛稲田達雄氏書簡(部分)>

[前略]この壁静については、このたび大船行きを思いたった機会に、雑誌「映画教育」の旧号をひっぱり出して目を通しておりました際に、第六集(昭三・八月号)に所載の「御大礼記念児童映画脚本募集」の「募集規定」の中に「原稿はすべて匿名とし別に住所氏名を記して添付し云々」とあるのに、いまさらのように気づき、「美しき~」の原作に伊東氏は「壁静」という匿名を使われたのではないか、きっと、そうにちがいないと思ったことでした。
 前記「蒲田週報」(宣伝パンフレット)や「松竹七十年史」をはじめ、「キネ旬」、関東での新聞の封切広告等、すべて壁静[傍点]となっているのは、原作の原稿に壁静と署名されていたことによるのではなかろうか。それというのも、失礼ながら当時としては「伊東静雄」に別にネームヴァリューがあるわけでもなかったし、原作―脚本―台本等を通じて、原作者は壁静[傍点]が踏襲され、それが新聞雑誌等への発表にも用いられた、ということではなかろうか、では、関西ではなぜ伊東静雄という実名が使われたか――については、関西ではすでに大阪毎日新聞紙上の当選発表の社告や記事によって原作者は伊東静雄ということが一般に知られているから、伊東静雄[傍点]を使ったのではなかろうか。[後略]

<2008年7月6日付山本宛米田氏書簡(部分)>

[前略]稲田氏が気づいて教示してくださったこの重大なことを、今の今まで長いあひだ忘却してゐました。すでに「『美しき朋輩達』のゆくえ」を昭和四十九年の五月六日に脱稿して印刷発行済みでしたから、その後紹介報告の機会のなかったまま、職務多忙に紛れて忘却してしまったもののやうです。稲田氏に申しわけないことであります。一日も早くこれを全国の伊東静雄読者に周知させたいと思ふのですが、私の通信の次号は秋以降になる見込みで役に立ちません。お願いします。この件をあなたの名で、上村氏主宰のウエブ掲示板か何かに報告発表してくださいませんか。条件としては、稲田達雄氏が私宛書簡に示された見解であることを明記してくださることのみです。そして私の方は、あなたの方の報告発表をプリントでいただいた上で、小通信の「あとがき」に釈明的に触れることにしたいと思います。[後略]

                        *

以上で、米田さんからの委託を果たしたことにしていただこうと思います。
なお、稲田氏から米田さん宛昭和49年2月16日付の分に、伊東氏の原作の題名は「美しい朋輩達」でしたが、映画の題名は「美しき朋輩たち」としたものと思われます。
との指摘があり、私もこれに従うべきものと考えます。
 

追悼

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2018年 1月11日(木)17時09分23秒
   米田義一さんが昨年12月18日に逝去されました。ご遺族からお知らせを頂戴しました。
 米田義一さんは、住中第19期卒業。この掲示板では2007年、2008年に、お名前を出して私が投稿しました。
  「開高健文学碑」2007.8.20
  「映画『美しき朋輩たち』と原作者名「壁静」のこと」2008.7.15
  「『大阪の三越』」2008.10.3
  「一等『美しい朋輩達』伊東静雄氏」2008.10.3
 米田さんは長年、個人誌『東市場』を出して、出るたびに私に送って下さったのですが、近年刊行が途切れて、そのご健康を按じておりました。享年は92歳。生前、名著『伊丹万作』を遺されました。
 謹んでご冥福をお祈り致します。
 

明けましておめでとうございます

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2018年 1月 5日(金)17時28分27秒
  干支も改まり、一つづつ歳をとりましたが、おたがいに、ゆるゆると、がんばりましょう。

 昨年の投稿で石牟礼道子さんのことを書きましたが、もう10年以上も前に別の場所で書いたものを、探し出しました。子供たちや孫たちを迎えて、送り出して、あとは何もネタがないので、古びた書き物で投稿に代えます。(もとのソースは、前勤務校の「歴史文化部」というクラブ、略称「歴文部」のホームページをわたしが立ち上げて、そこの「ひとりごと」という欄に連載した小エッセイです。)
 もとのページはもう削除されて、見ることができませんので、画像を貼り付けました。ご判読ください。
 

新年明けましておめでとうございます。

 投稿者:Morgen  投稿日:2018年 1月 2日(火)02時02分10秒
編集済
  皆様 新年明けましておめでとうございます。

“平成30年の幕開け”―「大寒波襲来」などという事前予想もあって、少し身構えていたのですが、いつも通りの平穏なお正月でした。

  ここ数年は家族で手近な温泉に浸かって新しい年を迎えるのが我が家の恒例となっており、今年は大聖寺川の渓谷にある山中温泉にしました。「鶴仙渓」に張り出したような露天風呂に、深夜一人で浸っていると、急流の瀬音は終夜高く響き、真冬の渓谷の冷気は弛んだ心身を引き締めてくれます。

 年末には、市川森一作品の映画化を企画されている諫高同窓会の方々が弊社を訪問されましたが、今年は新しい話題が公表されることでしょう。衷心より映画化のご成功を祈ります。

  世の中では猛烈な勢いで(IoTやAIを軸とした)「第4次産業革命」といわれる大革新と開発競争が展開されています。
我々老人といえども、これらの目新しい奇異なものに遭遇して、それらの変化を理解し適応していくしかないのだという心構えが多少とも必要になります。(除夜の鐘を聞きながら)余りに早すぎる変化に異議を唱えてばかりいると、情勢の変化に立ち遅れるだけでなく、世間から取り残された変人・お荷物扱いさえ受けかねなくなるぞという「時代の警鍾」のようなものを感じます。

  深夜の露天風呂に浸かりながら“「明るい老後」をおくるのも、思ったほど楽なことではなさそうだ!”とも考えました。身震いさせたのは、霙混じりの鶴仙渓の冷気だけではなく、やがて開ける測りがたい時代への不安や予感なのかもしれませんね。(人類にとって夢のような時代なのか、人類を分断する不安の時代なのか?)

  年頭にあたって先ずは健康第一! 飲み過ぎないよう健やかな正月をお過ごしください。

 

良いクリスマスを

 投稿者:青木由弥子  投稿日:2017年12月25日(月)15時00分30秒
  皆さま お元気ですか
我が家のお向さんは、フランチェスコ会系の女子修道院です。
御御堂が併設されていて、階段を昇っていくと、踊り場に板絵の磔刑図の複製がさりげなく置かれています。
十字架上で、にこやかに大きく目を見開いた、アルカイックスタイル。
ルネサンス期には、稚拙と揶揄された中世の名残を残すスタイルですが・・・ビザンティンのギリシア風の洗練とは程遠い、子どものアニメのような、ユーモラスで生き生きとした躍動感のある表情は、死に打ち勝つ、というメッセージ性よりも、生きる喜びをそのまま体現しているように見えます。

サン・フランチェスコが、その前で一心に祈り、教会を建て直しなさい、という声を聴いた、奇跡の十字架。サン・ダミアーノの磔刑図。ぼくとつなフランチェスコが、真に受けて本当に煉瓦を積んで教会の修復を始めた、というエピソードと共に、純朴になにかを信じることの「歓び」を思い出させてくれる絵です。

山本さんの、シニフィエとシニフィアンの双方向性、エネルギーの往還するようなイメージに共感しつつ・・・名指すこと、によって立ち上がる空間もあると共に、名指されること自体が呼び寄せられる、そんな切実さに駆られることもあるように思います。

詩に呼ばれるのか、詩を呼び寄せるのか。

素敵な聖夜をお過ごしください。
 

このあいだ迄と、このごろ

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2017年12月25日(月)14時40分38秒
  ▼石原と香月の「談話」のつとめが終わって、縛めを解かれたように、ベッドの枕元に積み上げた未読本を片端から乱読していたのですが、先日、またアマゾンに10点ほど注文しました。注文品は、あっけなく、すぐ届きます。昔、アタマのなかに探求書のリストを詰め込んで古本屋まわりをして、目指す本に行き当たった時の歓喜感激や、その後ジュンク堂とかができて新刊書はほぼ行けば手に入るようになり、収穫を小脇に抱えて店内の喫茶コーナーに座り、タバコをくゆらしながら、本の手ざわりを楽しみつつページをめくる至福……ああいうものがなくなってしまいましたね。

▼中野章子さんがブログ「朱雀の洛中日記」で、石牟礼道子さんの『春の城』のことを書かれていました。注文品とともに900頁の大冊が届きました。石牟礼道子さんはわたしの8歳年上、わたしが講談社文庫版の『苦海浄土』を買って読んで震撼させられたのはたしか1973年で、まだ30台、その後も節目の著作はほぼ読んできたと思います。石牟礼さんが天草の乱を取り上げられたのは、いわば当然であり必然という気がしますが、その気迫とボリュームには圧倒されます。わたしが切支丹史蹟探訪のために島原半島をはじめ九州各地を歩いたのは40台に入ってからですが、石牟礼さんの「草の道」は、おそらくわたしもそれを歩いた道であり、そんなさまざまな回想にひたりつつ、この大冊を手に取るのは、「去年今年」を貫く大きな歓びとなるでしょう。

▼大岡信『うたげと孤心』(岩波文庫)は、手にとって二、三頁を読んだときにすぐ、ああ、これは名著になるな(わたしにとっての)と直感しました。これは、ゆっくりと――始めがあり終わりがあって今このあたりを読んでいる、あとこれだけ、という〈クロノス〉的な読み方ではなく、今読んでいるこの頁に歩みを合わせて、寄り添うように、〈純粋持続〉風に、〈カイロス〉風に、味読をしたいと、今はまだ寝かせてあります。もう一冊、大岡さんの『日本の詩歌――その骨組みと素肌』(同)、これは実は重複でした。今年買って、読んだのもそんなに以前ではありません。届いた現物を見て、「わっ、やった」と苦笑。そういう「重複本」がもうすでに何冊あだろう(3冊同じのがあるのもある!)。それらは老人となる以前からの堆積です。笑止です。

▼ソルジェニーツィン『収容所群島』、新潮文庫版の第1冊だけ買って先日読了しました。石原関連の一冊。『イワン・デニーソヴィッチの一日』はすでに読んだのですが、『収容所群島』は、わたしが古書検索をしたときはなぜかやたらに高価で、全6冊を一度に揃える気にならず、とりあえず、と思って一冊だけ買ったのです。あと5冊、あの「群島」の暗くて陰惨で滑稽で不正で残酷で……を読み続けるのは楽しい仕事ではないけれども、結局わたしは、ぼつぼつと残りを買い揃えて読むことになるでしょう。

▼熊野純彦『レヴィナス』(岩波現代文庫)。野村喜和夫氏の『証言と抒情 詩人石原吉郎と私たち』は、その論の多くをレヴィナスに負っています。レヴィナスは、ちょうど日本語での翻訳や入門書や研究書が出始めた頃にわたしも何冊か読んで、知ったかぶりをしてその名前を拙稿「伊東静雄初期詩篇論」に引いたりしたのですが、正直なところは il y a などの語句を読みかじっただけでした。熊野さんのものはその前に『レヴィナス入門』(ちくま新書)を読み、そして今回のものを読んだのですが、これもやっぱり難解でした。レヴィナスは難解で野村の論証はついて行くのがむつかしく石原の詩はうまく解読できない。

▼小柳玲子さんの名前は、詳細な石原年譜を作成した人として知っていましたが、『サンチョ・パンサの行方』(詩学社)は、おもしろかった。詩論でも評伝でもなく、これは(「ロシナンテ」のころ以来の)詩人たちの回想記、とでも言えばよいか、読んで行くうちに「私が小学四年生の時、終戦になって……」おやおや、それではわたしと同い年ではないか。読み進むと、井川博年さんの名前が出て来て、また、おやおや、と思いました。

▼それでは皆様、どうかよいお年をお迎えください。
 

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