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 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2017年 8月 7日(月)09時43分9秒
  例年にない暑さで、いい加減うんざりしております。
台風は、長崎をそれて過ぎ去りました。
サギソウが今年も咲きました。

7月22日午後2時から諫早図書館2階に於いて、第112回月例会を開催した。
会報は、106号。

今回は、伊東静雄の詩3篇を鑑賞した。

「春浅き」 「百千の」 「わが家はいよいよ小さし」

会報はつぎのとおり。

1  伊東静雄の「詩索」という対話         (2)
                                                   田中 俊廣
                                       <平成29年 詩と思想5月号>

2 詩 「新帰郷者」
                                                   原 子朗
                                   「河」  昭和29年6月 7号

3 「帰郷者の墓 諫早伊東静雄」
                                                   伊藤 信吉
                   『詩のふるさと』昭和41年12月

4 伊藤桂一という人  「あの世もこの世も同じなんだよ」
                                                   住吉 千代美
                                       詩誌『花筏』31号
                                            以上
 
 

八月の太陽に・・・・

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 8月 1日(火)13時39分1秒
編集済
  謹んで暑中お見舞い申し上げます。
いよいよ八月になり、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は、日焼け止めクリームをたっぷり塗って八月の太陽を浴び、親しみたいものと(年甲斐もなく)希がっております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
運命? さなり、
あゝわれら自ら孤寂なる発光体なり!
白き外部世界なり。(「八月の石にすがりて」より)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
声に出して詠んでみると、のっぴきならない深刻な鋭い響きがしますね。
(たとえ詩全体の意味がよく分からなくても、この三行の詩句の、リズミカルで差し迫った深刻な響きだけで、詠み手の心にアピールし記憶に残る、突出したフレーズです。まるで歌曲の“さび”(高揚部)のような響きがします。)

伊東静雄の詩を読んでいると、意味の流れからみて「主題部」(モティーフ)となるところと、詩を朗詠してみると歌の「さび」(ブリッジ)のように高らかに響く部分との両者が、必ずしも一致しないことに気が付き惑わされることがあります。(“はぐらかし”の一種か偶然の所作か?)(もっとも、両者が常に一致してると演歌みたいに安っぽくなって面白くないかもしれませんね。)


たとえば、『わが人に與ふる哀歌』においては、
<太陽は美しく輝き
 或いは 太陽の美しく輝くことを希ひ>
という詩の前半部分が、演歌の“前さび”のように高らかに響いています。
したがって、(<手をかたくくみあわせ/しずかに私たちは歩いていった>はマッケイの詩『モールゲン』に由来すると言われていますが、そこから、<私たちの意志の姿勢で/それらの無辺な広大の讃歌を>の部分が、『哀歌』においては格調が高く、読むときには力が入ります。

マッケイの詩『モールゲン』の後半は、以下のように続きます。

「太陽はわれわれ幸福なものたちをふたたびひとつにする。そして広い、青い波のうちよせる海辺に、私達は静かに、降ってゆくだろう。無言のままわたしたちは互いの目を見つめ合う、そしてわたしたちの上には、幸福の、無言の沈黙が降りてくる。」(中路正恒訳)

ところが、『哀歌』の<あゝ わがひと>以下の詩句においては、詩人は一人で「如かない 人気ない山に上り」、「音なき空虚」「死した湖」の哀しい情景を見つめております。この詩が「哀歌」(この部分が主題部)たるゆえんであり、“「太陽の恵み」を受けることのない詩人(わたし)の暗い心と、「死した湖」とどっちが大きい?”と言うほどに「わたし」は膨張しています。

したがって、『哀歌』の主旨はマッケイの詩『モールゲン』とは真逆のことを歌うことであり、詩人は『哀歌』をイロニー的に構成するために『モルゲン』風の詩句をわざわざ前半に置いたしたのでしょうか。

昼下がりの会社の窓(35f)からぼんやり淀川や六甲山を眺めながら、こんな取り止めのないことを考えました。

<注>『わが人に與ふる哀歌』を、「わたし」と『半身』との自己内対話(詩索)として解釈してみよう試みてみましたがうまくいきませんでした。
 

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 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2017年 7月 5日(水)11時00分10秒
  7月2日、第16回諫早としょかんフェスティバルが開催されました。

伊東静雄研究会は、1階最奧の文人コーナーにて、諫早ゆかりの文人の作品を会員4名が紹介しました。

果たしてお客さんに来て頂けるのか、会員一同心細い思いでしたが、足りなくなった椅子を急いで増やしたり、資料を取りそろえたりと、嬉しい悲鳴をあげました。

今回紹介された文人は、次の4名です。
1  伊東 静雄  詩情豊かな孤高の詩人
2 上村 肇   人生の哀歓 詩に込めて
3 木下 和郎  古里を愛した叙情詩人 小長井町出身
4 轟  龍造   文学発表の場は同人誌 高来町出身

第157回直木賞候補にノミネートされている佐世保市在住の佐藤正午さんは、北諫早中学校に通っていたそうです。

あと、第156回直木賞候補にノミネートされた作家の垣根涼介さんも、今後の受賞が大いに期待されています。
                                             以上
 

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 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2017年 7月 4日(火)17時52分39秒
  6月24日午後2時から諫早図書館2階に於いて、第111回月例会を開催した。
会報は、105号です

今回は、伊東静雄の詩3篇を鑑賞した。

羨望   昭和16年『天性』8号特集 『春のいそぎ』収録

山村遊行  昭和16年『コギト』6月号    同上

庭の蝉    昭和16年『コギト』7月号    同上


会報はつぎのとおり。

1  伊東静雄の「詩索」という対話
                                                   田中 俊廣
                                       <平成29年 詩と思想5月号>

2 詩 「最初の質問」
                                                   長田  弘
        (おさだ ひろし、1939年11月10日~2015年5月3日)

                                             以上
 

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 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2017年 6月22日(木)15時02分19秒
  5月29日、諫早市美術・歴史館に於いて、野呂邦暢を顕彰する「第37回菖蒲忌」が開かれた。
今年は、野呂邦暢が生誕して80年となる節目の年です。

1  作品奉読 「諫早菖蒲日記」冒頭      諫早音声訳の会  村川 淳子

2 野呂文学作品朗読
(1) 西陵高校放送部 「落城記」  中野 栄太郎(3年)・福永 瑞菜(3年)

(2) 諫早高校放送部 「小さな町にて」より
                    「パクよ、お前も...」  入江 祐希奈(3年)
                    「鬼火」                草野 美穂  (3年)

3 第17回諫早市中学生・高校生文芸コンクール最優秀賞作品朗読

  随筆 「伝えたいこと」  中学の部 佐藤 佳奈(諫早高校附属中学3年時)

    随筆  「おかえりなさい」  高校の部 渡邊  輝(諫早高校2年時)
                代読 諫早高校放送部 坪田 優花

4 顕彰活動報告  季刊誌「諫早通信」編集長 西村 房子

5 「野呂邦暢小説集成」出版報告  編集者 久山 めぐみ

                                         以上
 

静雄詩における「詞」の流れ (3)

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 6月22日(木)12時07分45秒
編集済
  「太陽1」
―「わがひとに與ふる哀歌
  A    太陽は美しく輝き
 (13行)  あるいは 太陽の美しく輝くことを願ひ
      手をかたくくみあはせ
      しづかに私たちは歩いて行った
      ・・・・・・・・・・
      いま私たちは聴く
      私たちの意志の姿勢で
      それらの無邊な廣大の讃歌を

  B     あゝ わがひと
(4行)   輝くこの日光のなかに忍びこんでゐる
      音なき空虚を
      歴然と見わくる目の発明の
      何になろう

   C     如かない 人気ない山に上り
(3行)   切に願われた太陽をして
      殆ど 死した湖の一面に遍照さするのに

Aの骨子は、「手をかたくくみあはせ しづかに私たちは歩いて行った」「いま私たちは聴く 私たちの意志の姿勢で それらの無邊な廣大の讃歌を」の部分。太陽や鳥、草木はその背景。この抽象的な太陽の描写は、「私たちの意志の姿勢で それらの無邊な廣大の讃歌を」歌う上で必須の要件には見えない。(「太陽が幸福にする」という秘められた期待はあったかもしれないが・・・)

B「あゝ わがひと」で舞台が回る。「太陽は美しく輝き あるいは 太陽の美しく輝くことを願ひ」と歌われたその太陽の光の中には、「音なき空虚が忍び込んでいる」のだ。
「音なき空虚」とは、その直前に歌われた「私たちが意志の姿勢で聴いた無邊な廣大の讃歌」などまったく聞こえないということ。また、凝視の末に脳裏に焼き付けられた残像としての湖(心の中)にまで「音なき空虚」がひろがり、「讃歌」のかけらすら見えない。

C「太陽が幸福にする」と切に希われたのに、「如かない 人気ない山に上り」湖の一面をじーと眺め渡してみても、太陽は湖面を照らさず、「殆ど死した」ように暗く鎮まりかえった湖面には「音なき空虚」だ広がるだけだ。
「私たちの意志の姿勢で それらの無邊な廣大の讃歌を」歌おうとしたのに、「あゝ わがひと」よ、「わがひとに與ふる哀歌」しか歌えないのだ。

「太陽Ⅱ」
―「八月の石にすがりて
まだ大阪市内に住んでいた頃に作られた「八月の石にすがりて」のなかには太陽が2回登場し、異なる性格の「詞」になっている。

    A たれかよくこの烈しき
      夏の陽光のなかに生きむ

    B 見よや、太陽はかしこに
      わずかにおのれがためにこそ
      深く、美しき木陰をつくれ。

A の太陽は、昭和11年7月末~8月始の猛暑続き、特に31日の最高気温35℃という「烈しき夏の陽光」に照らされた灼熱の石という現実性が明確に表現されている。もはや『哀歌』の抽象的な太陽ではなく、熱や光をもった現実のの太陽に照らされた道端の石である。
 母親の急死、長女出産・妻の病気という切迫した家庭の事情のなかで、期日までに詩を提出せよという「文芸懇話会」からの強い要請があった。生きる気力さえ弱まり、心身ともに疲労困憊状態になっていた詩人は、それでも酷暑の大阪を三日三晩気狂いのように歩き回ってこの詩ひとつを創った。

B の太陽は頭の中で創造された太陽である。「太陽すら自分のためだけの日陰をつくっている」ではないか。しかし、詩人は「太陽がもたらしてくれる幸福」とやらに頼ることはやめて(拒絶し)、“自分もまた「雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて 青みし狼の目」をまねて(そんな目をして)、(われも亦)生に執着し、運命に抗っていこう”と頑張っているようなことば(詞)である。

「太陽Ⅲ」
―「百千の
      ・・・・・
      哀しみの
      熟れゆくさまは
      酸き木の実
      甘くかもされて 照るに似たらん
      われ秋の太陽に謝す(「百千の」)

 昭和15年『文学界』12月号に発表。翌年1月『文芸』掲載の「わが家はいよいよ小さし」へと続いており、秋の草原(「耳原の三つのみささぎつらぬる岡の辺の草」)をわたる野分けの風、「ことごとく黄とくれないに燃ゆれば」と、堺市北三国ヶ丘の風景が歌われている。

「太陽Ⅱ」の逼迫した生活環境や心境は、(現実の)秋の太陽の力で「酸き木の実 甘くかもされて」いくように円熟した詩の境地へと深められており、その趣意は「則天去私といふことが大切」「個人の生活と体験(自己意識)のみを主な土台(モティーフ)としていてはいけない」という昭和15年6月池田勉宛書簡に表明されている。「太陽Ⅲ」は、詩人にとって身近で、親しみやすい太陽であり、詩人はその太陽に心から感謝の詞を贈っている。

 結果的には、三国ヶ丘移住がこの心境変化に大きな役割を果たしているのではないだろうかと推量される。

 こんな調子で、前項で設定したモデル(フレーム)による静雄詩における「詞」の流れ をスケッチして見ました。こうしてみると、当たり前のことをくどくど書いただけで、静雄詩のより深い理解に役立つかどうかは自信がありません。

http://

 

宇宙と脳みそーどちらが大きい?

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 6月16日(金)11時01分11秒
編集済
   会社のロビーで百数十人もの見なれぬ人達が、あちこちに固まって何かイベントをやっています。(JAXA*のイベントでした。)

"Which is bigger, the universe or the inside of your head?”というキャッチフレーズが大きく掲示してあります。

 説明を読んでみると、むかし夏目漱石が「あなたの頭の中は日本よりも大きい。」と言ったそうです。後に、漱石は「則天去私」の心境に変わりました。伊東静雄にも似たような変容がありました。

 このような膨張した自己意識が、等身大に戻ることによる心の姿勢(「詞」も)の変容は、夏目漱石や伊東静雄だけでなく、誰にもあることなのかもしれませんね。

*JAXA(ジャクサ)は英文名称「Japan Aerospace Exploration Agency」の略称です。
            =日本語の正式名称は「宇宙航空研究開発機構」です。
2003年10月1日、H-IIAロケットなど大型ロケットや人工衛星、宇宙ステーションなどの開発を中心に行ってきた宇宙開発事業団(NASDA)、宇宙や惑星の研究を中心に行ってきた宇宙科学研究所(ISAS)、次世代の航空宇宙技術の研究開発を中心に行ってきた航空宇宙技術研究所(NAL)の3機関が統合し、「宇宙航空研究開発機構」として新たに誕生しました。種子島から純国産衛星を打ち上げていることで知られています。大阪にもその出先事務所があるようです。

  

http://

 

ご報告

 投稿者:龍田豊秋  投稿日:2017年 6月15日(木)10時01分32秒
  5月27日午後2時から,諫早図書館に於いて第110回例会を開催した。

会報は第104号 内容は次のとおり。

1  伊東静雄ノート(7)
                                                       青木 由弥子
                                        <千年樹 第69号から転載>

2 詩「鳥」
                                                    高塚 かず子
                                                <詩と思想5月号>

3 詩 「菜の花に寄す」   ~2017・3・26
                         第27回伊東静雄賞奨励賞受賞   宮 せつ湖

  3月26日、高城城址で開催された「菜の花忌」が、詩人の故郷阿武隈河原に思いを馳せながら謳われています。

4 詩「晩秋列車」
                            第26回伊東静雄賞受賞        藤山 増昭

5 詩「高田の馬場駅 午後六時二十三分」
                                                        青木 由弥子

6 「伊藤桂一先生を偲ぶ会」が、2017年4月23日東京・学士会館で盛大に開催   された。

7 投稿文 「つつじ祭り 諫早の良さ満喫」
                                                           岡本 博
         2017.4.10長崎新聞 声欄に掲載

                                         以上
 

静雄詩における「詞」の流れ (2)

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 6月14日(水)22時53分39秒
  入梅したというのに、乾燥した爽やかな夏日が続いています。
私の勤務するオフィスからは大阪湾や、淡路島、四国などが眺められ、淀川も河口から上流まで一望できます。
前回の投稿に、次のようなメモを付け加えてみました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Ⅰ 「わたし」の膨張

 対象を凝視する「わたし」(近代的自己意識)が膨らみ、描かれているのは、現実の具象的な自然ではなく、幻想・夢想された抽象的な自然
 ・連嶺の夢想よ!… 非時の木の実熟るる
 ・氷り易く 一瞬に氷る谷間
 ・切に希はれた太陽をして 殆ど死した湖の一面に遍照さす

Ⅱ 「そんなに凝視めるな」

 ・ 膨張した「わたし」が「八月の石にすがりて」「水中花」で、限界に達し破綻しそうになり、自然の中で自然の変化とともに生きる方向への転換をこころみる。
 ・三国ケ丘移住がその契機となった(大きな意義があった)

Ⅲ 自然の中に包まれた「わたし」

 ・百千の草葉もみぢし…われ秋の太陽に謝す
 ・みささぎにふるはるのゆき…まなこ閉じ百ゐむ鳥の しずかなるはねにかつ消
      え…春来むとゆきふるあした
 ・「自然の中にすっぽり包まれて自然にとけこむ」=「日本的感性」
   (満開の桜の樹の下で花の盛りを享受する日本人共通の感性)
 

静雄詩における「詞」の流れ

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 6月 2日(金)23時08分48秒
編集済
    去る3月17日「三国ヶ丘菜の花忌」に参加して―「伊東静雄詩詠唱の流れ 」という題で投稿をしたことを思い出しました。
 その際、“三国ケ丘移住というトポスの変化によって、静雄詩の「詞」(ことば)・詩的言語にどのような影響があったか?”―というような大まかなテーマを設定して、チャートを作ってみようとしました。
 太陽、雪、鳥、花という静雄詩に出てくる「詞」の中身、ニュアンス、詩的言語としての響き具合(反響)が、どのように変化をしているかを考えてみるために一覧表としたのです。その変化や響きの違いを、詩人の自己内対話・「詩索」と絡ませて展開してみるとどうなるか?―などと今ぼんやりと考えています。何か意味のある成果がまとまったら投稿します(腹案はありますが文章にするには時間がかかりそうです)。

 私事ながら、会社が梅田のグランフロント南館35階に引越したので、今までよりも通勤時間短くなりました(約20分)。(株主総会で再任されれば)2021年迄の4年間は現役で頑張ります。(→80才)
 所属する業界を取り巻く環境は、IotやAIの急速な展開によって、まさに「第4次産業革命」と呼ばれる技術革新が進んでいます。熱気に溢れた若い技術者たちの真剣な息吹を身近に感じながら、老後の時間を過ごせるだけでも有難く思っております。

 淀の河邊では、めっきり緑色が濃くなった草木の間から、繁殖期を迎えた野鳥たちがうるさいほどに鳴き声を上げています。旺盛な生命力が空気中に漲っていることを身体に感じます。

http://

 

詩と思想

 投稿者:齊藤 勝康  投稿日:2017年 5月30日(火)23時36分31秒
  山田兼士氏のブログを見ていて今回このことを知りました。伊東静雄特集だったのですね。氏の「近代詩最後のトライアングル」興味深く読ませていただきました。今後氏のボードレールのごとく静雄詩について書いていただくことを期待したい。  

「詩索」という対話

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 5月28日(日)23時16分34秒
  『詩と思想』所載の田中俊廣“「詩索」という対話”を読み感じたことを2点まとめてみました。

1“現代は、情報氾濫の中で言葉や文字言語の価値が希薄化し埋没しつつ(時代で)ある。・・・とりわけ詩の存在感は小さくて薄い。・・・・・ことばによる思考が低下しつつある。伊東静雄の「詩索」の根幹を見直し検証する試行は、今こそ継続していかなければならない。”というのが、田中先生がこのエッセイで強くアピールしておられる論点であります。

2 「詩索」とは?―伊東静雄は、自己の中の他者である“もう一人の「私」”(半身)との対話によって自己の存在(Identity)や認識の根源を探ろうとした。「詩」はこの自己探求の思索そのものであり、詩を書くことで思索し、思索する行為が詩となっている。・・・教師をし家庭を持つ生活者として、十五年戦争の困難な時代を、詩を書くことで「詩索」しつつ生きてきたのである。

 「詩索」の姿勢は「倦んだ病人」まで一貫して保たれていますが、この15年の間に、「詩語」(ことば)の意味合いや、ことばにかけられたバイアスは大きな変化をみせていることが、「太陽」「雪」「鳥」など、「詩語」の時系列マトリックスを作成してみると良く分かります。(この項は次稿にて。)
 

御礼申し上げます

 投稿者:青木由弥子  投稿日:2017年 5月25日(木)14時44分32秒
  皆様のご投稿にヒントや新しい発見を頂いたり、アドバイスを頂戴したりして、ただただ感謝です。
お気づきの点がございましたら、どうぞまたご教示ください。とりいそぎ御礼まで。
 

『詩と思想』

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2017年 5月25日(木)12時36分46秒
   わたしも『詩と思想』特集号の伊東静雄関連部分だけ、ようやく読み終えました。田中先生の論考をはじめ、青木さん司会の座談会など、なかなか読みごたえがありました。期せずして、なのか、あるいは何らかの必然性があるのか、「戦争詩」についての思索が多かったのを、興味ふかく思いました。そのうち感想をまとめて投稿したいと思います。皆様もどうかご意見をお寄せください。思うに、今日び、伊東静雄の特集を組むなど、快挙(怪挙?)ではないでしょうか。  

『詩と思想』(特集 伊東静雄)

 投稿者:Morgen  投稿日:2017年 5月19日(金)22時31分11秒
  『詩と思想』(特集 伊東静雄)5月号(発行 土曜美術社)が発売されていたので今日入手しました。
 なかなか面白そうですので今から読ませていただきます。、
 

『呂』探索記・その8

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2017年 5月17日(水)15時39分11秒
編集済
   古書の検索中、たまたま雑誌『雲』の「ほぼ揃い」(欠号数冊あり)をみつけて、安いので購入しました。
 『雲』は戦後、原野さんが主宰して自ら編集発行された雑誌です。ほぼ毎号、ご自分の詩とエッセイを出しておられます。ほかに青木敬麿さんの短歌「生老病死」も、毎号掲載されています。
 その『雲』の第22号(昭和56年6月)に、原野さんの、「回想の伊東静雄」という文章が載っていました。
 後半は詩で、単行本『うらばなし』に載ったものの元稿で、いくらか推敲のあとを残して、ほぼ同じものですが、前半の地の文は『うらばなし』にはなく、関西文学の会が堺の伊東家のあたりを散策した、珍しい記録です。そのままここに載せます。画像はクリックして大きくしてみてください。
 

『呂』探索記・その7

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2017年 5月13日(土)14時29分32秒
   この稿を書きながらウエブ上を探しているうちに、こんなものをみつけました。

 伊東静雄と原野栄二先生―伊東静雄の未発表の詩の発見に想う
 投稿日: 2014年4月14日 作成者: admin
 http://banvenom.com/?p=707

 このサイトの性質や投稿者については、何の知見も持ちません。『呂』の話が出て来るので、以下に全文を引用してご紹介します。

     ---------------------------------------------------

日本浪漫派を代表する詩人、伊東静雄の未発表の詩が見つかったとのこと。伊東静雄さんは、恩師?原野栄二先生や哲学者で歌人である青木敬麿さんたちと同人誌『呂』を発行。その後、伊東静雄の処女詩集『わがひとに与ふる哀歌』が刊行されることになるのだが、当時、弘文堂の編集長だった原野先生もかなり尽力をしたと聞く。

原野先生曰く、伊東静雄という人は、〝とても線の細い人?だったという。そしてわたしが二十歳の時、堂島にあった近代日本文学専門の書店で『伊東静雄論』を買いに行かされたことがあった。あの書店は書店というよりも、何かソファが置いてあり、その上に無造作に書籍が並べてあるような、そんな湾や打ったことを記憶している。

原野先生が亡くなられて後、東京?神田の古書店の人が来て、同人誌『呂』がないと尋ねて来られたことがあった。何でも人伝いに原野先生のご自宅を聞かられて、先生の自宅まで来られたという。その時、原野先生の奥様に呼ばれて、わたしも原野先生のご自宅に行って、神田の古書店の人ともお会いして、いろいろとお話を聞いた。

残念ながら原野先生のご自宅からも、先生の同人誌関連の書籍を預かっているわたしの方からも、同人誌『呂』は発見できなかった。同人誌『呂』は第四号が刊行された際、当局の検閲で発行禁止処分にあって、それ以後、刊行されなくなった、日本近代文学史においても貴重な同人誌になっているらしく、その古書店もある大学の要請で同人誌『呂』を探しているとのことであった。

そう聞くと、恩師?原野栄二という人は、単に大阪の片田舎で学習塾を営んでいたという人物ではなく、日本近代文学史や日本近代哲学史、あるいは日本近代政治史に名を残すような大人物だったのではないかと、考えるように至ったのである。

一昨年、奥様の原野清香さんも亡くなられ、本当にさみしくなった。何よりも原野栄二という人を知る人物が居なくなることである。だからこそ、伊東静雄さんの話題が取り上げられるようになったときに、わたしは原野栄二先生のことを書きたくなるのである。

 

『呂』探索記・その6

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2017年 5月12日(金)11時50分44秒
  8/30(木)原野夫人宛御礼状

前略 昨日は押しかけて参上いたし、申訳ございませんでした。手厚いおもてなし、さまざまなご教示と、すばらしい眼福。奥様のお話から、原野先生のお人柄までが偲ばれ、まことにたのしく充実した一刻でございました。厚く御礼申し上げます。
昨日お渡しした原野先生の「伊東静雄のこと」や、『うらばなし』から、『呂』の同人として次のような方々のお名前が出てまいります。まことにご手数ですが、この方々について、現在の消息、ご遺族の連絡先等、もしわかっておりましたら、お教えを願いとう存じます。これらの同人で、もしかして『呂』を保存しておられる方がおありかもしれませんので(氏名別紙)。
野島様には近々お会いしてお話をうかがいたいと思っております。『雲』の中に、原野先生が伊東にふれて書かれた文章が尚あるようですので、こちらは燈影舎で調べるつもりです。
何かの折に『呂』がみつかりましたら、是非お知らせをいただきとう存じます。
お世話になった上、重ねてのお願いで、まことに恐縮に存じますが、何卒よろしくお導きの程、お願い申し上げます。右、御礼迄。    草々
  八月三十日
原野清香様

(別紙)
『呂』同人
  原野栄二、青木敬麿、伊東静雄
  〇 瀧波善雅(アララギ歌人・篆刻家)
  〇 藤野基一(住友本社・俳人)
  〇 鳥羽嘉寿夫(前赤穂市長)
  〇 岡本正三(医学博士・伊東のホクロを手術)
  〇 澤延常(子息茨木市?)
  〇 正岡忠三郎(正岡子規の跡取り)

9/4(火)原野夫人より

前略
先日は折角お越し下さいましたのに何のおもてなしも出来ませず、却って結構なお土産まで頂き、恐縮致しております。お申し越しの件、主人の知人にお尋ねしていますが、何と云っても主人のお友達は皆なくなっていますので、判りにくうございます。お尋ねはしていますが、どなたがいつお返事を下さるか判りません。何か判りましたら又お知らせします。只今私はあれから整形外科に通っています。病気□□なので只今思うようになりません。お許し下さいませ、何か判りましたら又お知らせ致します。野島もその内来ると思います。季節の変り目御身大切にご自愛下さいませ。  かしこ
原野清香 拝

[別紙]

主人の本棚に伊東静雄の詩集がありましたのでよろしければ貴方に差し上げます。そして、娘が本棚を片付けているので、入用の本ありましたら差し上げます。よろしければご覧下さい。原野

9/8(土)原野家訪問

野島氏と初対面。きさくにしゃべってくれて、話がはずみ、そこへ原野夫人も加わって、にぎやかな半日となった。

この後、数回にわたって野島-山本メール交換がありましたが、省略します。

期待していたものん、『呂』は結局、早急にはみつからぬ、という結論になりました。

(未完)
 

『呂』探索記・その5

 投稿者:山本 皓造  投稿日:2017年 4月28日(金)15時40分46秒
  8/25(土)

 母の親しい知人の家にご不幸があり、葬儀から、骨あげ、初七日まで付き合って、夕方帰宅すると、留守中に原野夫人から電話があった由。こちらからかけ直して、暫時お話をし、29日に訪問のお許しをいただく。
 電話で話されたこと。

 ・夫人は今80歳。しかしお元気で、よく話をされる。書にも携わり、号を「清香」といわれる。
 ・同人雑誌は『呂』のほかに『河』『雲』などが保存されていたと思う。押入れをよく探せば出て来るかもしれない。
 ・原野の資料はいずれ、「弟子」に引き継いでもらう。蔵書は物置に入れてあったが、シケったのでゴミとして処分したものがかなりある。
 ・かつて堺で「文学散歩」という催しがあり、そこに原野も参加して、伊東の住居址などに行き、原野が話をしたこともあった。
 ・江川ミキさんとは親交があり、よくモノなど送ってもらった。
 ・雑誌「大阪人」に誰か何か書いていた。
 ・どうぞお越しください。29日がよろしい。宅は阪急上新庄からすぐ近く。娘が近くにいるので、迎えにやります。

 夫人は話が好きで、もっとたくさん喋られた。一気に新しい事実が眼前に開けて、つかまえきれない。

8/27(月) わたしの不在中に夫人から、『呂』みつからぬ、とお電話を頂いた由。
8/28(火) こちらから電話、お話しに出たさまざまな文献資料や人物についても知りたいので、やはり明日お邪魔いたします、と伝える。

8/29(水)

 ・この日わたしから夫人にお渡しした資料
   山本皓造「伊東静雄の住居」(「昭和文学研究」第26集、1993.2)
   原野栄二「伊東静雄のこと」(「果樹園」74号)
  夫人から頂いた資料
   「大阪人」 (2001年9月、Vol.55) 寺田操「伊東静雄 近代大阪の人物誌③」を載す
   「河」 昭和7年2月号(第60号)
   野島秀司「原野栄二先生を偲ぶ」(プリント)
   宇田正「弔辞」(プリント)
  野島秀司さんは夫人が「弟子」と呼んでおられた人です。
  宇田正氏は追手門大の教授とのこと。
  なお、野島氏のこと、および『呂』同人のことについては、後に別に記します。
 ・原野家と青木家はきわめて親しかった。原野夫妻は下村寅太郎氏の媒酌で、西念寺で挙式した(昭和17年)。
 ・姉(?)が、吉田で「白樺」という喫茶店をしていて、貧乏学生に親切にしていた。その学生さんたちは、のちに皆出世した。
 ・燈影舎との関係はあまりよくない(この件は他聞をはばかって、ここには詳述しません)。
 ・2階に案内された。西田幾太郎の書簡を額装したもの、須田剋太郎の原画、その他、有名な人たちの色紙や写真がいっぱい、無造作に置かれていた。(未完)
 

ついしん

 投稿者:青木 由弥子  投稿日:2017年 4月28日(金)10時23分7秒
  先ほどの投稿は、フェイスブックにのせたものです・・・
それを追記しようとして、そのまま投稿してしまいました。
なんだかぶっきろばうですが、怒りモードもそれなりに加算されているかもしれません。
『呂』が含まれている、なんてこと、あるのか、ないのか・・・今更どうしようもないですが。

http://yumikoaoki.exblog.jp/

 

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